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キリスト教文化圏以外の国でワールドカップを制したのは、なでしこジャパンだけらしい。サッカーにおける「個」と「組織」の違いをキリスト教文化か否かという視点で捉えている。
キリスト教文化圏では、個人の尊厳が大切であり、個人が社会を作る。一方日本では、個人の尊厳に対する考え方が比較的希薄であり、社会が個人を作る。この様な考え方の違いがサッカーに現れているという論点が面白い。
十分な検証がされた内容とは言い難いが、ワールドカップの時に湧き出てくるにわかサッカーファンに対して十分使える蘊蓄であると思う。
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「メッシと滅私」
個か組織か。
サッカーで勝つ為には、個を重視すべきか組織を高めるべきか。それは、国によって違うだろうが、勝つ為には、2つとも必要だと思います。しかし、どちらか1つしか選べないなら、個。なぜなら組織は個の集まりなのだから、個を考えなければ、組織を構築出来ないし、個を活かせば、強い組織を作る事が出来ると思うからです。
例えば、アルゼンチンはメッシと言う個をディマリアとマスケラーノを中心とする組織が活かす事を徹底したチーム構成になっていたけど、その組織は、個の力が無ければ、成立しなかったと思います。本大会のメッシは、敵のマークを外す動きの少なさや守備へのアクションの弱さ、等攻守におけるプレーの安定感はイマイチだったのだから、組織が高レベルで構築されていなければ、決勝まで行けなかった(あくまで私の意見)。
その組織の中心にいたマスケラーノは、恐ろしい程の危機察知能力にボール奪取力、カバーリング、スピード、等を備えるクラック。しかも、彼はビルドアップが苦手なCBの代わりに、パス供給源としても機能。彼の様な強力な個がいなければ、決してハイレベルとは言えない守備ラインを備えているアルゼンチンが、決勝まで来る事は出来なかったと思います。実際、準決勝終了時点でのパス本数は大会トップの509本で、成功率は90%以上。タックル数は28タックルでこちらも大会最多でした。いやはや恐れ入ります。
また、ディマリアは、攻守の分断を防いだ最大の功労者です。本大会のアルゼンチンは、攻守分断性のチームで、開催前の評価は高くありませんでした。メッシを中心とした攻撃陣とマスケラーノがいる守備陣が分断されたひと昔前のサッカーでは、国際大会では勝てないと。また、サッカー自体も連動性が無く、娯楽性を感じないとも。
では、何故アルゼンチンは決勝まで来れたのか。それは、ディマリアが攻守の分断を限りなく防いでいたから。グループリーグからコンディションを保ち、本来の位置では無い中盤であれだけ攻守に質の高いプレーをする彼が居なければ、間違いなくアルゼンチンは決勝に来れなかったと思います。そんなクラックを放出するかも知れないマドリーは、間違っていると思うんですが。
マスケラーノとディマリアと言う個がいたからこそ、サベーラ監督はメッシの為に強力な組織を作る事が出来た。最も終わってみれば、メッシと言うより、マスケラーノとディマリアのチームでしたが。
個を高める事が、組織を高める事に繋がる。では、その個を高めるにはどうすべきか。個の力が高い国とそうでは無い国、もっと言えば、日本とは何が違うのか。
その違いに面白い角度から迫っているのが本作です。一見、ちょっと無謀な視点ですが、サッカーに通ずる所を抑えてもいますので、こういう見方もあるのかと勉強になります。
因みに、著者は面白い記事を書くので好きです。なんか生き方も。無謀に見える時もありますがw
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夏休み20冊の1冊目。
W杯の途中から読み始めた本ですが、日本代表がまさにこの本で書かれていた
心配事が的中して惨敗したので、もう1度最初から読み返してしまいました。
吉崎さんの本は「オトン、サッカー場へ行こう」など
サッカーの実体験をもとにしたものが多くて
自身もドイツの10部のチームでサッカーをした経験もすっごく活かされていると思います。
常に他のサッカージャーナリストとは違った立ち位置を模索して
自分の存在価値をあげている方だと思います。
この本での大きなテーマは、日本代表の「日本化」。
オシムが掲げた「日本化」。
これが結局は自分たちのサッカーをするということに繋がってきていますが
それがいまだにできていなくて
しかも自分たちのサッカーとはなんだと説明できる選手もサポーターも
すっごく限られていること。
それがブラジルの惨敗の影にあるし、
この惨敗すらも、これからの日本代表の指針にはなっていないというのが
痛恨の極みだと感じます。
惨敗したからこそ、ブラジル大会の前に書かれたこの1冊は読むべき本だと
思いました。
バランスが足かせになった時に、「日本化」の答えを探さなかったツケを払わされた。
個を犠牲にして、組織に尽くせる姿を強調するのか、あるいはあくまで「個」を追求するのか、軸がない。
「日本化」を一度とことん追求しておけば、その基準から足し引きしてよい姿を考察できたのではないか。
「あれは上手くいったんだから、もっと伸ばそう」
「失敗の経験を基に改善しよう」と。
ところが代表の歴史の中でザッケローニの存在理由は
「岡田監督が南アフリカで見せた〝守備的サッカー”からの脱却」という点に絞られてしまった。
同じ戦い方で臨んでも仕方がない、と。
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キリスト的な個人とか眉唾な意見で押し通す強引さは流石ドイツ仕込みって印象ですが、そうやって宗教まで遡って理屈を切ったり貼ったりする作業って、とっても面白いですよね。
でもね、勝てば官軍負ければ賊軍なんです。大抵のヨーロッパ人がキリスト的とかそんな事を本気で捉えてる事が無いように、もし日本人の礼儀正しさを儒教やら何やらで片付けられたら、そんな大雑把な意見相手にしないでしょ。
と否定的な意見を吐きましたが、戦術が、システムが、トレンドがーとかの一般的なサッカー本(日本を理解するならば、この類がオススメ)よりサッカーの本という意味では絶対に面白い。
けれども、サッカーが文化である国では、殆ど馬鹿でも知ってる事、又は行けば一発で分かることを書いて本になるんだから、日本サッカーってのは毛色がどうも違うらしい。それでチャンピオンになることの方が面白いんだけれど、本田さんはじめ皆さんは結局あっちの人間を増やすことで強くしたいんだろうな…何か歩んで来た道…海外組っていうのは昔で言う知識人、インテリ層だと思えば、日本っぽいといえばそれまでか。
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ひょんなことで読むことになったが、サッカーと文化を融合させた内容で面白かった。
自分が何者で、どんな特長のある人間なのか。そして、何ができるのか。
自己認知の大切さを改めてかんじた。
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[ 内容 ]
もはや“国民的行事”となった感のある、サッカーW杯。ヨーロッパでプレイする「海外組」が主体となった日本代表は、以前とは違い、技術や戦術では「世界」と遜色ないレベルに達したようにも思える。
しかし、大一番で勝負を分けるのはメンタリティだ。
そのメンタリティを形成する文化的背景とは何なのか?
ドイツでのプレイ体験もある著者が、深刻なカルチャーギャップを体感した選手たちへの取材をもとに、大胆な“サッカー比較文化論”を書き下ろした。
本田圭佑、岡崎慎司、長友佑都、松井大輔、槇野智章、宮本恒靖、宇佐美貴史、奥寺康彦、パクチソンなど、現役選手や関係者の貴重な証言が満載!
[ 目次 ]
第1章 自己主張
第2章 上下関係
第3章 自己責任
第4章 専門性
第5章 「文明の衝突」エピソードあれこれ
第6章 日本代表での「文明の衝突」
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]