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良い本です。
ノンフィクション作家の柳田邦男が心を込めて書いた本。
9歳の時空襲に恐怖し、戦後10歳で兄と父を相次いで亡くし、その後NHK記者として、ノンフィクション作家として、原爆被爆者、災害、公害、大事故を追ってきて、常に生と死について考えてきた筆者の自伝的死生観。
「自分の死を創る」境地に至った。
しかし、特に57歳の時に25歳の次男が自死したことが、大きな衝撃だった。一人称の死、二人称の死、三人称の死・・・意味と大きさが全く異なる。
河合隼雄からも多くのことを学んでいる。当然ユングの言葉も少し出てくる。
死とは人生という交響曲の最終章であり、それをどう完成させるかという大事な問題なのだ。
現在の医療に対する批判も鋭い。
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幼少期、記者時代から数多くの「死」に立ち会ってきたことが、著者の死生観に大きな影響を与えている。彼の人生がこんなにも苛酷だったのか、を考えると、まさに心がつぶれる思いです。奥さんの精神病、息子の自死と、壮絶な人生だったのだと思います。辛くて読み通せてないけれど。
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5月に文庫版が出ていたので手に取った1冊、柳田 邦男『僕は9歳のときから死と向きあってきた』。
ご自身の息子さんの自殺/脳死について語った『犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日』をはじめ、柳田 邦男さんの生死に関わる本は幾つか読んでいたので、総まとめのような形で読めた。
死を創るための学びの大切さについて考えさせられる。
また二人称の死について、グリーフ・ワークの意味を考察されている。
グリーフワークについては『グリーフ・ワークとは、消すことのできない悲しみや辛さをかかえながらも、生きようとする意思がしっかりと自分をコントロールできるようにする作業なのだ』と説明されている。
また、ヘミングウェイの言葉が印象深く紹介されている。
『一人の人間が死ぬということは、その人を愛する者の心の中で、同時に何かが死ぬということなのだ。誰がために鐘は鳴ると問うなかれ。それは遺された者のために鳴るのだ。』
死の人称性についての言及から、「2.5人称の死」への到達。「死の臨床」の紹介など医療に携わるもののありようについても考えさせられた。
少し驚いたのは、自分の心の座標軸として、こう書かれている。
『私の心には自分の境遇を幸福か不幸かという次元で色分けする観念も意識もない』
・・・たしか(記憶が曖昧だが)、青山繁晴さんも同じようなことを言っておられた気がする。
柳田 邦男さんはこうつづけられる『あるのは、内面の成熟か未熟かという意識だ。そして、内面において様々な未成熟な部分があっても、あせることなく、人生の終点に到達する頃に、少しでも成熟度を増していればよしとしよう。』
河合隼雄先生との交流も、他書と同様に大切に語っておられる。
これも、対談本が出ているのでそれを思い出しながら読んだ。
科学的な説明だけではおさまらない、死。
物語ることの重要性も強く感じた。
『胸に刻んだ言葉というものは、人生の歩数とともに、内実の変容をも加えて、成長し、膨らみ、成熟していく。』
このことば通り、柳田さんのん演題を経て変わってきたもの、変わらないものがこの1冊に凝集されていると感じた。
また、他書もじっくりと読み直してみたい。
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【内容(「BOOK」データベースより)】
幼少時に体験した空襲の恐怖。「原風景」となった敗戦直後の兄と父の静かな病死。ジャーナリストとして調査報道で向きあった原爆や水俣病災害、薬害、航空機事故の被害者たち。尊厳死という選択、「がん」で死ぬことへの考察。そして次男の自死―。幾多の死を見つめ、「現代におけるいのちの危機」に取り組んできた著者が、半世紀をかけて綴った「生と死」を巡る仕事の集大成。
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【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
柳田/邦男
1936(昭和11)年、栃木県生れ。’95(平成7)年『犠牲―わが息子・脳死の11日』とノンフィクション・ジャンル確立への貢献が高く評価され菊池寛賞受賞。災害・事故・公害問題や、生と死、言葉と心の危機、子どもの人格形成とメディア等の問題について積極的に発言している
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【目次】
はじめに
1 私の「生と死」の原風景―小学生時代から大学生時代まで
2 「自分の死を創る」時代への気づき―四十歳代の死生学事始め
3 私の尊厳死への思い
4 息子の自死に直面して―五十七歳の夏の衝撃
5 河合隼雄先生から学んだこと
6 この困難な時代の中で
7 「色即是空」との歩み、そしてこれから
おわりに
文庫版あとがき
出典一覧
「使命と宿命」徳永進
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空いた時間にちょこちょこと読みつないで、最後まで読みました。読んでいると中の文章がジワジワと浸透してくる感じがします。
多くの死とそれにまつわる経過を記録していた筆者の死生観が伝わりました。
特に私は、「成熟」と言う名の座標軸 という題がつけられているところを何度も読み返しています。亡くなった人と、それからを生きている人の間に生まれる「意味のある偶然」の文が好きです。
他を読み返し、文を追ってくると静かで荘厳な何かがすぐそこにいるような気がします。
読んで良かった本です。
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80歳近くになった著者のやってきたことの振り返り、繰り返しの書。近年、ホスピスや緩和ケア内科も目にし出した。著者がいう2.5人称の実践の場なのだろう。目をそむけずに死について考えることは、いかに生きるかにつながること。身体の衰えとは反比例的に精神の成長が図れれば充実した老後も送れる。2019.5.22
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柳田邦男「僕は9歳のときから死と向きあってきた」
内容については、5月12日付のFUTANさん日記を読んでいただけましたらご理解いただけます。素晴らしい内容でした。
さて、70年代半ば、高校生の時、文藝春秋だか中央公論だかに、この柳田邦男さんが「ノンフィクション作家」として投稿をしていました。
で、高校の現代国語の授業で民俗学者の柳田國男が出てきたので、授業後に先生のところにいき、ノンフィクション作家の柳田邦男とは関係があるのかと質問しました。
先生は、柳田邦男をご存じありませんでした。
先生は、「その人は成城大学を拠点にしているのか?ならば関係あるのかもしれん」と。
柳田くにお、というと、それを思い出します。