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とにかく長かったけど、結構、すぐ読めた。
柔道って講道館しか知らなかったけど、高専柔道なるものあったんだなあ。格闘技好きなんでいろいろ勉強になった。
この本の事前調査の労力たるやかなりすごい。それをこれだけのページ数にまとめるのって想像を絶する。
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・あらすじ
木村最強!木村最強!木村かわいそう!同情しろ!
・かんそう
強い。でも、その身長で本当に強いの?今の時代の大きい人との戦いが見たいと思った。下巻が微妙だった。
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冒頭からの引き込まれ方がすごかった。絶対的ヒーローの力道山が崩れていく。木村政彦も他の人物も単に持ち上げるのではなく、人間らしい部分とともに忠実に書かれているので信頼性も高い。
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すごいなー。強かったんだろうな。そして、何にも興味のない僕にもガンガン読ませちゃうこの筆が驚き。ノンフィクションに大事なのは読みやすさ分かりやすさだけではなく、リズムやサスペンスでもあるということを感じさせてもらえた。筆者の情熱に浮かされたまま下巻にいこう。ところで、YouTubeで、初めて木村・力道山戦をみてしまいました。便利な時代。
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カタストロフィー=大きな破滅 介錯かいしゃく 猪熊功 キムラロック=腕緘み 力道山の空手チョップは見せ技 牛島辰熊 当て身 形骸化 前田光世=コンデコマ セメント(真剣勝負)含みの空気 大山倍達 砂利採り人夫 瑞鷹の酒蔵 阿蘇のカルデラ 肥後もっこす 強さに対する渇き 熊本の怪童 川尻駅 軍鶏の喧嘩 揶揄 鼈 蝮 動けなくなってからの稽古が「死の極限は生」という状態であり、本番で生きてくる 馬耳東風ばじとうふう バンカラ(ばんから、蛮殻、蛮カラ)とは、ハイカラ(西洋風の身なりや生活様式)をもじった語である。明治期に、粗野や野蛮をハイカラに対するアンチテーゼとして創出されたもの。一般的には言動などが荒々しいさま、またあえてそのように振る舞う人をいう。夏目漱石の『彼岸過迄』の中の一節にも登場する語である。 古流柔術の衰退 懐刀 北大予科 武徳会 柔道は武道ではなくスポーツであることをGHQへアピール 福音ふくいん 体幹の強さ 木村さんの技は殺し合いに使う技として鍛えられたもの 生きる為に、堕ちよ 坂口安吾 堕落論 喝破かっぱ 天皇制とは極めて日本的な政治的作品 堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。 肺結核の妻へ送った抗生物質 バーリトゥード(「何でもあり」を意味するポルトガル語) 日系コロニア カポエラ カルロスの弟がエリオ グアム島の横井庄一
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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上) - bookworm's digest
http://tacbook.hatenablog.com/entry/2015/03/14/100938
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「木村の前に木村なし、木村のあとに木村なし」と言われた伝説の最強柔道家、木村政彦。なぜ力道山に負けたのか、緻密な取材と丹念な資料分析で解きほぐされた真実。
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魂が震える。
木村政彦とは、戦前の柔道界で伝説となった格闘家です。とにかく強い。15年不敗。13年連続日本一、立ち技も寝技も最強、完全アウェーでのブラジル・マラカナンスタジアムでの勝利。そんな木村が、プロレスで力道山にボコボコにされます。
なぜか。そして、なぜ木村は力道山を殺さなかったのか。
その答えを探すため、著者は木村の人生を追いかけます。この人生、生き様がすさまじい。まさに鬼というべき練習、天覧試合等の記述は、強い男に憧れる男の魂を揺さぶります。しかしそれと同時に、戦争、プロ柔道、ブラジル遠征、力道山との一戦の記述は、木村の背負った哀しい人生を伝えてくれます。
この本は強く、哀しい男の物語です。
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これぞ伝説の男です。今をときめくグレイシー柔術に多大なる影響を与え、日本最強、もしかしたら当事世界最強だったかもしれない男の壮大なストーリー。最高です。
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第43回大宅壮一ノンフィクション賞、第11回新潮ドキュメント賞をダブルで受賞した作品である。『ゴング格闘技』誌上連載時(2008年1月号~2011年7月号)から話題騒然となった。ハードカバーは上下二段700ページの大冊である。単なる評伝に終わってなく、戦前戦後を取り巻く日本格闘技史ともいうべき重厚な内容だ。にもかかわらず演歌のような湿った感情が行間に立ち込めているのは、著者が七帝柔道の経験者であるためか。実際、増田は泣きながら連載を執筆し、「これ以上書けない」と編集者に弱音を漏らした。
http://sessendo.blogspot.jp/2016/10/blog-post_13.html
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柔道史上最強として知られる木村政彦を中心に、柔道史を大河小説的に描いたノンフィクション。
上下巻のボリュームに圧倒されるが、余談の多い歴史作家のような文章は、講談本のようにぐいぐい読者を引き込んでしまい、あっという間に読み進んでしまう。
タイトルを見た読者のほとんどは、力道山がプロレスの試合で裏切り、ヤクザに殺害された事件が話の中心と思うところだけど、上巻の時点ではその話はほとんど出てこない。
上巻のポイントは、平面的にしか知られていなかった柔道成立過程、つまり明治以降、古流柔術がスポーツ競技化されることで講道館柔道なっていった、というような単純なものでは無かったということ。古流柔術は昭和になってもまだ十分勢いがあり、競技団体としては講道館の他に、大日本武徳会と高専柔道があり、それぞれルールや元にした流派の違いから、まったく違う世界を持っていたこと。また、現在ではほぼ忘れられてしまった牛島辰熊や安倍謙四郎といった天才的柔道家について詳しく調べられていることなど。
修行者、武道家が刺激を受け、モチベーションを上げたい場合、これ以上の本はなかなかないと思う。何100年も前の歴史の中の達人たちの話ではなく、ほんとについ先日まで生きていた武道家たちが、今では考えられないほどの肉体と精神力を持ち、超人的な練習を行い、破天荒というより無茶苦茶なこと平気でやってたことを知ると、俗に言われている自嘲的な日本人論が非常に薄っぺらく思えてしまう。
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この本で初めて木村政彦という柔道家を知ったが、強さも逸話も伝説的。
13年連続日本一、250㎏をベンチプレスで持ち上げ、1日9時間の乱取り(スパーリング)、さらに空手やボクシングにも精通するまさに格闘技の「鬼」。
244ページの写真の人間離れした肉体を見れば決しておとぎ話でないと感じる。もはや「刃牙」の世界の住人。強い奴が大好きな男子にとってはかっこよすぎる存在。こんな男が本当にいたなんて!
