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ニコラス・フィリップソン『アダム・スミスとその時代』白水社、読了。本書は近代経済学の父、アダム・スミスの最新の浩瀚な評伝。「社交的でありながら孤独を好む、一方ならず風変わりな人物として同時代人に知られ、尊敬と共に愛着の念も抱かせるような男の物語」。大部の著作ながら一気に読んだ。
誘拐された幼少期から徘徊する晩年に至るまで、本書はスミスの来し方とその思想の全貌をバランス良く叙述し、その全体像を生き生きと描きだす。概して思想家について人は、名前とキーワードだけが先行するが、その肉付けを本書は与えてくれるだろう。
本書の山は、フランシス・ハチソンの道徳哲学の受容と批判、盟友デイヴィッド・ヒュームの影響、そして混沌を極める18世紀英国の事象と重商主義批判を丁寧に描きだすことで、人間・アダム・スミスの足跡を浮かびあがらせるところだ。
『道徳感情論』は「利他心」に注目するのが一般的な認識だが、著者は共感の交換を通して育つ正義の感覚に重きを置き、経済活動の要となる「交換」の視点から『国富論』が著されたと見る。この源泉はヒュームの「人間学」に由来する。
経験主義の一つの理想をヒュームに見出すとすれば、アダム・スミスはその現実的展開と捉えることも可能だろう。同時代のフランス啓蒙主義が急進化していくのとは対照的に、スコットランド啓蒙主義はどこまでも「漸進主義」的営為だ。
修辞学をきちんと学んだスミスは「社交」の感覚に注目している。言葉は他者とのやりとりの中で適切に使用されたとき、相互に心地よさをもたらす。先験的独断よりも日常生活の中で試行錯誤を繰り返し歴史に学ぶことを重視したスミスらしい。
スミスは(先験的な)数学的知よりも経験知を重視し、等身大の「啓蒙主義」で次代を展望した人物であることを本書は明らかにするが、それは同時に、現代思想において評判の悪い「啓蒙」に新たな息吹を吹き込む営みにもなっている。
スミスの一貫した特色とは「謙虚さ」だと著者は言う。「この性向から、思慮ある一般市民は、千年王国じみた新たな天地創造をもくろむよりも、生活や公共の事案への対処において小さな改善を少しずつ進めて」いくことの大切さが導かれる。
“世界的権威による「暗い」精神が産んだ明るい世界” スミスの先験的決定論を退け「自分の属する社会をよくしようとする、われわれの欲望」に従い一歩一歩漸進していくその生涯こそ、現在参照されるべきである。 http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=08369
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スコットランド啓蒙史の中でのアダム・スミスの思想の成立ちを位置づける。グラスゴー大学、エジンバラ大学の状況とデイビッド・ヒュームとの交遊を通じて、人間学を打ち立て、道徳感情論と国富論を書き上げ終世手を入れて行く。他にも人間学として2つの芸術、法の書物を出す用意があったらしいが、本人の完璧主義ぶりから2つにとどまる。
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アダム・スミスといえば「国富論」であり、「神の見えざる手」に代表される自由主義経済信奉者としての印象が強い。しかし、この本を読めば「人間本性」を巡る議論の一つの側面に過ぎないことが明らかになる。特にこの本では「国富論」ではなく、もうひとつの主著「道徳感情論」にスポットを当てる。あくまで、いかに良い社会を作るかであり、経済発展というのは法や政治と同様にその手段に過ぎない。あくまでルソーやヒュームといった人文思想の流れの中にあるのである。
結局、彼の思想は完成した訳ではない。いかに良い社会を作るかという問いに経済やら法やら深掘りしていくのだから当然と言えるが...
細分化が進んで人文思想と切り放された経済発展至上主義に一石を投じる本と言える。
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アダムスミスの生涯を単に時系列に追うのではなく、その状況下での思想を分析しながら記述を進めていて、非常に読みごたえがあった。