紙の本
野球少年の心
2015/11/23 16:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
重松氏は、なぜこうも子供の心が解るのか。わけても野球に取り組む少年の心が。その重松氏が、昭和五十年―1975年の広島カープ初優勝を背景に、野球少年の物語を書き上げた。この年のオールスターで、衣笠や山本浩二がグラウンドを駆け回り、マスコミは赤ヘル旋風と煽った。それが、お荷物球団の初優勝へ。カープの大ファンを自認する氏だが、すべての野球少年、いや、子供たち全員に読んでほしいと思う。野球を知らなくても、氏の情熱は子供たちに伝わる筈だ。いじめが問題視されている今、強い巨人だけが野球じゃないと言いたいのでは、そんな気がする。
投稿元:
レビューを見る
小説現代での連載開始当初から、そのタイトルゆえに注目していた作品。
その期待は読了してみて、良い意味で裏切られたといっていいだろう。
1975年といえば、広島人ならば忘れもしない、カープ初優勝の年だ。球団創設26年目にして、ようやくたどり着いた栄光。
この作品ではそのシーズンの要所要所をしっかりと描いているが、私がそれ以上に注目したのが、原爆関連の話。
登場人物が喋る広島弁もぎこちなさがなく、容易に脳内で声になっていた。
一つの作品を一言で表現するのは難しいが、間違いなく、2013年、自分の読書トップ3には入る名著。
カープファンは勿論、そうじゃない方もぜひぜひ読んでほしい。
投稿元:
レビューを見る
重松清さんが広島に住んでいたという話は聞いたことがないが、使われている広島弁が完璧。その当時の町の雰囲気がまざまざと蘇ってきた。
メインは主人公の二人の少年だが、それを取り巻く大人や子どもたちの姿が生き生きとしていて、街全体でカープを応援しているのがよく伝わってくる。やはりカープは広島市民の球団なのだ。
また、被爆者の複雑な思いも様々な登場人物によって描き出している。
特に印象に残ったのが中学生の野球の試合に山本浩二選手が来る話。ドキドキして、そして笑ってしまった。
投稿元:
レビューを見る
1975年、ぼくはまだ高校生だった。
学校に行けば授業と野球部の部活、家ではラジオの深夜放送を聴きながら受験勉強に励む毎日を送っていた。
「ながら族」という言葉が産まれ始めた時代だ。
街はもう完全に近代化され、数年前まで走っていた市電も廃止になり、新興住宅地がどんどん造成され、新築の住宅が頻繁に建造されていた。
ぼくの頭の中には「戦後」などという意識はこれっぽっちもなかった。
原爆の話は小学校のころから授業で教えられ知識としてあったし、広島では8月6日が原爆記念日として慰霊祭が行われることも当然テレビで見て知っていた。
それでも、遠い地で行われる催しと過去の歴史は、ぼくにとっては肌で感じるほど現実味のあるものではなかった。
だが、被災した広島に住んでいた人々の多くは、ぼくの感覚とは全く違ったものだったようだ。
思い直してみれば、敗戦からまだ30年しか経っていなかったのだ。
もう30年ではなく、まだ30年。
遥か以前に「もはや戦後ではない」などと語った首相の言葉は、この地広島ではまるで重みのないものだったに違いない。
この年になっても、広島は「やりきれない戦後」をまだ抱え続けていたのだ。
そしてようやく------。
赤ヘル広島カープがそれまでの万年弱小球団から変貌を遂げた奇跡の年。
この1975年になってようやく、広島が新しく生まれ変わったのかもしれない。
空襲や原爆で被害を受けた人々の悲惨さ。その苦しみと悲しみを乗り越えようとする新しい広島の子供たち。
1975年の広島カープのペナントレースの戦い方に重ね合わせながら、その姿が描かれていく。
家族の問題、家庭の事情、友情の重さなどを織り交ぜながら、重松清はこの物語を見事に書き切った。
広島の人々たちのカープに寄せる愛情の重さの理由、街に対する思い入れ、原爆や戦争によって失ったものの大きさと無念などが伝わってくる。
野球が好きじゃなくても、充分に心に響いてくる名作だと思う。
お薦めです。
ちなみにぼくはこの二年後に上京し、学生寮に入ることになるのだが、そこで広島からやって来た男と友達になった。
初めて彼のカープに対する熱狂ぶりに触れたときは呆れ、何故に広島人はそれほどまでカープを好きなのか理解できないでいたが、その理由がこの本を読んでよくわかった。