最強の男が栄光を掴みながらも時代に翻弄されていく。全盛期を戦争に奪われ戦後は闇家業に身を投じる。思想も持たない、駆け引きもできない木村にとってこれほどの悲運はない。
そんな中でも豪快で柔道バカな木村の人間性も魅力的。
また柔道が元々、総合格闘技的な性質があったことや講道館以外にも寝技に特化した高専柔道、古流柔術の流れを汲む武徳会といった他流派の存在は新たな発見。
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柔道史上最強の男、木村政彦の生涯を追いかけたドキュメンタリー調の本書。
大正の時代に活躍した怪物柔道家、牛島に見初められ、柔道そして格闘技の世界へ入っていく。
木村の歩んだ遍歴の上には柔道そして格闘技の歴史がそのまま載っているため、近代格闘技の歴史を知る上でもとても良かった。
高専柔道というのが、帝大を中心に発達した当時、講道館と肩を並べる程の存在とは知らなかった。
上巻は時代の波に翻弄されながら、日本国内で最強の地位を確立する話と海外へ出始める迄の話。
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木村政彦、現代に、これほどの猛者がもう出現するであろうか?時代と師匠牛島辰熊により作られたものだか、悲しいながらも、その戦争という時代に大きく左右されてしまう。本書は単に木村一個人だけでなく、柔道史をも学べ、そこには未だ知られていない人物をも深く取り上げていて興味深い。
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現在、オリンピックなどで行われる立ち技・投げ技偏重の柔道は戦前の柔道とは違う。なぜかというと、戦後GHQにより打撃(当身)や関節技など相手を倒すことを目的とした技が危険視され、それらに秀でた流派が、ことごとく解散させられてしまったからだ。生き残ったのは「柔道は格闘技ではなくスポーツ」ということを訴え、立ち技・投げ技に特化し、競技性を前面に打ち出した講道館だけとなった。
確かに現在のオリンピックの試合をみても、投げ技と寝技、たまに絞め技しか見られず、関節技で決まったなんて試合はほぼ見られない。競技性を重視しているから、揉み合っていると「待て」がすぐかかる。
では、戦前の柔道はどんなものだったかというと、現在の総合格闘技のようなもので、世界を席巻したグレイシー柔術に、その典型が垣間見える。
立ち技の応酬から倒れ込むと、寝技、関節技の応酬になる。投げ技で一本を取るというより、寝技、関節技、絞め技で「参った」をとり、どちらが強いのかをはっきりさせる、完全決着を目的とした柔道だ。
その格闘技色の極めて強い戦前の柔道で最強を謳われたのが木村政彦だ。
「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と言われ、戦前戦後を通して全日本選手権を制覇し続け15年間無敗、全国の猛者たちがその栄光だけを夢見て集結した戦前における最大の競技会、展覧試合でも優勝して、全国にその名を轟かした。
戦後ほどなくして、木村政彦は、かつてグレイシー一族の長であるエリオ・グレイシーと敵地ブラジルで対戦し、腕固めでエリオの腕を折り完勝した。それ以降ブラジルでは「腕固め」の技の名称が「キムラ」と呼ばれるようになった。
当時の木村は間違いなく世界最強だった。
こんな逸話もある。
東京オリンピックでの柔道競技の代表選手選考において、ヘーシンク(無差別級金メダリスト)に対して誰を当てるかに散々頭を悩ました首脳陣は、誰を当てても勝てる見込みがないということで、現役を退いている47歳の木村を当てようと真剣に考えたことがあるらしい。木村は立ち技こそ衰えたものの、寝技に関しては現役選手をまだまだ凌駕していた。
それほど木村は強かったのだ。
ではなぜ、それほどの強さを誇った木村が今の日本人にはあまり知られていないのか。それは木村がプロレスに転向し、力道山と対戦したときにKOされてしまったからだ。
彼はなぜ柔道を捨て、プロレスに転向したのか、そしてなぜ力道山と対戦することになったのか。
この謎を追うことによって木村政彦の人間性があきらかになってくる。
上巻では木村の生い立ちと、「鬼」と呼ばれた師匠・牛島との出会い、そこから始まる師弟二人三脚での死闘と形容するしかない命懸けの修行の数々、そして悲願の天覧試合制覇へとドラマティックな前半生が描かれる。
女性が読むとドン引きするかもしれないが、男なら感動する。もし感動しない男がいたら、自身の胸中に問いかけた方がいい「もし���して、あっちの気があるのか?」と。それぐらいすごい。
もし、木村の柔道が連綿と受け継がれていたなら、総合格闘技隆盛の現代に於いて、日本は格闘王国となっていたに違いない、とひしひし感じる。