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3年以上が過ぎてやっと読めた1冊。
あの黒い波の下に飲み込まれていったたくさんの命と、そのために奮闘した人たちのことは絶対忘れちゃいけないと思う。
その場にいなかった身としては、そんな陳腐な感想しか述べられないぐらい、圧倒的な現実。
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東日本大震災でノンフィクション。遺体安置所の体育館での話。実際にそこでしか聞けない体験出来ないことが詳細に書かれている。もし自分がそこにいたらそんなに強くできるだろうか。
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東日本大震災でたくさんの方が津波被害で亡くなられたが、どのように発見され、身元特定され、火葬まで至ったのか。未曾有の災害で町のあちこちに遺体が散見し、市井の一般人が「遺体が至る所に転がっている」光景を目にするのは先の大戦以降なかったという。
遺体安置所のキャパの問題、遺族の心のケア、混乱の中で誰が取り仕切るのか、弔いとは、身元不明の遺体は… 震災からある程度時間が経たないと語ることができなかったであろう内容。
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面白いかと問われれば決して楽しいお話しでない。
しかし日本人として、現体験として東日本大震災を体験した自分としては読んでよかったと思う。
感じたのは日本人の無私の心意気です。関東圏に住みある部分では正直他人事な部分もあるなかでこうゆうレポートを読むと日本人であることに誇りのようなものを感じます。多分に自分勝手ではありますが。
あのような極限状態のなかでも人のため、社会のため、人の死に真摯に向き合うその個々の人々の自発的行動に誇りを感じます。
ふりかえって自分に出来たことがあったのかもとも思います。強い人間になりたい。日本人の誇りを行動で伝えていきたいと、大袈裟いにいえば思いました。
そして今生きている自分の尊さを再認識しました。
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本書は、2011年3月に発生した東日本大震災において大きな被害を受けた、釜石市の遺体安置所を舞台にしたルポ。あの日奪われた統計学的な数の命と、この世に残されたおびただしい数の遺体。それらは大きな混乱と悲しみの中で、被災者自身の手によって供養され、葬られた。このことは、大手メディアによって詳しく報道されることはなかった(と思う)。
著者・石井光太は、震災後すぐ遺体安置所に入り、そのあまりに過酷な現実をつぶさに観察した。遺体回収にあたる自衛官や市職員、検体にあたる地元の開業医たち。もちろん彼らが顔見知りの変わり果てた姿に出会うこともしばしばだ。その悲しみは、想像することなど決してできない。
遺体のほとんどは、津波の圧倒的な威力によっては破壊され、徐々に腐敗していく(津波火災による焼死体も多かった)。そんな中で遺体ひとつひとつに声をかけ、遺族に寄り添いつづけたある民生委員の行動は、悲劇の中にあって大きな救いとなった。
関係者の献身的な行為の根っこには「今、自分のできる役割を果たす」という素朴だが、強い信念があった。はたしてその場において、なにができたか?問うほどにただ、胸が締めつけられる。
自然災害によって、突然に命を奪われた人たちの無念ははかりしれない。同時に、残された遺族の悲しみと同化することも不可能だ。僕はあの時、ただ祈ることしかできなかった……。
残念は「念が残る」で、無念は「念が無くなる」。死にゆく人間の想念は消えてしまうが、残された遺族にはさまざまな想いが残る。残念/無念という言葉は、死者とそれを見取る側の関係の相対性を浮かび上がらせる。普段何気なく使っている日本語にも、深い含蓄があるように感じた。
人間は死に直面することではじめて、本当に大切なものを意識する。「メメント・モリ(死を思え)」は、常に死に意識的であることで物事の本質から目をそらしてはいけない、ということ。ある日突然訪れる死に対して、日々を後悔なく生きることは、はたして可能だろうか。
先日、若くして亡くなった先輩の一周忌があった。彼自身、突然に自分の身に降りかかった死に、無念でならなかっただろう。そして残された僕らの心には大きな穴がぽっかりを空いたままだ。
死からは決して、逃げることはできない。だからこそ、ひとつひとつ過ぎていく日常の時間を大切に……そんな当たり前のことを繰り返し、繰り返し、何度でも発見していきたいと願う。本書は、そんな気づきを与えてくれる稀有な書物だといえる。
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僕の持っていたイメージでは被災者は冷静に対処して大きな混乱もなく海外からも賞賛されているというものだが、この本に書かれている人びとは冷静な人ではない。人びとは変わり果てた町に絶望し、最愛の者を失って泣き叫び、行政への不満を爆発させ、生き残った事を後悔した。普通の反応だ。
自衛隊員、警察官、市役所の職員、医師らは罵声を浴びながらもひたすら自らの職務をした。当然彼らにも気掛かりな家族はいるが自分のことより職務を優先した。こういう自己犠牲の精神で働く無名の公務員は日本の誇れることだと言える。
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東日本大震災を取り上げた、2011年発表のベストセラー。2014年文庫化。2013年には西田敏行主演で映画化された。
震災後の岩手・釜石の遺体安置所をめぐる極限状態を、自ら現地へ入り、地元民生委員、医師、歯科医師、市職員、消防団員、陸上自衛隊、海上保安部員、地元住職、市長らと行動を共にして綴った、壮絶なるルポルタージュであり、マスメディアでは絶対に報道されない、最も凄惨な現場の描写には、なんとも形容しがたい、胸をえぐられるような思いである。
