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チンパンジーの実験を通じ、ヒトがどのようにして絵を描いていくのか実験し、考察していく本。チンパンジーの実験の文量が多いが、最後の方で人間の芸術性に関することが書かれている。(図書館)
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クロマニョン人が絵を描いていたが、そこに筆者が注目していることは今ここに「ない」ものを描いていることだが、私が思うに、ヒトの「ない」ものを想像することは、後にヒトの「形而上学」を成立する萌芽が隠されているのではないかと、深読みしてしまいますが、いかがなものなのでしょうか。今ここに「ない」ものを想起するヒトの宿命みたいなものを感じないではいられません。今後もよく考えなければならない課題です。
5章「想像する芸術」では、概念を拒否するアートを主題に展開されているが、子どもは、概念から逸脱した絵を大人とは違って自由に描くことを主張している。概念や言葉の手前のイメージを想像する奔放さの可能性を指摘。わたしは、言葉によらないアートの特徴を今回改めて考えされられた。
以上のことから、絵画は、「形而上学」からとらえた絵として、また概念を拒否するアートとして成立していることに改めて考えさせられた。
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描画を切り口とした比較認知研究。絵を表象として描けるかどうかは言語獲得と関連している。言語獲得前,言語運用に障害があると,写真そのままのように(つまり表象化せず)覚えてい(られ)る。さすが科博認定サイエンスコミュニケータ,文章も読みやすい,というのは内輪の欲目か?なーんて。
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子供の頃には同じキャラクターをいくつも描いたり、様々な色のペンで模様を描いたり、今思い返してみると何が面白かったんだろうと思うような事がたくさんありました。あれらも脳や認知の発達に必要な過程だったということでしょうか。ヒトとチンパンジーの比較(絵を補間する能力など)の話題も面白かったです。
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チンパンジーに絵を描かせる実験を足がかりに、表題の疑問に迫る。幼稚園の頃、自分も描いた記憶がある顔から手足が伸びた人間の絵(頭足人と言うらしい)の例が出されていて、懐かしくなった。この頃から自分の絵描き能力は、大した進化をしていない。
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB14721511
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人間が生きていく上で、絵は描けても描けなくても良いものだが、何故人間は絵を描くのだろう?私自身もずっと考えていたテーマ。写真で事足りるのに何故?子供は何を認知して描いているの?この本を読んで少し見えてくる事もあった。
絵は言語を使わないで表現できるツールでありながら、その背景は言語と無関係ではない。
今ここにないものをイメージして補うという認知的特性…想像する力、見たものを描くのではなく、知っているものを描く。(子供の絵を描く行為)
見たものを頭の中でカテゴリー化し、シンボルに置き換えていくと、情報として記憶から取り出したり他者に伝えることが容易になる。
私達は言語を持った事で目に入るものを無意識に言語のフィルターを通して世界を見るようになった。
ヒトの子供の「ふり遊び」「見立て遊び」など動作を介した想像力も言語が急速に発達する時期と一致。
チンパンジーは細部、部分に惹きつけられ、ヒトは細部よりも全体で捉える傾向がある。サヴァン症候群は芸術家多い。
言語能力は描く為に必要か、邪魔なのか?記号的な絵と写実的な絵の違い。
子供の描く絵は記号的。写実的な絵を描くには記号的な見方を抑制して直感的な物の見方を身につける認知的な訓練がいる。
アートとは新しい何かに出会わせてくれたり、すでに持っていた何かの概念(スキーマ)拡張したり、壊して作り変えたりする。何かを拒否する事で私達の記憶や情動を掘り起こしたり不安定なままにし、心をざわつかせるもの。
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絵を描くというのは、哺乳類の根源的行動な行動なのだろうか。
チンパンジーの描いた絵にも個性がでているのが興味深い。
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この番組をじっくり見たのは、おそらく初めて
NHK Eテレ「又吉直樹のヘウレーカ!」
チンパンジーと人間の子どもの描き方の違い
洞窟絵を描いた人間、想像力、言葉を持っているか
絵を描くのはなぜ?考えを整理するため?印象を自分のものにするため?
