紙の本
15世紀のスペイン政府による植民地政策を真っ向から批判した書です!
2020/05/01 10:56
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、15世紀に著された当時のスペイン政府による国家をあげての植民・制服事業に対して、その不正行為を訴えた植民地問題を扱った画期的な書です。著者は、スペインのカトリック司祭、後にドミニコ会員、メキシコ・チアパス司教区の司教tとなったラス・カサスです。彼は、同書の中で、「新大陸」(中南米)における数々の不正行為と先住民(インディオ)に対する残虐行為を告発し、同地におけるスペイン支配の不当性を訴えました。同書には、「エスパニョーラ島について」、「エスパニョーラ島にかつて存在した諸王国について」、「サン・フアン島とジャマイカ島について」、「キューバ島について」、「ティエラ・フィルメについて」、「ニカラグア地方について」、「ヌエバ・エスパーニャについて」、「グアティマラ地方とその王国について」、「ヌエバ・エスパーニャ、パヌコ、ハリスコについて」、「ユカタン王国について」などのテーマで話が進められていきます。記述の中には丁寧な注釈がつけられ、読みやすくなっています。
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スペインのキリスト教による悲惨な行い
2022/06/19 09:18
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トリコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近、遠い昔の高校時代の先生が薦めていた本を手にするようになって、この本もその中の一冊。
「君らの善悪の感情で読むな」みたいなことを言われたことを思い出しつつ読んだ。
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信じていいんだろか。
2013/11/12 01:25
8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:戎棋夷説 - この投稿者のレビュー一覧を見る
こんな本があることを子供の頃に聞いて、ヨーロッパ人とかキリスト教文明とか、ろくでもないものだ、と思った。それは大人になってからの西洋観や宗教観に大きく影響している。店でこの本を見て、そんなことを思い出し、買ってみた。
どうなんだろう。私が連想したのは、南京大虐殺の、どれが真実かわからない、いろんな報告のうちでも、特に信用ならない極端な主張である。
「われわれが確信し、正真正銘の事実だと判断しているところでは、この四〇年間に、男女、子ども合わせて一二〇〇万を超える人たちがキリスト教徒の行った暴虐的かつ極悪無惨な所業の犠牲となって残虐非道にも生命を奪われたのである。それどころか、誤解を恐れずに言うなら、真実、その数は一五〇〇万を下らないであろう。」
どうやって数えたんだろう?ここまで大がかりに殺すには、よほどの利益が見込まれるはずだけど、それは、生かす場合よりも莫大な利益だったんだろうか。
「彼らは生け捕りにしたインディオたちの両手を斬りつけ、両手が辛うじて皮一枚で腕につながっている状態にしておいて、「手紙を持っていけ」と命じた。つまり、山へ逃げ込んで身を隠したインディオのところへ見せしめとしてことの次第を知らせに行かせたのである。」
このインディオたちは全員、数歩歩いて出血で死んだと思うのだけど、本当に山にたどりついたのだろうか。
私と同様の疑問を抱いた読者は昔からたくさんいたようで、 「解説」はそれらについて、本書には誇張された記述が存在することを認めつつも、本書を擁護する立場でこう答えている。
「誇張表現で重要なのは、否定できない真実と、『報告』に頻出する単なる修辞的数値にすぎない擬似的な誇張とを明確に区別することである。」
たしかにそうだろうが、それは歴史家の仕事であって、われわれ一般読者が次から次へと繰り出される誇張表現の方を強く意識するのは当然のことだ。そして、私が思うのは、著者にとって重要なのは、本書のわづかな真実ではなく、嗜虐的な妄想を、正義の名のもとに存分に書き連ねることのできる愉悦だったのではないか、ということである。
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・大航海時代のカリブ海諸島で、スペイン人が先住民インディオに対して行った様々な迫害の記録。
・「簡潔な報告」という題名とは裏腹に、著者は「これでもか」というくらい執拗にスペイン人の悪行の数々を書き記す。同じような手口によってインディオがひたすら虐殺される様を描いたこの記録文書を読んでいると、気が滅入ってくるし、もっとハッキリ言ってしまえば辟易する。しかし、これが被征服者ではなく、征服者たるスペイン人自身の手によって書かれたことの意義は大きい。
・本書の受容史を論じた訳者解説は興味深い。その残虐さゆえに本書は諸外国によって「横暴なスペイン人」という反スペインキャンペーンの恰好の材料として利用され、それゆえ他方では、著者ラス・カサスはスペイン国内の保守主義者から「売国奴」のレッテルを貼られてしまう。こうして本書があまりにも強い政治的色彩を帯びてしまったために、客観的な学問研究の妨げとなっているという。似たような構造の問題を抱えるわれわれ日本人にとっても、この訳者解説は冷静な知見を与えてくれる。
