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ひさしぶりに徳永進の本を読む。「家でも、ホスピスでも、病院でもいい それぞれのお別れ83」という内容。第4章「死にむかうときのからだ」を読みながら、父が死にむかっていた時間を思い出す。第5章「それぞれの後悔」を読みながら、私自身の後悔のことを思う。
▼死を前にしていないときも、「こっちじゃなく、やっぱりあっちを買っとけば良かった」みたいな後悔を人々は繰り返し、日常を送る。暮らしと後悔は引き離せない。傷の深み、傷つく持続時間などが同じとは言えないが、死という、非日常とも言えるし日常とも言えるもの。そんな死を前に、人々が後悔なしで過ごせることは不可能だろうと思う。それでいい。後悔って悪いものではない。避けたいが避けにくく、避けられないもの。人々は、そんな後悔とともに生きていくもの、そう思い直してみたい気がする。(p.201、第5章「それぞれの後悔」)
12月は母と父の誕生日があって、(生きていたら…)と死んだ親の歳をつい数える。
▼後悔のない死別などないし、後悔のない人生もないと思う。人間の支配の及ぶところに人生は留まらない。思いがけないこと、わからないことに、人生は包まれる。(p.213、第6章「死別のあと」)
ぽっかり空いた穴は埋まらなくても、やがて草が生えたり、石が落ちてきたり、少しずつ変わっていくのだろう。
(2018/12/6了)