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精神科医によるキモいの解剖。
もっと話が面白い人によるキモい体験、エッセイ集を読みたかった。
ただ著者が社会不適合者を侮辱してるようにしかか聞こえない。
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キモさについての、解剖や分析というよりは、著者本人の懺悔混じりの好奇心をつらつら思い出し書きした一冊、という印象。
ここまで詳細に複数の「キモい人についての個人的な記憶」を書き出せるのが……キモい……(とご本人も述べていますが)
そういう、自分を含む人間の生々しい気持ち悪さ、に自覚的なとこが好きなんですけど、ちょっと最後まで「……それで、結論は?」という感想のままだったなあ。
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内容としては中高生向け?なのでしょうか。そのせいか
春日先生ご自身の中高生時代を中心とした回顧を中心として「キモさ」についていろいろ考察されています。
春日先生の著書、と思い手に取りましたが従来の一般向けの数々の著書と思って開きますと肩透かし感を感じるかもしれません。
しかし中高生がこれを…読むのかなぁ(笑)
知識として読むというよりも大人においては頭の体操のような気持ちで読まれるのが良いかと思われます。
ちなみに裏表紙の絵、とっても気持ち悪いです。
手に取る時に微妙に「キモさ」を感じさせられるのがこの本のキモのひとつなのかも。
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読みやすい本なのだが後味は何か悪い。
精神科医の話の割には医学知識の多くはからまずおおかた自らの主観で片づけている気がする。キモさと呼ばれるものも社会一環で言われているような意味としてとらえているわけではなさそうだ。
いち精神科医が子供時代を振り返りながら自らに降りかかった体験をねちねちと書き連ねられた感じがしてしまう。挙句にミステリーの落ちまで披露して、予想した内容ではなかったので何とも言えない。
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人をキモいと感じる感覚、いちばんは極端な自己正当化にある、というところは納得。そして、キモい部分は自分も持っているし、それは自分を正当化したい、もしくは無意識にそうしている可能性があるということなんだということにも納得。でも、「キモい」と誰かに向かって言うということは刃物を振り回すくらい危ないものだということも納得した。
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(一応)子ども向けである「よりみちパン!セ」シリーズに於いても、安定の春日節。
こういう本に出会うと、春日氏の持つ「人間とは(もちろん自分も含めて)『おぞましい』ものである」という確信を中高生の頃に植え付けられていたら、今頃どうなってたかなぁ……と空想せずにはいられません。
「キモさ」を感じること自体は悪ではない。
むしろ「キモい」と思ったら、自分はなぜそのような気分になったのか、何をもって「キモい」と感じるのかを、じっくり考えてみる価値があるのではないか。
という事で、本書では(でも)春日氏の実体験を材料に「キモさ」を掘り下げていくわけですが、この体験談が非常にエグい。
小中学生特有の陰湿さや残酷さ、数十年前の日本に漂っていた貧しさ、差別的な視線等々を織り交ぜつつ、春日氏自身の「キモいと感じた体験」+αが次々に披露されては分析され、の繰り返し。
時には、私自身の黒歴史を土足で踏み荒らされたような気になってしまうエピソードもあって、読みながらにしてHPジワジワ削られた感じです。
これって本当は、春日氏の体験を元に分析した「キモさ」を読んで終わるんじゃなくて、自分の体験で内省し直して自分なりの「キモい」基準を探さないと意味ないんですよね。
それはとっても不愉快な作業ではあるけれど、どこか下品な好奇心を刺激してやまないはず。そしてその時、私は間違いなく「キモい」顔をしているに違いありません。ああ、世界はキモさに溢れている。
自分にとって好ましくないものを重ねることで、自分自身の輪郭を浮き彫りにする。この手の作業が苦手な人には、無理にお勧めしません。
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「キモい」という言葉が嫌いだった。言われるのも嫌いだし、言うのも嫌いだ。非常に曖昧で、何にでも言えてしまう思考停止の単語だと思っていた。「キモい」は個人的な感じ方の問題なので、「キモい」といえば個人の感想として反論されることなく受け入れられ、なぜキモいのかも言わなくてもいい魔法の言葉のようで、自分はなるべく使わないようにしようと思っていた。
「キモい」について書かれた本を読めば、「キモい」という言葉の意味や、自分と社会との使われ方の差異がわかるのではないかと思って読み始めた。
三部構成になっているが、基本的には6割くらいは作者が主観的に「キモい」と感じた事象の紹介で、それに伴い、「キモい」と感じた理由はこうではないか、とキモさを「解剖」していく。
作者の主観が多いのは気になるものの、どういったことを「キモい」と感じるのかの分類は興味深かった。
また、作者の「キモい」と人に言い放つと、言い放った本人こそが一番「キモい」存在となってしまうという主張には深く頷いた。
自分が「キモい」と思う理由は何か、よく考えて、「キモい」存在にならないように注意したい。
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死や永遠、無限に関するキモさの解剖では共感する部分がたくさんあった。自分でうまく説明できなかった部分を代弁された感じで、さすが精神科医という感じ。
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なんというか、救いがなかった…
作者がこの「キモい」エピソードを読者に投げかけて、その反応を覗かれているような得体の知れなさがあった。
文章中の小さい「っ」の場所とか、所々の文字のフォントとかが、いわゆる「キモ」かった…。落ち着かないというか…。これも試されていたのかな…。
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2022/06/02
p.68
問題は、自己正当化という部分です。
得体の知れない人間は多かれ少なかれ薄気味悪いものでしょう。では、自己正当化を図る人間は「得体の知れない人間」でしょうか。 自己正当化というメカニズムが透けて見えているのだから、「得体が知れない」には該当しないという意見もあるかもしれません。だが、何をしようと自己正当化を図って平気でいられる人物は、どんなに残酷なことや無神経なことをもしでかしかねないという意味において、得体の知れなさの頂点に位置するのではないでしょうか。つまり、キング・オブ・「キモい」ということになるのではないか。
自己正当化が当たり前の人間は、 内省を欠き自己完結しています。 ストーカーも痴漢も差別主義者も、自己正当化の権化です。そうした人物たちは、周囲の人たちを棒立ちにさせるような底知れなさを何かの拍子に垣間見せることがあります。こうした瞬間こそが、 わたし個人の経験に照らせば、キモさの根源にまっすぐつながっているように思えてならないのです。
秋葉原パソコン事件において、あの粘着男は自分の態度をおそらく自己正当化していた。いっぽうわたしも、自分の振る舞いを自己正当化していた。
そして双方ともにキモい存在となり果てていたというのが、事件の顛末という次第なのです。
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最初の方に出てくるエピソードは、たしかに「ああ、それはキモい」と感じるけれど、だんだん「それは『キモい』で片付けていいのかしら?」となったりしました。
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「世界初、「キモさ」の9分類表を携え、その本質を鷲掴む、恐るべき書!学校でも家でも教えてもらえなかったリアルな知恵満載!」