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無性に両親に会いたくなる本。
子どもの頃に憧れていた野球選手が次々に引退していく。
40歳を目前にして、自分の老いを感じる機会が増え、死について考える機会が増えてきた。
世界の様々な葬送について、紹介されている。
火葬で・・・とだけ考えていた私にとっては大きな驚き。
気持よく送り出してあげる、戻ってこないようにする、いろいろな意味を込めて、様々な方法が存在する。
とはいえ、私の考えは、筆者の父の従来の考え方に近く、死んでしまえば何も残らない。有機物として淡々と処理してほしいと考えていた。
それでも、旅先でなくなった場合、そこに放置されるのは寂しいとか、家族には見てもらいたいとか、本を読めば読むほど気持は揺らぐ。
なくなってしまえば、私自身になんの感情も残らないとは思うが、どうもすっきりしない。
著者がたどりついた境地、残る者の役に立てたらそれでよいという考えには、とても合点がいった。
また、家族の絆の強さにも心打たれた。
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イギリスのジャーナリストが、自分の父の死に対して感じたわだかまりを整理する道のりとして世界の葬送のあり方とその精神的役割について考察する。
世界中の派手な葬儀(バリのねぶたのような儀式、ギニアの赤い飛行機などの棺桶)、感情をあらわにする人々(対比として著者の出身のイギリス人は悲しむことを我慢する)、火葬、土葬、ミイラや聖遺物あるいはエンバーミングなどの死体の処理の歴史と地理的差異(アメリカではほとんどエンバーミングをするらしい)。
そういった違いを見ることで、自分及び肉親の死に対してより客観的ながら能動的になることができた著者の姿が類書には無い。
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サラ・マレー『死者を弔うということ』草思社、読了。本書は高級紙のベテラン記者の著者が父親の死を契機に、世界各地の葬送をめぐる旅に出たその記録だ(副題「世界各地に葬送のかたちを訪ねる」)。シチリア島のカタコンベ、来世への餞別準備する香港、ガーナのポップでクレイジーな棺まで著者は訪ねる。
著者が記者であるだけに本書は紀行風の葬送ルポに読むこともできる。しかしその視線は、現在生じている事柄を記録するものではない。人はいかに人を葬ってきたか。人間にとっていかに死が受け入れがたいものであるのか浮き彫りにする。
死が受け入れがたいからこそ、生と死の間に儀式や儀礼が挟まれ、その受け入れがたい感情を和らげることができるのであろう。著者の父親は死を物体の消滅としか考えていなかった父親は、死の直前、遺言で遺灰を故郷に撒くように指示する。
なぜ父は考え方を変えたのか。世界各地の儀礼を訪ねるなかで、著者は不断に父との対話を試みる。本書の山場といってよい。死に関しては必ず否定的なイメージがつきまとう。しかしながら正面から考えるべき課題でもある。本書はその一助となろう。
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父を亡くした著者が死者と向き合うために世界各国の弔いを見て感じたことを綴る本。
ふとした文章が美しくて強くて、いつのまにか著者の隣で旅をしているよう。
私も母を亡くしてから宗教や弔いの儀式に参列するたびに違和感を感じていたので世界の弔いや死者に対する意識を知ることができてよかった。
きつく宗教に縛られることなく生まれ育ったためか、世界の宗教観には目を瞠るばかりでした。
私はイギリスに多い、感情的に取り乱さず死者と向き合う弔い方法がしっくりきます。
著者のお父様に共感するところも多く、自分の死体もできれば冷静に有機物として扱ってほしい。迅速かつ合理的な方法で処理してくれれば嬉しい。
無用な儀式などで生きた人間をつなぎとめたくないと深く思う。葬式なんてしないでほしいしお経もいらない。
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著者自身が世界のあちこちを旅して死にまつわる文化を見聞きした記録。その間に、父との別れを中心とした自身の物語が織り込まれる。もちろん本やウェブで仕入れたであろう情報も。その多彩さに圧倒させられる。ただ、我ら日本人が自身の葬送を考える上で示唆となるところは少ないようにも思う。
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ひとは自らの終焉を自分で決められるものだろうか。年老いた父親から、自分が死んだらこうしてほしいという詳細な指示書をうけとった著者は、実際にその父親の死にふれたことをきっかけに、世界の葬式について調査するようになる。
観光客がよべるほどの祭りのようなタイ、紙の供え物を用意する中国、死体を着席させて腐敗させるフィリピン。整然と並ぶ香港の納骨堂で、ある女性は携帯電話から自分の子供の画像を仏壇にかざして話しかける。
イーヴリン・ウォー『ご遺体(愛されたもの)』にも登場するエンバーミング(遺体処理)、エリザベス・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』、J.G.フレイザーなど死とその儀式にまつわる作品も紹介しつつ、それぞれの国の葬式のありかたを問う。
死ぬ前に自分の棺桶を作ることができる自由もある。著者はエンパイアステートビル型の棺桶をつくり、部屋でともに過ごす。
そうそう、父親と叔父って似ているんだよね。
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生前、断固とした無神論者だった父が、遺灰を教会墓地に散布してほしいとの遺言を残したことに戸惑いを覚えたジャーナリストの著者は、これを機に、人間が今までどのように死者を扱ってきたかを知りたいと思い立つ。そこで、これまでに仕事で訪れ、印象の深かった国々への旅に出る。嘆きの国イラン、美しく荘厳な火葬のバリ、死者を着席させるフィリピンなど、9カ国に及んだ旅から著者が学んだことは、「人類は死者の扱いに驚くほど長けている」ということだ。
親しい近親者の死。それはとりもなおさず、みずからの死の影を鮮明にすることだ。世界の多様性に驚きながら、自分はどう送られたいのか考えたい。
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自身の父親の死を契機に、フィナンシャルタイムスのベテラン記者だった著者は、世界各地にさまざまな「葬儀」の姿を訪ね歩いた。文化や社会によってきわめて多種多様なかたちをもつ儀式の歴史的経緯もたどりつつ、人間にとっての「死」と「死者」の意味を問う。ルポルタージュ風に綴られた文章は読みやすく臨場感があり、多様な死の儀式を追体験するうちに、いつか私たち自身の「死」に思いをいたらせてくれる好著⁇