一方で、本書は2012年の講談社ノンフィクション賞にノミネートされたものの、著者の過去の海外ルポの小説的文体を使った手法があまりに「フィクション」的と、立花隆氏や野村進氏らの選考委員から批判を受け、受賞を逃している。特に、野村氏からは「海外ものなら、どんなに作り話を入れてもバレっこないとでも思っているのかなあ。この手法を認めてしまうと、誰も海外取材はしなくていいという結論になってしまいますよ。取材困難な箇所は、全部創作で埋めればいいわけだから」と辛辣な意見が出たという。
私は、2013年に著者の講演会を聞く機会があったが、その若さ(1977年生)ゆえか潜在的な尊大さが見え隠れしていたのも事実であり、ノンフィクション好きであるにも係らず、著者の他の作品には手が伸びない。
ただ、本書が未曽有の大震災において報道されることのない事実の記録として、手に取る価値のある作品であることは間違いないであろう。
(2014年3月了)
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あれから5年。報道されない闇の部分がここにはありました。闇と言ってはいけないのかもしれませんが日常では到底ありえない現状がここにありました。
誰しもここに登場してくる人物になる可能性があります。もしそうなったとき自分は・・・・っと思いつつ読み進めました。
昨今ではますます、「死」や「遺体」などに接する機会もめっきり少なくなり。しかもイメージも悪くなってきている日本ではありますがここに登場している人たちはとても「死」に対し懸命に向かい合い尊重していました。とてもそこに感銘を受け自分もそうでありたいと思いました。ただたぶん今以上に「死」というものから遠ざけられていく今後の世代に同じようなことを期待していくのは現状ではなにか不安を覚えます。
そんな時代です。この本はとても良いレポートなのではないかと思います。
しかし、このレビューのために「遺体」で検索かけてみましたが結構、面白そうな本が引っかかるんですね。
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2度目の読了
土葬、火葬についての下りをもう一度読みたくなった。それぞれの生き方、社会貢献の仕方に頭が下がる。
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津波が来た、人が死んだ、街が壊れた、復興が大変。結局、震災に関してはそれらの断片しか知らなかった。
本書では、震災直後の混乱の中で、必死に何がしかをなそうとした釜石市民の動きと感情、そして被災の無残さをありのままに伝えてくれている。地元民の混乱と無念さと必死さに胸を打たれて、幾度となく涙しながら読んだ。
そしてまた、自分の中では何がしかが起きた時に、本来ならやらなくてもいいことであっても、自分にできることをやろう、自分のことだけでなく他人のことでも、と思った。
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一昨日前に叔母が亡くなった。お通夜と告別式にバタバタと出席した後はポカンと心に穴が開いた感じ。終始涙が枯れることがなかったが、それは綺麗にお化粧を施された叔母の顔を見て、生前を思い出すからだった。そんな綺麗なお化粧を施してくれるのが納棺士であり、あの静かで美しい所作が叔母の最期を彩ったのだ。
自分の最期は自分では選びとれない。選びとれない以上、周りの人間がどれだけ気を配れるかが大切となる。本書は劣悪な環境、精神状態ながら、圧倒的なプロ意識で遺体に向き合う職人たちの話である。
本書に描かれる遺体は、叔母のそれとは比べ物にならない程状態が良くない。ただ良くないながらも、手を抜くことなくベストを尽くそうとする職人魂に支えられ、それぞれの形で旅立っていく。そんな様子が描かれている。
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29年12月22日読了。
2011年3月11日14時46分。この時間を境に東北の多くの人の運命が変わった。災害死した人。生き残った人。でも生き残っても、死はすぐ隣にあった。家族、親戚、近隣。間近にいた人が一瞬にして死者となった。
そして、その死者を回収搬送し、検案歯科所見し、安置し、火葬する。死者の尊厳を第一に考え、前代未聞の自然災害の事後対応に当たった多くの人々。
復興はなったとも言われているが、未だに行方不明の人、身元不明の人の存在を忘れてはならないと、強く思った。
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描かれている遺体の凄惨な状態に呆然としながらも、奮闘する人々の様子がリアルで、臨場感に溢れていて、あっという間に読了してしまった。
元葬儀屋の男性が、ご遺体に、今も生きている人に対峙するように話しかける様子が胸を打った。
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何冊か、東日本大震災に関する書籍は読んで来た。
しかし、今作はタイトルにもある通り「遺体」に焦点を当てた小説であり、未曾有の大震災で溢れた遺体をどう対応するか?その対応だけを淡々と綴っている。
この手の本を読む時は、大体感情的になり、泣いてしまうことが多いのだが、今作は遺体への対応策を淡々と綴っているだけので、悲惨な体験であることは確かなのだが、事実として、しっかりと受け止められるのが、特徴的。
今までは宮城県側のルポを読むことが多かったが、岩手県側でのこれだけの被害もきちんと受け止めていきたいと思う。
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東日本大震災で甚大な被害を受けた三陸の町々。
本書は岩手県釜石市の震災直後の様子を綴ったものである。
中でも「ご遺体」を巡る人々の様子に焦点を当てている。
検視を行った医師たち、ご遺体の搬送に関わった市職員たち、ご遺体の供養のことを考えた僧侶たちなど、あの混乱の中でそれぞれの場所・それぞれの立場でどんなことが起きていたのかを丹念に追いかけている。