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新大陸(中南米)のあちこちでスペイン人がひどいことをした話が述べられているが、簡潔でないし緻密さにも欠けるので退屈。それよりも巻末に70ページもある訳者解説がわかりやすくてよかった。当時のスペイン王室のおかれた国際状況や、ラス・カサスとセプールベダの宮廷内での争いや、後世の反スペイン政治運動に何かと本書が使われてきたことなど。あんな滅茶苦茶な新大陸征服にも一応理論的正当性が必要だったのは意外。
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キーが重い。気安く書くわけにはいかないためだ。私がもたもたしているうちに改訳版が刊行されていた。タイトルが広く知られていると、「ま、いつでも読めるよな」とか「今更俺が読んでも……」などと思いがちだ。挙句の果てには「読んでしまった」ような錯覚に至ることもある。ソクラテス、トルストイ、ドストエフスキー、夏目漱石……そして岩波文庫だ。
http://sessendo.blogspot.jp/2013/11/blog-post_64.html
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これがキリスト教の本質。異民族は人として扱わない。イエスの思想とどれだけ乖離していることか。そして現在も本質は同一であり、末端の信徒はお気の毒としか言いようが無い。
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時はコロンブスの新大陸確認から大航海時代。カリブ海の島々や中南米にやって来た征服者たちの残虐性からインディオを保護するために司教が書いた報告書。現代人の感覚からすれば狂気とも思われる行為が横行している。昔の話だからと言いたいが世界大戦時にも残酷なことはたくさん行われていた。僕の感覚はただ傍観者の無責任で聖人ぶっているだけなのだろうかと考えてしまう。あと、リーガエスパニョーラでのバナナの一件があった後なだけに、情熱的なのは盲目的でもあり良い方向にもその逆にも突っ走る恐れがあるなあとか考えさせられた。
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いままで読んだ本で2番目に恐ろしい本だった。(1番目は『1984』だ)
ラスカサスが「報告」という形でスペイン人無法者(ティラーノ)の蛮行を書く。中世的世界観が見え隠れしつつも、客観的に報告しようとしているのがわかる。どの時代においても、ラスカサスのような自己批判の能力をもつ人材は貴重だ。現代でいえば優秀なジャーナリストか。
この本は島ごとに行われたことを描写していくが、基本的にはどの島でも同じことが行われた。美しい自然と調和して暮らしていた原住民を殺し、奴隷として酷使する。美しい自然やまちなみは破壊された。畑は荒れ果てた。神殿も破壊され、彼らの文化も破壊されたのだろう(ラスカサスは司教なので、原住民の宗教や文化の破壊は触れられていなかった、これはヨーロッパ的宗教や文化が至高だと考えていたからだろう)。
歴史は繰り返す。この悲惨な体験が、どれほど繰り返されたことか。時空を超えて、訴えかけてくるものがある。
読み終わって、「ヨーロッパ人はなんと恐ろしいやつらだ。日本はヨーロッパから離れていたから助かった」などと考えた。たしかに、ヨーロッパ人ほど野蛮な奴らはいないと思う。しかし、我々日本人だって、この「ヨーロッパ人」の生き残りだとも言える。他人事ではあり得ない。
この話を読んで、手塚治虫の言葉を思い出した。手塚治虫は、「想像力が足りない」と嘆くだろう。
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大航海時代の幕開けから半世紀後、スペイン人征服者たちがインディオに対して行っている殺戮と搾取の実態を暴露。歴史的背景や文献学的考察など、詳細な解説つき。
ありえないです。ひどすぎます。
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ラスカサス司祭がフェリペ皇太子に向けて綴った報告書。これでもかという程、インディアス支配におけるスペイン人の残虐行為が記述される。エリアを変え、加虐者を変え記録された報告だが、行為の中身は殆ど変わらず、アッサリと読めてしまう。今から500年以上前に実際にあっただろう史実だ。当然、政治的作為にも注意して読まねばならないが、原住民の人口減は事実であり、それがウィルスに因るものもあるにはせよ、支配欲により暴力が暴走した事も事実だ。原始社会に近い程、支配欲は暴力によって成し遂げられる。だからこそ、国家概念や警察機能と法整備が必要だが、国家の相互承認が得られるまで、民族や領土をまたぎ秩序を保たんとしたのは宗教であるべきでは無かったか。しかし事態は逆であり、宗教が支配に利用された。
目を覆いたくなるような報告。是非、目を通して欲しい。
