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自身のアウシュビッツ体験を、長い沈黙の後言葉にした、哲学的な深みのある思いを綴った物。神はその時何処にいたのか?
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<アウシュヴィッツの空の青さ。>
アウシュヴィッツを語りながら、不思議なほど静かな本である。
著者はユダヤ現代史・ナチズム研究を専門とする歴史学者で、ヘブライ大学の名誉教授である。
幼少時にアウシュヴィッツ・ビルケナウに収容された経験を持ちながら、本書が出るまではそれに関してほとんど語らず、同僚でも知るものは少なかったという。
心に秘めてきた思いを50代になってからテープに向かって語り始めたものが本書の元になっている。中年から初老に向かう男性が11歳の頃を思い起こす省察である。個人的な色を帯びつつも、普遍的な真理へのまなざしは、深い洞察を孕む。
淡々とした語りに、著者が撮ったかまたは他の出典から引いたモノクロ写真が添えられている。
著者はチェコの小さな街に生まれた。ナチス台頭に伴い、テレージェンスタットの収容所に入れられ、後にアウシュヴィッツに設けられた「家族収容区」と呼ばれるいささか特殊な性質の収容所で過ごす。戦況が進み、ソ連軍の進攻が迫る中、ナチスが強制的に収容者を移動させた「死の行進」も経験している。
「家族収容区」は、ある種、カモフラージュのために作られた施設で、赤十字の視察をかわす偽りの「人道的」収容所だった。そこでは家族は離ればなれにならず、髪を剃られることもなく、「選別」されてガス室に送られることもなく、子どもには教育も行われていた。
但し、それはもちろん目くらましのための一時的な措置であり、半年後には逆に「選別」なしの最終手段が取られて新しい家族が入れられたし、赤十字が「納得」して去った後には、必要がなくなった「家族収容区」は撤収されることになった。
この地で過ごした際の11歳という年齢ゆえだろうか。
それともそれまで十分に満たされることがなかった「学びたい」意欲がここで曲がりなりにも叶えられたからだろうか。
著者はこの地に対し、郷愁すら覚えている。
思い起こすのは、アウシュヴィッツで見た非の打ち所がない「青空」。
重ねるのは、エルサレムの「慈悲の門」。
そう、アウシュヴィッツは少年にとって、ある種の「聖地」だったのだ。
その地が絶望的な「死の掟」に支配されていたにもかかわらず。
そこから立ち去るには、煙として立ち上るしか術がないと言われたにもかかわらず。
そこで見た完璧なまでの真夏の空は、何十年を経ても、少年の心から去ることはなかった。
絶望的な悲劇の中に、それでもなお「ある」美。
それに気づく以上の力が、ほかにあるだろうか。
もちろん、少年にこの地が傷を残さなかったわけではない。
長じて成人してもなお、見続ける悪夢がある。
心を去らぬ1つの問いもある。「そのとき、神はどこにいたのですか」。それに対するラビの答えは「その質問は永遠に禁じられている」である。
そこから広がるカフカへのシンパシー、そしてヨブ記に関する考察。
著者は、丁寧に冷静に思考を重ねていくのだ。たとえ、答えの出ない問いであっても。
著者はショアーに関する文学や芸術作品への接触を極力避けてきている。��うしたものに触れた際には、「疎外感」を感じてきたという。
この作品に漂う空気からは、それが無理からぬことに思える。
絶望の地でもなお、「美」を感じ、見出すこと。
暗黒を抱えながらも虚無に呑まれないこと。
丁寧に、一歩一歩、出来うる仕事を成し遂げていくこと。
それこそが、底知れぬ「悪」に対してあらがう、静かな、しかし確かな「武器」なのかもしれない。
遠い「死の都の風景」を思う。
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少年の日にアウシュビッツで見たまばゆいばかりの夏空とその青さー 著者の語るアウシュビッツは、幾多の書物で語られてきた悲劇や暴力、苦痛は背景にしりぞいているかに見える。とはいえ、静かで淡々とした回想と思索は個人的なものであるがゆえに読む者の心を揺さぶる。ああ、それにしてもアウシュビッツで子供時代を送るとはどんなことなのだろうか。想像するに余りある。