この奇蹟の1975年から、僅か二年しか経っていなかったんだよな。
投稿元:
レビューを見る
広島で連想するものといえばなんといっても赤ヘル!カープ。
でも、ヒロシマと書いた途端、原爆投下を誰もが連想するはず。
広島とヒロシマ・・・このふたつはきってもきれない関係。でも、ヒロシマの悲しみを広島に託した球団は財政事情もあり、とっても弱く、いつも負けて、負けて、負けて、負け続け、セリーグのお荷物と呼ばれます。
そんな広島とヒロシマが1975年に生んだ、大いなるキセキ。その状況に絡めるかの如く、巨人ファンの少年が広島に転入して、広島とヒロシマを感じながら、友情を育む物語です。
当時のカープ戦も刻銘に記載されています。当時、わたしは相模原に住みラジオ中継を聴いていました。中日戦後の暴動などは、リアルで記憶していて懐かしさを感じました。
投稿元:
レビューを見る
カープ、原爆、転校生。要素としては読み進めるにはじゅうぶんだけど、結果的には面白さの化学反応は起きなかった。20年後、あの3人はどうなったのか。あの子はどうか。それを書いたら野暮なのかなぁ。
投稿元:
レビューを見る
聞き伝えをそのまま書き写した感がどうしても気になる。
広島で生まれ育った訳でもなく、住んでも居ない作者にいらぬお節介を焼かれた気分。
広島生まれの広島育ちであれば、単なるおさらい的な内容だ。
どうでもいいことだが、文中、岡山弁の箇所を二カ所発見。
投稿元:
レビューを見る
「真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。苦節26年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ。」
1975年広島、原爆投下から30年・・・その爪痕は大人たちにとって生々しく、肉体にも、心にも癒えることのない傷を遺し、その傷跡は次世代にも受け継がれ続けている。
原爆による壊滅的被害からの復興を目指し、市民と共に歩んできた弱小球団「広島東洋カープ」のリーグ初優勝。
それらが個性豊かな中学生たちと、周りの大人たちを絡めて、見事に織りなされてゆく。
さまざまな思いが交錯し、いろいろ考えらされつつも爽快に、希望に目を転じられる物語。
空は、想う人と繋がっている・・・必ず!
投稿元:
レビューを見る
思いっきりタイトルに惹かれて買ってしまった。
内容は、東京からの転校生と広島生まれ広島育ちの中学生の友情物語であるが、爽快で面白かった。
今年はイーグルスが日本一になったが、やはりプロスポーツチームはその地域に密着した「オラが町のチーム」がいいなぁ。
よく広島カープのことを取材しているなぁ・・・
投稿元:
レビューを見る
カープの初優勝のこと、広島の歴史を知って、なんとなくしか向き合ってこなかったヒロシマをもっと知りたくなった。カープを応援したいと思った。
投稿元:
レビューを見る
カープファン歴40年の自分としては、タイトルだけで嬉しくなる。実際、あの年のカープの名場面が次々と登場して、優勝を決めた巨人戦のホプキンスの3ランでは思わす目頭が熱くなってしまった。
とはいえ、主役はあくまで3人の少年たちと彼らを取り巻く級友や大人たち。
あの1975年という年は、原爆が落とされてから30年しかたっていなかったのだという事実に息をのむ。
そして、あの頃の野球は熱かった。
投稿元:
レビューを見る
広島という街、重松さんの描写にピッタリな、人間臭いええ街だと思います。リタイアしたら広島で暮らしたいなぁ。
投稿元:
レビューを見る
単にカープ初優勝の話しではない。原爆の爪あとがまだまだ残る昭和50年の広島で、三人の中学生の友情の物語。原爆とは何か?平和とば何かを考えさせられる物語。
投稿元:
レビューを見る
タイトルだけで買って、重松清さんの作品をはじめて読んだけど
じわじわたくさん泣かされた...
戦争・カープ以外のところの、親に振り回される子どもなどは
現代にもよくある話だろうな。
投稿元:
レビューを見る
広島と言えばカープと、、、
原爆。
カープが初優勝した、この時代にもこんなに影響があったのか。
原爆だけではなく、空襲も。
原爆記念館を見学した、あのなんとも言えない重い気持ちを思い出しました。