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大作読み終えて満足〜
発刊まで時間が空いているせいかこれまでのあらすじも折にふれ繰り返してくれてちょっとしつこいけど助かる。
エイラのエリートワーキングマザーぶりにはたまにひいてしまうけど、クロマニョン人時代に女性が自立しているしかも男女問わず高い地位が得られるところをみると、働く女性に厳しい凝り固まった価値観を持つ人にはぜひ読んでもらいたい…狩猟採集の時代だって子育ては平等ですよ-
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古代スーパーウーマン、エイラの活躍はまだ終わらない…!
というわけで、召命を受けたりゼランドニになったり嫉妬に駆られたりの巻。
それにしてもエイラとジョンダラーは本当に…昭和のメロドラマか!少女まんがか!
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やっとやっとの最終巻。長かった…
長い期間をかけて書かれたのだからやむなしかもしれないが
やはりだれた印象は否めなかった★
もはや面白いかどうかよりも、物語がどこに着地するのか、それが気になって…という感じ。
実際の読了感もその域を出なかったのがやっぱり残念、かな。
エイラほどのスーパーウーマンでも浮気はされちゃうのねーとか下世話な感想は置いといて。
結局のところ白人優位の物語のまま終わり、それについていけない他人種は逃げ出してフォローも後日談もナシ、というのはいかがなものなのだろうか。
物語の始まりが他人種に育てられ、それによって稀有な才能を開花させたエイラ…という設定なだけに、ここはもう少しなんとかしていただきたかったなーと思いつつも終わったことにホッとしてもいる。
もう続きを待たなくていいのだー。だー。だー。
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3万5千年前のヨーロッパを舞台にした壮大な物語の締めくくりとしてふさわしい切り口は、と考えあぐねていると、いつか答えに辿り着いていた、とはいかないようで、正直、どう書いたものかとまだ迷っている。
つい最近読んだ本によれば、この時代のこどもをひとり、現代に連れてきて教育すれば、現代人と、何ら変わりない大人に成長するだろうということで、ほとんど差異は無い。
では、違いは何かといえば、彼らは大地と共に生き、自然や動物を近しいものとして知識を蓄え、その厳しさをもそのままに受け止め生きていたものたちだということに他ならない。
現代のわたしたちは、その多すぎる知識故か、自然に抗った文明故か、本来の生き方を逸脱しているような心持ちにされるシリーズでもあった。
そうはいっても、かつてから変わりないものは、愛と嫉妬なのだろうか。
ゼランドニア……この時代の聖なるものの一員として迎え入れられるための試練である“詔命”を果たしたエイラは、代わりにかけがえのないものを女神に差し出すことになる。まだ、その腹に宿ったばかりの胎児である。みどりごとして生まれてくる前に、女神のものへと旅立っていった代わりに得たものは、それまでエイラが気づき続けてきた「こどもは男の精髄が女に入れられてはじめて宿る」という知識だった。女神からの託宣を携えて、エイラは大ゼランドニのもとへと赴く。
その「知識」は、男のあり方を変える。女は母であり、血統を示すものだったが、男はそれまで「女のつれあい」ではあっても、「父」ではなかった。
そして、その知識がすべての男、女にもたらされることで起こる変化がこの最終巻の主軸となる。
エイラは、聖なるものを司るものの一員となるため、近年は厳しい修行に耐えていた。不眠で天体を観察し、食を断ち、水を断ち、「女神を嘉する」といわれる媾合を断っていた。エイラにとっては、ゼランドニアの修行は、知識を蓄える楽しみ多いものではあったが、つれあいのジョンダラーにとっては違っていた。旧知の間柄で、かつてエイラを侮辱したマローナの誘いに従い、多すぎる欲望のはけ口にマローナと共にいるところをエイラは見てしまった。
とはいえ、乱交の時代である。男は、女は、自らの好きな相手を選ぶことができる。たとえつれあいが居たとしても、別のものと媾合うことは自由であり、嫉妬することが社会的には悪いとされていた。特に、女神を祭る時には、女神を嘉するためにいろいろな相手と媾合うことは推奨されており、それら生活のすべてをこどもに見せてはいけないというタブーもなかった頃だ。そもそも、現代のような、プライバシーの守られ方はし得なかったはずである。
二人の気持ちは行き違った。
エイラは、もうジョンダラーの愛はもう無いと思い、ジョンダラーはエイラに嫌われたと感じた。
もどかしいのは、二人が互いの愛にも関わらず、そうしたとき、直接話そうとしないことである。以前、マムトイ族に身を寄せていたとき、エイラの元いた氏族の習慣から誤解が起きたとき、二人は話し合うことをせずに、危うくエイラは別の相手と連れ添うことになるところだった。その二の舞である。
今回はどうなるものかと読んでいったが、展開は、うーん、どこかで見たなあ、というものではあった。
全体を見る限り、男女二つの性が支え合って子孫が誕生すると同時に、社会が基盤となって、それらを支え続ける限り安泰である、という話であるようにも読み取れるが、最終巻に限っていえば、本当に大切な人ならば、話をせずに遠ざかるよりも、決定的に決裂する怖さと向き合ってでも、率直に思いを伝える方がよい、と思った。
本当に大切であるならば、誠心誠意を尽くせば伝わるはずだ、と。
多分、わたしには、そういう風にしかできないし。
某サイトより転載