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フッサールの現象学が、17世紀以来の哲学的認識論の問題設定に対してどのように格闘してきたのかということを明らかにし、さらに英語圏におけるフッサール解釈上の議論や言語哲学の諸成果などを参照しつつフッサールの志向性理論の意義を明らかにしている本です。
著者はまず、フッサールの提唱する現象学的還元について考察をおこない、彼の「内在主義」の立場が近代認識論における観念論とは異なることを明確にしています。そのうえで、フッサールの志向性における「作用・意味・対象」という三項構造に立ち入って、その意義についての考察を展開しています。
東北大学の野家啓一門下のフッサール研究者たちは、分析哲学や英語圏のフッサール研究を参照しつつ議論をおこなうことがめだつように感じているのですが、本書もその例外ではなく、ノエマの概念をめぐるいわゆる西海岸解釈・東海岸解釈の対立に立ち入るとともに、その両者の対立を調停して、現象学の志向性理論が切り開いた認識論の新しい地平を示しています。さらに、いわゆる記述理論に対する指示の因果説からの批判などにも目配りをおこないつつ、フッサールの「内在主義」がそれらの議論の対立を乗り越える可能性をもっていることを論じています。
フッサール解釈をめぐる専門的な議論にも踏み込んでいますが、非常に明快な文章でそれらがなにを問題にしているのかということをわかりやすく整理するとともに、著者自身による新たな解釈の可能性を説得的に示しているように思います。また、一見多岐にわたって議論がおこなわれているようですが、著者のフッサール解釈の核心は明瞭であり、全体を通じて統一的なフッサール像が示されているという点でも、本書の議論はフッサールについてあまり専門的な知識をもたない読者にも理解しやすいと感じました。