・描くことの面白さを楽しむ、結果(作品)ではなくプロセスを楽しむ 作り出されるイメージを楽しむ
・何かわからないものをみつめていくと頭の中にイメージの探索がおこる
星の王子さまのウワバミ、こどものココロ
・作品を見るときアーティストのフィルターを通した見え方に出会うことができる
●記号的な見方ーー言葉を習得
●直感的な見方――写実的な絵 ex.洞窟壁画
デッサンは直感的なモノの見方を身につける認知的な作業
テレビを見てから、本も読んでみました!
大変興味深い内容でシロートの私にも分かりやすかったです!
著者の経歴もすごいですね
理系から芸術系につながるとは!大変回り道をして苦労されたことと思いますが、こんなふうにいろんな切り口で考えられる人が、これから必要になっていくと思います
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斎藤亜矢『ヒトはなぜ絵を描くのか:芸術認知科学への招待』2016
知性と感性
人間はどうして絵を描くのか、を古代の芸術から、チンパンジーの絵、子どもの絵描きを通じて、私たちがどうして絵を描くことを楽しんだり、絵の鑑賞を好きになるのかを考える本。読みながら自分が子どものとき、お気に入りのおもちゃに所狭しと貼ったシールや、絵本の隙間に書いた落書き、大きな模造紙に書いた兵隊の絵。。。その時自分がどんな気持ちだったかを思いだした。
この本を読んだ正直な感想は、この著者のような知性と感性を持ちたい、ということだ。著者は、一見不可解に見える、子どもたちやチンパンジーの絵や、絵を描いている時の感想をじっくり観察しながら、それぞれの子どもやチンパンジーにとってどんな意味があるのかを考えて考えている。そして自分自身のいろんな経験を思い出しながら、分析しながら共感しながら、考えている。。。そのように知性と感性のあいだを絶えず行き来しながら分析する姿は、科学者であり芸術家であり、本当の意味でヒューマニストであると感じた。自分自身に子どもができたら、著者のようなまなざしを持って子どもに接してあげれるような親になりたい。
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「ヒトはなぜ絵を描くのか」というタイトルですが、ヒトが絵を書く理由というより、ヒトはどうやって絵を描けるようになるのか、ということが書いてある感じですね。
チンパンジーとヒトの比較とか、なかなか面白いです。
また、人は成長するとモノを見てもそのまま捉えられずに、モノを記号化してしまい、モノ(実物)からではなく記号から絵を描いてしまう、という点、なるほど〜と思った。
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先日観劇したお芝居の演者さんがあまりにも素晴らしくて、帰宅早々その方のイラストを描いた。
人物なんかは簡略化したフォルムでしか描けないが絵に向き合っている間は本当に楽しく、描き終わる頃には「あの感動をせめて等身大で、あわよくばそれ以上に表現できるようになりたい」と、妄想がえらく飛躍していた。
漫画を読まないようにしているのもそのためである。人一倍どハマりするばかりか、自分もファンアートを描いてみたいと冗談抜きで寝食を忘れてペンを走らせかねない…。(正気に戻った時が一番恐いけど笑)
その気持ちの興りはどこから来るのか。今もついて離れない妄想を分散させるつもりで本書を取り寄せた。
「絵を描く」という行為を芸術と科学の観点から考察するというもの。「描きたいから描くんだ!」と言ってしまえばそれまでだが、奥部まで突き詰めていけばもっと面白い答えが見つかるかもしれない。
いつも以上に明快な動機を胸にページをめくった。
タイトルの「芸術認知科学」とは著者(現 京都藝大教授)が命名した、一見相反する芸術(「感性」)と科学(「知性」)の関係性を追求していく分野のこと。
ラスコーやアルタミラといった洞窟絵画を起点に、チンパンジーとヒトの子供の描画を比較した実験の様子を展開している。
目的は不明瞭なものの岩の凹凸を動物に見立てたり画材のバリエーションも豊富、我々の祖先は早々に描画の楽しさに目覚めていた。実験でも空白のスペースに何かを描き入れるのは人間にしかできないことで、想像力、すなわち「ない」ものをイメージする力に長けているという結果が出ている。
前半は期待していたような「答え」は得られなかったが、ヒトが絵を描く行為に関心を寄せていくプロセスが肌で感じ取れた。