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残酷すぎて一度挫折。再チャレンジし読了。一度で済ませればよかったと思うほど残酷さに慣れない。インディオを人間として認識していなかったんだろうと思うけれど、それはアジアもアフリカも同じ認識だったんだと思う。怒りを覚えるだけでなく、こういうことを知らずして海外赴任したりヨーロッパに憧れたりしていたことを反省する。歴史は政治で書き換えられることも多くあるので、妄信にも注意が必要だと解説を読んで襟を正した。
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酷すぎる話で、これにより中南米は無茶苦茶にされ、その影響は今に及んでいると理解すべきだと思う。
それでもこういう話は例えば日本の安土桃山の末期にもあっただろう。
つまり、罪を犯した人間の子孫は、いつまでもその責を負わざるを得ないのだと。何で、いつまで私達が対応しないといけないのか?という疑問ももっともなようで、でもやはりそれに値する重罪を犯したんだ、ご先祖さまたちは。過去からの恩恵も罪も背負ってこその現在なんだと。
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吐き気を催す邪悪。
十六世紀におけるスペインのキリスト教徒が南北アメリカ及び中南米で行った殺戮の記録。修道士ラス・カサスがその虐殺を本国の王に伝え、やめさせるよう書き連ねた。
海からやって来たスペイン人たちを、心から歓待したインディオ。スペイン人たちはその彼らを切り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へ導いた。彼らが持つ金が欲しかったがために。
例えば人口三百万のエスパニョーラ島は殺戮が行われた後インディオは二百人に、人口五十万のバハマ諸島は、十一人にまで減っていた。
インディオを奴隷として船に積み、水も食料も与えず、死ねば海へ捨てた。その後ろを行く船は、死体を追うだけで海図も羅針盤もなしに航海を続けられたという。
また、インディオを兵士として使い、食料を与えない代わりに敵の体を食べる許可を与えた。スペイン人たちにとっては敵でも、インディオたちにとっては同族であるのに。
それぞれの地域の領主や王に対しても暴虐な扱いがなされ、けれど敬意が表され彼らには絞首刑が行われた。ということはつまり、敬意を表されなかった普通のインディオにはそれ以上の惨たらしい殺され方をしたということであり……。
おぞましい一冊。
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インディアスの人々は悪意や二心を持たない。きわめて恭順で忠実な民。謙虚で辛抱強く温厚でおとなしく、争いや騒動を好まない。口論したり、不満を抱いたりすることもなく、怨みや憎しみ、復讐する気持ちを抱くこともない。インディアスの人々は身体が細くて華奢で、ひ弱なため、重労働に耐えられず、病気に罹るとたちまちに死んでしまう。キリスト教徒(スペイン人)はそうしたインディアスの人々を男女・子ども合わせて1200万以上、残虐非道な形で殺害した。インディアスの人々の方からキリスト教徒に害を加えたことは一度もなかった。インディアスの人々に神の存在を知らせ、キリスト教に導く絶好の機会だったのに、彼らから救いの光を奪ってしまった。カルロス5世陛下がこれら悪事を根絶され、神が陛下に授けられた新世界を救済なさることを期待する。ラス・カサス
※虐殺のあった地域。エスパニョーラ島(現ハイチ&ドミニカ共和国)、ジャマイカ、キューバ、ユカタン、グアテマラ、ニカラグア、ベネズエラ、ペルーなど。
**以下、閲覧注意**
首枷をはめて重い荷物を背負わせ、疲れたり気を失ったりすると、鎖を外すのが面倒なので、首筋辺りに剣を振り下ろし首を刎ねた。大勢の人の両手を切断し、それを縄に括り、横にわたした長い棒にぶら下げた。棒には70組の手がぶら下げられていた。大勢の女性や子どもの鼻を削ぎ落した。人々を殺してはその肉を猟犬のエサとして互いに売買した。
子どもや老人だけでなく、身重の女性や産後間もない女性までも、見つけ次第、腹を引き裂き、身体をずたずたに斬りきざんだ。母親から乳飲み子を奪い取り、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたキリスト教徒もいた。絞首台を組立て救世主と12名の使徒を称え崇めるためだと言って、13人ずつ1組にして絞首台に吊り下げ、足元に薪を置き、それに火をつけて彼らを焼き殺したキリスト教徒もいた。ある邪悪なキリスト教徒はひとりの娘を犯そうと思い、彼女を無理やり連れ去ろうとしたが、母親が娘の手を放さなかった。すると彼は剣で母親の手を切り落とした。しかし娘は言いなりなろうとしなかったため、娘を剣でめった突きにして殺した。
※ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』1552
※日本。豊臣秀吉、九州平定の折、キリスト教徒が九州で寺社の破壊や日本人の貧民を奴隷にして海外に売りさばいていることを知る。同年、キリスト教宣教師追放令を発布、キリスト教の布教を禁止した。1587
*高知にスペインの軍船(ガレオン船)が漂着。スペインの軍船の水先案内人が口を滑らせる。「スペイン国王はまず宣教師を現地に送り込んで布教させてから征服する」。サンフェリペ号事件1596