紙の本
2011年3月11日に発生した東日本大震災において77人の新聞記者たちが極限の状態から現状を報告したドキュメンタリーです!
2020/09/14 09:24
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、読売新聞世論調査部によって編集されたドキュメンタリー小説です。実は、2011年3月11日に発生した東日本大震災において、「多くの人にこの悲劇を知ってもらいたい」と号泣した記者がいたということです。彼らは、歯を食いしばってカメラのシャッターを次々に切ったということです。同書は、こうした読売新聞の新聞記者たち77人が極限の現場から現状を伝えてくれる取材記録の一冊なのです。彼らはその時、何を感じ、何を考えたのでしょうか?文書や掲載された写真からそのことが読者にひしひしと伝わってきます。同書単行本は、大震災から半年後に緊急出版されましたが、大反響を呼んこともあり、2014年に文庫化されました。
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涙なしでは読み進められない手記
2018/03/13 18:31
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投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
震災直後の読売新聞記者による77の手記を、津波、原発、政府・東電、その他に分類して掲載。涙なしでは読み進められない手記もありました。
津波被害の恐ろしさ、疲弊する原発避難者、餓死する家畜たち、震災自殺、無責任極まりない東電の対応と言い分、無計画停電、無能な菅直人と民主党政権の稚拙すぎる対応、分断されるサプライチェーン、トモダチ作戦、液状化現象、ドイツによる侮辱報道(ドイツは中韓に次ぐ嫌いな国になりました)、帰宅困難者等々を思い出しました。震災から7年経過し、震災の記憶も薄れつつある中、読んで良かったです。
ところで、私は、震災後4年経過した平成27年2月から1年半、震災者支援の仕事に携わりました。
福島で支援希望の方の中には、原発補償金で高級バイクや外車を購入する等の経済的に十分余裕がある方もいれば、自宅が避難区域外での自主避難ゆえに支援を受けられない方もいました。支援を謝絶すると、後者の方は諦観していましたが、前者の方には「俺は原発被害者だぞ」と逆ギレされました。支援を受けて当然のような態度に憤りを感じました。
震災被害者間で経済格差が広がり、震災直後のような画一的な支援はできない状態で、支援の難しさを痛感しました。
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読んだら辛くなる。号泣してしまう。
自分でも、どうしてこれを読むのかわからなかったが、図書館で見つけて、手に取らずにいられなかった。
予想通り、何度となく辛くなり、何度も泣き、読み終わった後もなんとも言えない気持ちになっている。
でも、読んだことは後悔はしない。
知らなければならない現実に起こったことだから。
あれから3年2ヶ月がたった。
自身の周りは、震災のことが話題にのぼることもなくなり、風化をしているように感じる。
でも、風化をさせてはいけないことだと思う。
2度ほど赴いた被災地は、確かに復興の兆しは見えた。
けれども、まだまだ時間がとまってしまっている場所が多いと感じる。
そのギャップに、何度も言葉を失った。
自分になにができるだろう?何をしたのだろう?
何にもしていないと思った。
この本は、どうやら文庫化されたらしい。
(私が読んだのはハードカバーですが)
文庫なら、読みやすいから、より多くの方が読んでくれたら良いなと、思った。
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本当にたくさんの記者さんがいろいろ悩み、葛藤しながら取材していたことを知る。何を、何のために伝えるのか。あの日から3年と少しが経ったけれど、私たちは今、どこにいるのだろう。被災した人たちと被災地から離れたところで生活している私。そして、いつの間にか元に戻り始めているエネルギー政策。今、考えること。とるべき行動。何かがあまりにもかけ離れすぎている気がして、ただただ立ち尽くしているのが現状か。
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子どもが行方不明になった母親に向けて、文字を調べながら、まま、げんきですか・・と書いて、途中で寝てしまったのであろう写真は思い出すたび胸が締め付けられる
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東日本大震災での死者・行方不明者は18,517人(2014年3月
10日時点)になる。数字として書いてしまうとただの人数に過ぎ
ないが、18,517人それぞれにその人の人生があった。
未曽有の大災害に襲われた被災地の人々とその土地の様子は、
海千山千の新聞記者たちさえもたじろがせた。
各メディアが大震災発生直後から多くの人員を被災地に派遣した。
本書は被災地の総局や支局は勿論、東京本社はもとより日本各地
の支社・支局から被災地に投入された読売新聞記者77人による
取材手記である。
「伝えなければならない」。読売新聞だけではなく、多くの記者が
そんな思いで被災地を走り回り、何もかも失くして呆然とする
被災者に話を聞いたのだろう。時には、一緒に涙を流しながら。
新聞紙面には掲載されなかった話も多くあるだろう。そんな
出来事をこういう形でまとめることもいいのかもしれない。
だが、釈然としないものが残るのも確かだ。読売新聞は原発
推進の提灯を持ったことに触れないのか?福島第一原発事故
後に大手メディアが真っ先に福島から退避したことには口を
噤むのか?
地元紙である河北新報は、避難区域からの自社記者の退避
を正直に綴っていたぞ。
原発は安全です。原発は安心です。原発はクリーンです。原発
は安価です。日本のエネルギー政策になくてはならないもの
です。核の平和利用なのだから、日本に原発を作りましょう。
そう言って来た自社の反省はなく、東電と政府だけを批判して
いいのか。先の東京都知事選の際も、脱原発を掲げた元
首相コンビを批判していたじゃないか。
記者ひとりひとりは、真摯に被災者と向き合い、話を聞き、
心を寄せたのだろうけどね。
あ…それと新聞記者なら「阪神・淡路大震災」って書いて
欲しかったなぁ。揃いも揃って「阪神大震災」って書いている
のはいただけませんね。
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東日本大震災 被災者の様々な思いを記録した本。象徴的な表紙の写真は 子供の安否を心配する石巻の母。
本が 伝えたかったのは 震災の事実だが「自然の残虐さ」「死を知ることは生きる力」「組織や科学技術は 大きくなると過信する」「人は忘れる生き物」を実感した
3/9にも 三陸沖で 7.3の地震が起きていたのか