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斉藤孝先生の自伝のような気がする本。
本を読む前は、教養=知識だと思っていたので、教養とはなんぞやを考えて読めた。また、今後の人生の参考になる本や音楽を知れた。
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リベラルアーツは、リベラル=自由、つまり自由に幅広く教養を身に着ける時間を非常に大切にしている。
人生について悩んだり苦しんだりしているときほど、助けになってくれるのが教養。
孤独の中で出会った教養は深く入り込み、精神として自分の中に住み込む。
すごい、すごすぎる、と言ってみる。
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教養は心の免疫力。
教養は選任の残してくれた文化を吸収して自分の栄養にし」血や肉に変え自己形成していく行為そのものなのだ。
教養力とは、また引用力である。
人生を豊かにする支えの一つが教養であるという本。
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教養というとらえどころの薄い、分かっているようで分かっていないものに対して、非常に分かり易く、しっかりした説明をしていただいています。
教養とは何で、何故必要で、どのようにして身に付け、使うのか。先人の知恵(本であったり、音楽・芸術)を理解し、身に付け、引用できることで、教養を身に付けると言えます。それが自身をどれだけ強くしてくれるのか。現代のアンチ教養ともいえる風潮も感じられる中、教養の重要さを熱意をもって語られています。
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日本人の教養についての興味関心が戦後から下降線を辿っている。確かに日常で教養を求められることはないから、身に着ける必要性も感じない。むしろ教養をひけらかそうものなら、鼻に付くやつだと見做されかねない。
現在持て囃されているのは手軽で理解しやすいPOPカルチャーだ。しかしそれだけではどうも寂しい気がする。ドストエフスキーの小説など確かに簡単ではないが、作品から溢れるエネルギー、読み切ったときの達成感はライトノベルでは味わえない。教養とは堅苦しいものではなく、人生をより面白いものにするツールなのだ。それは本だけでなく、音楽や美術などでも本物に触れたときに感動できるように教養を身に着けたい。「アニメも好きだけど、クラシックも絵画も好き」というようにアンテナをたくさん張れるようになりたい。
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周りの人たちの常識に惑わされず、齋藤先生の言葉を信じて、あらゆる教養を取り入れることに自分の時間を費やそうと思います。
大学生である今のうちに難しい作品を読む体力をつけようと思いました。
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学力でもなければ雑学でもない、教養力。
魅力的だなと思う人がもっているのはこれだったと初めて気づいた。
「教養力とは心を支え人間を豊かにしてくれるもの」なるほど。
旧制高校の「カラマーゾフの兄弟の中で誰が好きか」というエピソードはすごい。そんな所に身を置くのは相当大変だと思うが、若いうちにそんな経験ができるのは幸せなことだ。
本著では読みたいと思う本が何冊も紹介されていた。
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一生ガンダム世代でいいのか?
アニメを繰り返して見るのも良いが、ひとつの楽しみで終わらず
他にも沢山面白く深みのある本が沢山あると
教えています。
まず、カラマゾフの兄弟を読んで見ます。
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齋藤孝さんは本当に教育熱心ですね。 いい男、いい女になるためには教養を身に付け続けることが大切なのだと改めて感じました(笑)。
詳しくはブログで。
http://blog.livedoor.jp/masaathlon/archives/14618605.html
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西洋では聖書、日本では論語。教養は心の指針となり、心の免疫力になる。
シェークスピアのマクベスを読んだ人なら、ズルしてでもお金を設ける話が出た時、王を殺して王になったマクベスが、その王の亡霊に悩まされ滅びたことを知っているので、的確な判断ができるでしょう。
古典や名作には難解な部分があるが、退屈さを乗り越えて以前はわからなかったけど、わかってみるといい、となる。お酒、音楽、絵画、骨董、着物など全てに教養が求められる。
マナーはいい若者、でも心の内面に奥行きがない。性格や気質、生活ぶりは出てきても、ほかにはなにも出てこない。人間の厚みは自分のなかにどれだけ偉大な他者が住んでいるか。ドフトエフスキーの罪と罰や、シェースクピアのマクベスやハムレットと一緒に、悩んだ分だけ深さのようなものが感じられる。それをくぐってきた人は、人間の大切な人生の問題を一度深く考えたので、次のバイトの心配だけをしている人より人間に厚みがでる。
「いまの君のままでいい」では人間的な厚みが出ない。同年代の水平な関係だけでなく、深い、高い文化に触れることで、いい、優しいという「気質」だけの人間ではなく、深みのある人間になる。
精神的に辛い時期にある人の方が、芸術に触れた時の浸透力が高い。著者が、浪人時代「シーシュポスの神話」を読んで、不条理に屈せずに何度でも持ち上げる主人公を見て、現在の状態や運命は常に不条理だけど、自分の未来は自分で決める、つまり、「受験をすると決めたのは自分だから、ベストを尽くして、結果はどちらでもかまわない、結果を受け止めよう。それが実存主義だ」と思えた。落ちたらまた自分で未来を切り開けばいい、と。
教養力とは引用力。本全部を理解しなくてもいい。どれだけ普段の会話に引用できるか。(じゅんごさんの論語や兵法につながる!)
