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伊藤計劃、宮内悠介の流れを汲む、壮大な人類補完計画!という印象を受けたが、巻末の解説を読むとあながちその印象も間違ってはいないのだな。
ツインテールの金髪美少女。
ゲームやアニメなどジャパニーズポップカルチャーがその計画の象徴であり、特に中盤からのキービジュアルとなっているあたりが(実際に挿絵はないが)、1970年以降生まれの作家が書いたという感じがする。
同年代のオタクな私が手にとるわけだww
でもラノベじゃない、文学作品。萌え要素なしww
感情移入してドキワクする展開ではなく、エンターテイメント性は低い。私にはやや難解な部分も。
世界観は好き。
それこそ、この作品のスピンオフを望むww
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単純労働の担い手として、代理戦争の兵士として、昏い欲望の捌け口として、亜人たちは消費されていく。その犠牲と巧妙な階級制度の導入で人類は"絶対平和"を確立した。しかし…。
"絶対"を冠したものは"崩壊"の予感を内包する。社会システムの歪みから溢れ出た人間性が暴力の奔流となって、世界を大厄災へと導くのだ。
『HISTORIA』シリーズの前日譚。
生き残るために争うことが生命の本質だとしたら、暴力の否定は"人間性"をも否定してしまうのだろうか?
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亜人。キメラ。遺伝子操作。SF。ファンタジー。
なかなか独特な世界観は魅力的。
しかし、自分にはやや難解で盛り上がりにくく感じる。
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56:これを「グアルディア」より先に読みたかった!!(涙)仁木さんはどうやら「この歴史」の作品をずっと書いていらっしゃるらしく、「グアルディア」で「?」だった部分の多くがクリアになりました。文章そのものもこなれてきて読みやすいし、しかもめっちゃ面白い! 仁木作品ビギナーさんはこちらからどうぞ。
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病院と自宅の往復ですが、時間はまだあるので、先日「ミーチャ〜」の再読を終えたところです。
情報量が多いので、1回目読んだときは筋を追うので精一杯でしたが、2回目でやっとこさ、もう少し掘り下げられたかな、と感じました。
絶対平和が破られたのは、「彼女」に蓄積した悪意や憎しみがばらまかれた結果であり、ただ、絶対平和自体も、新人類が賢く穏やかになったためではなく、亜人の犠牲という危うい均衡の上に成り立っていたとやっと理解が追いついた感じです。
個人的に感情的に「好き」というか、設定が興味深いのは「世界樹〜」の「彼女」です。
昔から「免疫」に興味がありました。
脳の認知機能や記憶が作り上げる「自己/非自己」の弁別ではなく、文字通り細胞レベルでの「自己/非自己」を学習し、外敵を撃退するためのシステムとして。
それがキャラクターとして具現化出来ると思っていなかったので、「彼女」はかなり衝撃でした。
友達にはなりたくありませんが…
私のSFの好みにはかなり偏りがあり、ディストピアとサイバーパンクがメインです。
なので、「ミーチャ」から「show must go on」での舞台のディストピアである「絶対平和」も、人間がみな聖人君子になったわけでなく、階級制による統制と亜人の犠牲の上に成り立っているというのは「あ、なるほど」となりました。
かりそめの平和でなく、人間性の復活を、というのがディストピアの一つのテーマですが、そこでうたわれる「人間性」というのを表すのが「平和と友愛」ではなく、「暴力とセックス」が多いな、と。
「1984」でも「すばらしき新世界」でも「平和」を突き崩したのは「女性との関係」でしたしね。
「show 〜」でも、人間同士の直接的な暴力はなくなったとしても、創造の源泉として「悲劇と暴力」を人が欲し、それを贖うために亜人の犠牲が必要不可欠であること。
「他者の悲劇or不幸」を週刊誌的なゴシップとして消費するのか、芸術作品として昇華するのかは程度問題として、 「他者の悲劇or不幸」をカタルシスを得るために観客が搾取していること、だが、搾取している側は多かれ少なかれ、それに対して無自覚であること。
その無自覚さが実は一番、恐ろしいな、と感じました。
多かれ少なかれ、意識的であれ、無意識的であれ、人間が「他者の悲劇」を欲していて、それを供する側が手段を選ばなくなっていく、というのは「スピードグラファー」の水天宮の少年兵のエピソードでも印象的でした。
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「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」★★★★
「はじまりと終わりの世界樹」★★★
「The Show Must Go On!」★★★
「The Show Must Go On,and…」★★★
「…'STORY'Never Ends!」★★★