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●以下引用
自分の言葉でそれを表現できたのはかなり精神的な余裕ができてからだった
存在論的に不安定な人は、時間がばらばらな瞬間といて理解され、カフカの登場人物の言葉のように、「俺が生きているぞという確信をもつことができた時間がない」、継続的な物語を維持できず、「消滅についての不安、外部から侵入する出来事によって呑みこまれ、押しつぶされ、圧倒されることへの不安」をもっている
G・Hミードの「I」と「me」について、生命的エネルギーとしての「I」と、その社会化として切り離された「me」としてとらえ、生命体としての「I」は、その解放と充足を求め、「me」は、不可逆的に「I」の流れを滞留させると述べる。
他者によって強制されたアイデンティティを別のものに変化させていくこと、社会のなかでの他者とのあいだに異なったあたらしいかかわりをもつこと
否定的な自分の固定とは、「I」の完全な滞留、氷結
他者との関わり、自分が動くことによって周囲も動き、その生く末にまた出会いがある
つらいことがあるから病むのではない。言いたいことが言えなくなるから病むのだ
交流する他者の不在によって、自己の存在が希薄に感じられるなかで、自己表現を行うことに拠り、「僕はこの世に存在していた」と思えるようになる。そして「僕の生は意味のあるものの様に思えるようになってきた」
河瀨:
本当は内面のところでもっと近づきたい。恐いのに近づきたいっていう想いが強くて。
私が欠けているんです。私の中に何か欠けているものがあって、それを埋める術がなかった。
だから、そのフィルムっていう、あれはフィクションの世界かもしれないけれど仮想の空間を、よりリアルに作り上げることで自分の存在を作りあげることで自分の存在を確かめている
フィルムが光を放つ、その瞬間、私の心は恍惚として異様なまでの高ぶりを見せる。その一瞬の時を積み重ねていく事を、生きる喜びと感じ始めたのは、いつ頃だろう。私の中の、生が確かに動き、何其かを突き動かす力を発しているのだと確信し、今、私が居るのだという事実を嬉しく思う。
存在の空虚感を埋めるために明るくいい子を演じていたが、嘘っぽさの感覚がつきまとい、その理由を見出すために映画を撮ることになった。
活発でいい子を演じていれば、私が存在できるという感じだった。それは実はしんどい。なんか全部うそなんじゃない?ってやっぱり常に思っているところがどこかにある
河瀨にとって、作品をつくるたびに、新たな自分が生じるが、それが再び崩れた際に、這い上がる手段として自分のなかのドロドロしたものを吐き出すことが、作品作りである
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●同時にふと、自分はこれを描いていて大丈夫かと不安になり自問した。大丈夫か?答えは大丈夫だった。それは自分と向き合う表現への始まりだった。自分の情況を絵画にしていく。内にある暗部を曝すことにより、逆に解放されていく様な気がした。様���な強迫症状の‹瞬間›を持っている。僕だけの特別な症状が武器になるとさえ思えるのだ。
→いまのSTENPORTの展示にむけて、自分が抱えている不安と親和性が高い。
●交流する他者の不在によって、自己の存在が希薄に感じられる中で、自己表現をおこなうことにより、「僕はこの世に存在していた」と思えるうようになる。そして「僕の生は意味のあるもののように思えるようになってきた」と述べられているように、自己否定感から解放されていっていることがわかるのではないだろうか。彼は、「本当に自分を許せるようになった、何をこだわっていたのかなと思います」
そういう自分を描いても大丈夫か?と自分に聞いて、もう大丈夫だと応える自分があって、描いていった。描きだしていくうちに、背中を曲げなくていいんだ、背筋を伸ばして家に帰っていく、というふうに変わっていった。画面の変化が心の変化をもたらしたものなのか、心の動きは絵の構図を動かし変えていったのか、わかりません、同時なんでしょう。
本木さんの前記の文章には、自らに関して、人に見られたくない隠したい姿があったが、描き出すうちに、「背筋をのばして家に帰っていく」というように変化していったことが示されており、描くことと精神的変化が同時におこっていることに関して書かれている
→これを読むと、なぜか「風立ちぬ」を思い出す。堀辰夫と堀越次郎は、宮崎駿の投影だったのだろう。
一瞬のスナップショットのような時間が止まったような感じを受けるが、それはなぜか?