著者もカラマーゾフを読破した時は、一つの山を制覇したような充実感を得た。難しいし長いけど、人類にとって最高の小説といわれる作品を読んだという自信で、それ以降どんな小説も怖くなくなる。
基礎を身につければ世の中のいろんなものが面白くなってくる。「ソクラテスの文明」「セザンヌ物語」こんな人間がいたんだと感じ、自分の中に偉人を取り込むことで豊かに、強くなる。
すごい、すごすぎるよ、モーツァルト!と、常に心をインスパイアできるI am readyの状態にしておくこと。ビジネスにしても、変化し続ける時代に、このインスピレーションが大事になってくる。これに触れたからもう死んでも悔いはない、と思えるような、感動の一瞬があればそれでいい。
奥が深くて、一生使ってもたどりつけないと思った時に、人は人生を幸せだと思える。イチローはバッティングほど難しいものはないと言っている。その奥深さを知るところまでたどりつけたら幸せだ。
優れた人の語りを聞くのも、教養を身につけるのに有効。雑誌のインタビュー「プロフェッショナルの流儀」「論語」「ブッダのことば」「ソクラテスの弁明」など。
夏目漱石の後継者で、軽さ読みやすさを加味しても深みを失わな��のが村上春樹。軽くて深いというのは重要。井上陽水も。
素養とは教養以前のもの。論語を寺子屋で復唱するなど、身体性ももつ。禅もそのひとつ。今ではほとんど理解されていないので、精神文化の柱を何本も失った日本人の心は弱くなっている。禅の素養を取り戻す必要がある。
これからは知性と完成が一体化している人間が求められる。今は心が肥大化して存在の全てになってしまいがち。本来身体(習慣)と精神(精神文化)の上に心がのって、心を支えていた。型が大事。精神文化には先人たちの知恵がつまっている。それを丸ごと型として自分の中に落とし込む。サッカーでも一流の選手ほどプレーの幅が広い。身体的な技術が次のクリエイティブなプレーをうみ、幅を広げている。身についているワザを組み合わせれば自ら何かを生み出せる。
1、知っているレベル
2、引用できるレベル
3、ワザとして身についているレベル
型をつけるのはそんなに難しくない。気に入った本を一年間持ち歩き、なにかにつけて声に出して読んでいれば完全に身につく。できれば偏らず、論語、トルストイ、モーツァルト、のように幅広くもちたい。
外を流れている水は様々だけど、自分の中には常に変わらない地下水脈があり、それに接すれば必ず喉が潤う、という安心感。ネットにはなくて良書にあるもの。
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教養とは何か、自分で考えて答えを出さないとみにならない。ただし、学校教育で、教養力の基礎を築くことは早道だと思う。そこまで意識してなかなか取り組めないのだが。。。
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「あなたの中に偉人は何人いますか?」
自分の中に偉大な人たちの思考をインストールしたいと思って、読書をしている人にはいいかもしれないです。
読書はコスパ最強の勉強法だなって改めて思いました。
「あなたの中に偉人は何人いますか?」
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「教養なんてそこまで知らなくてもよくない?」と思っていたことが恥ずかしく感じた。そうとしか思えない自分の世界の小ささを知らないだけだった。そして、世界を広く知るためだけではなく、世界を広く知ることがいかに自分の中の力になるかがよく分かった。
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本をたくさん読んで、もっと知識に触れたいと思った。多くのことを知ることで、もっと視野が広がり、自分の世界も広がると思った。勉強したいと思わせてくれた1冊
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人間の厚みは文化の厚みによってできる。
それを構成するのが教養で、教養とは古今東西年代問わずの知識であり、役に立つにかかわらずに身につけるべきもの。
最近のコミュニケーションは、自分と同じ立場の人間と関わる水平的なものが多い、垂直なコミュニケーションが大事という言葉が印象的だった。
偉人の言葉を知り、心に偉人を宿らせることが大切らしい。