後半の第4章「なぜ描くのか」と第5章「想像する芸術」では、絵を描きたい(あるいはその他アート作品を制作したい)という衝動がフォーカスされており、何度か冒頭の自分と重ねていた。
ヒトの子供の例ではあるが、絵筆の動かし方によって変わる描線を「探索」したり絵具の香りを感じたりと、五感をフル稼働させる。そうして世界を知っていくことが絵を描く「おもしろさ」に繋がるんだと著者は述べている。
完成後を眺めるのも好きだけど、描いている時が一番楽しいというのは激しく同意だ。
極めつけは、美術家 内藤礼さんの言葉。
「自分が感じたことをアートの中に表現したい。別にだれがしなくてもいいのだけれど、やらずにはいられない」
美しいもの、すなわち新しい世界を知った時に身体に流れ込んでくるあの衝動。衝動が筆を動かす原動力となり、それは心ゆくまで止まらない。
結局「描きたいから描くんだ!」に終着しそうな雲行きだが、描いている時の「おもしろさ」も彼女は渇望しているはず。そう(描きたいという志だけは同じ)自分は睨んでいる。
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チンパンジーとヒトを比較した研究から、絵を描くことについてコンパクトにまとめている良書。内容は読みやすく、予備知識不要でわかりやすいが、なぜかフォントが私には見づらかったのが残念。
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読んだキッカケはahddamsさんのレビュー(3月5週のBestレビュー掲載)で、目的は現在松木武彦さんの本を熟読しているので、「芸術認知科学」とは何か、概略や歴史を知りたかったため。であるが、その目的は達成されなかった。概略は、この本全体で記されている。ちょっと要約できない。
「ヒトはなぜ絵を描くのか?」その問いと答えそのものが、とても興味深いものだった。
ハッキリしたものでは、約4万年前、痕跡を入れるとネアンデルタール人の約5万年前から、ヒトは洞窟に表象絵を描いてきた。しかしながら、DNAの差わずか1.2%のチンパンジー(600万年前に共通の祖先から分かれた)にいろいろ絵を描かせようと試みるも難しいことがわかってきた。そこから「ヒトとは何か」が浮かび上がってくる。
チンパンジーは描かれた表象を見分けることができる。恣意的なシンボルをある程度理解し、扱うこともできる。そして画風があるほどに描線をコントロールして描ける。けれども、顔の輪郭に「目」を入れることさえできない。2歳のヒトは出来るのに、である。
今ここに「ない」ものをイメージして、補う。‥‥想像する力をヒトはなぜ身につけたのか?
小説ではないのでネタバレするけれども、それは言語を手に入れたからだ。面白いのは、そのことによって「失った能力」もあるだろうと推論していることである。それは(この言葉は使われていないが)「カメラアイ能力」である。宮部みゆきが持っていると私が推測している能力、高村薫「レディ・ジョーカー」で合田雄一郎が発揮する能力、である。
私たちは言語を持ったことによって、目に入るものを常にカテゴリー化し「何か」としてみようとする記号的な見方をしている。だから言語を獲得する前の幼児は却って「カメラアイ能力」を持っているのだという。とても興味深い。
子供がよく描く絵の一つに「頭足人」というのがある。頭のすぐ下に足がつく。これは「胴体」という概念が子供には漠然とし過ぎているためだという。そういえば、私、頭足人たくさん描いた覚えがある。突然思い出した。
そういうわけで、洞窟絵画の写実性は際立っている。一方、ヒトは「アート」を創造してきた。何かわからない「何か」をみようとすると、ヒトはアートとして表現する。
「想像」と「創造」はヒトの根源から深く結びついているのである。
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チンパンジーの絵の分析から出発し、人はなぜ絵を描くかについて考察する。
専門的な用語は殆どなく、全体的なボリュームも100ページちょっとであるため、かなり読みやすい。
個人的には、記号性が人の絵や認識にどのように影響を与えるのか、という話が特に印象に残った。対象の言語化はできればできるほど良いことだと思っていたが、本書を読むと必ずしもそうとは言い切れないのかもしれないと感じた。
刺激記号があった方が自由な発想が生まれやすい、というのは絵を描くことに限らず、仕事や趣味全般について言えることだと思う。読んだ後に実際に街へ出て色々なものを見てみたくなる本。