こんな絵を描いてもいいって言ってくれるから、こんなのをいいって言ってくれる人はちょっと世の中にはそうはいない
精神症状を抱え、不安や苦悩に苛まれながらも、そういう生活の中でこうして自己表現をつづけていく、それは実にかけがえのないものです。
症状が軽くなった上、もう十分描いたので、これ以上あまり描く気やエネルギーが湧いてこないということで、視線が社会へ向いていく
今は安定しているから平凡です。つまらない。もっとどん底に堕ちなきゃ何も生まれません
★芸術は、経験の局限している深淵と障壁に満ちたこの世界のなかでおこないうる、人間と人間の間の遮るもののない完全なコミュニケーションの唯一の媒体
→松本さんの取り組み(AHA)を思い起こさせる。
芸術を通じて、平常は、ものが言えず、不完全で、制限され、阻止されるものについての意味が明確にされ、凝集される
日常的な場の中でいくら観念でおれって何なのかって考えても、それはほんとうに観念として考えているだけ堂々めぐりしかない、それを突き抜けていくためには、やっぱり僕にとってはキャメラが必要なんです。
★自分でもいまだ出会ったことのない未知の自分とでもいうか。そういうのに、一本の作品で一度か二度出会うことがある
→これがみたい。こういうことがしたい
詩的であるにも関わらず、社会的な香りも強い
彼女が持つ、ものすごく重い問題が多すぎて苦しかったです。彼女にとっては「自分との戦い」かも知れないけれど、セルフ・ドキュメンタリー映像にすることによって、社会への訴えにもつながった気がする。
→夏目漱石の小説をなぜか想起する。近代的「自我」の確立と、家父長的な因習の中での葛藤。その葛藤の最中にある漱石が小説を書くということは、極めて私的であったが、同時に「時代」を反映させるものでもあった。そしてそれは読む者に、何かしらの「親和(共同)性」を思い起こさせる。
映画の完成と上映によって穴が埋められた感触がする
自分自身が変化していくことを生で体験し
余裕の感じられる「自分探し」ということばは、本書で扱った、制作者の生きづらさの切羽詰まった感情の末に生まれてきた作品にあてはまるのかどうか疑わしい
その相違が生じるのは、自分にそのような共通する苦しみの体験があるかどうか、そして、そのような「他者の体験への想像力」があるかどうかということで異なってくる。
穴を埋めないと、先に視野が開けないという切迫
表現できなければ死んでいた
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STENPORTでの展示に向けて、体がすっと制作に向っていかないのを、どうしたものかと考えあぐねていたが、少し整理された気がする。
例えばビッカフェでの「樹下禅」というのは、言ってしまえば非常に抑制が効いたものだった。それは意図してか、あるいははひとつの「羞恥」というものが働いてか
はっきりとしたことはここでは解決できないが、例えば「ここで死って書くと変ですよね、、、」とか、「謝りながら自分の話したいことを話すとか」、そうした潜在的な自分の「立ち位置」というものに大きな関わりがあるように思う。ここ数年は、「自分を出さない」ということに非常に重きをおいてきていて、それはやっぱり作品に「自我」というものを介在させたくなかったからだ。確かにそれによって「自我」は出ないようなったように見える、見えるけれども、しかしそこには「自己」の抑圧という大きな盲点が孕んでいるではないか。「自己」を抑圧していたら、それは結局「自我」の働きと同じなのではないか。
今回の作品作りにおいて気を付けるのは、以下の通りだ。
‹同時にふと、自分はこれを描いていて大丈夫かと不安になり自問した。大丈夫か?答えは大丈夫だった。それは自分と向き合う表現への始まりだった。自分の情況を絵画にしていく。内にある暗部を曝すことにより、逆に解放されていく様な気がした。様々な強迫症状の‹瞬間›を持っている。僕だけの特別な症状が武器になるとさえ思えるのだ。›
自己が(今の自分が知らない私)が出る、そんな作品を作りたいし、そんな機会にしたいと思ってゐる。