紙の本
アメリカとは何か
2017/08/28 10:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
多民族国家アメリカの価値観の源のようなものを感じさせる。臆病で無責任な人間による暴力や無意識下の差別感など、昔から何も変わっていない。
投稿元:
レビューを見る
「ハックルベリー・フィンの冒険 上・下」M.トウェイン◆帰ってきたろくでなしの父親に捕まったハックは遂に父親の元から逃げだした。昔はトムも好きでしたが今読むとなんだか理屈屋すぎて、ハックの方が常に理に適った考え方をしているように思えた。自給自足生活の話が好きなのはこの本の影響かも
投稿元:
レビューを見る
あー面白かった。王様と公爵と別れることができて本当に良かった。もう、ほとほと彼らにはうんざりした。世の中にはこういう大人が少なからずいると思うと、これまたうんざりする。そして、ここでトムが!と興奮し、「つもり」をまじえた大計画に爆笑し、真実を知りつつ行動したトムの心意気にいろんな感情が沸き、涙した。
さ、読み終わったところで、小説の読み方を再読しようっと。
投稿元:
レビューを見る
ずっと前から読みたかった。『ハックルベリーフィンの冒険』やっと読み終えました。
面白い。トムソーヤの冒険も実は読んだことがないのですが
この本で出てくるトムソーヤよりは、ハックフィンの
ほうが数倍魅力的な子供で、有名な黒人奴隷ジムを助ける
ことを決めるシーンは本当に感動します。
アメリカが色濃く出ているこの本はやはり名著というか
いい本だと思います。また純粋に面白いですし、新訳と
いうことで日本語訳もわかりやすく、読みやすくなって
いてとてもいいと思います。
投稿元:
レビューを見る
下巻。久しぶりに小説で熱くなった。ヘミングウェイをしてアメリカ文学の始原だと言わしめた、その余韻は強い。アメリカ的なものとは何であろうかと考えてしまうが、私自身が表現しえない、知りえないアメリカ的なものがここに原点を置いているということ。
トムソーヤーの前にこちらを読んでしまったので、前作でのハックを知らないが、文明じみておらず野生の色濃いハックの純真が強烈なメッセージになっている。マーク・トウェイン曰く、この作品は「健全な心と捻じ曲げられた良心がぶつかり合い、良心が敗北を喫する物語である」。文化、特に宗教的に根拠を置く社会的なしきたりは私たちの良心に善きにつけ悪しきにつけ強烈な影響を与える。現代から見れば考えられないような文化(奴隷制など)も、当時の人間からすれば宿命的な選びの問題であるし、身分の上下がどうであろうとその差異を破ることは、天国への約束を自ら捨てるという恐怖と隣り合わせの事柄だったはずだ。だからこそハックはあれほど悩んだ。
やはりこの作品のクライマックスは、ハックが自ら地獄を選択するシーンだろう。図らずも泣きそうになった。何という気高い純真だろうか。人間の美しさに久しぶりに触れた気がした。
トムが最終盤に出てきてジムを逃がすためにあれこれ、まどろっこしいことをやろうとするところは、賛否両論いろいろあるようだが、個人的にはトムをぶっ飛ばしたくなった笑
17.5.21
投稿元:
レビューを見る
唯一無二の、きらきらした感じ。
物語の細部は、実は暴力と非情。ハードボイルドな「みんな悪者」ワールド。なのに、めくるめくピュア。「詩情」という実態の分からないコトバとは、この本の為にあるのかも知れません。
最強のペアの物語です。DV被害少年・ハックと、逃亡黒人奴隷・ジム。
ふたりの筏の旅は、ミシシッピーをくだり、黒人自由州へ。「ジムを密告するべきでは?」という張り裂けそうな危機を孕みながら。ハックの決断はー。
#
「ハックルベリー・フィンの冒険」光文社古典新訳文庫で上下巻。マーク・トウェイン。1885年発表。
世界は、(というかアメリカは、なのか)なんてグロテスクに不条理で、残酷で、暴力的で、反知性で、貪欲で下品で偽善的で、そして差別と偏見に満ちていることか。
だからと言ってそれを写実するだけではなくて、小説というサービス精神の中で描く。
そして読者は楽しませなくてはいけないし、最後には「良かった」という後味が必要、という作者の側のモラルを感じました。
なんて瑞々しく、スバラシイ。
#
「トム・ソーヤ―の冒険」(1876年発表)の、今風に言えば、スピンオフ。
なんだけど、元ネタの「トム・ソーヤーの冒険」の倍くらいの長さの長編小説。
話は「トム・ソーヤーの冒険」の直後から。1830〜40年頃の、ミズーリ州。偉大なる田舎。
ハックルベリー・フィンのもとに、飲んだくれで最低な父親が現れて、ハックを監禁して暴力を振う。
脱出したハックは、逃亡奴隷のジムとともに街を脱出。
目指すは、ジムが奴隷の身分から逃れられる自由州。ふたりの行く手には、さまざまな冒険が現れる。
発表されたのは1885年。リンカーンによる奴隷解放宣言が1862年、大まか20年前。発表当時の世論は黒人差別反対なんです。建前としては。
物語の中でハックは、逃亡奴隷のジムに友情を感じながらも、
「人の持ち物の奴隷を逃亡させるのは、してはいけないことなんだよなあ」
という、良心の咎めを感じながらミシシッピを流れていきます。密告か、共犯か。社会のルールなのか?個人の心情なのか?
社会のルール、正義って言うのは、ほんとに正しいのか?強者に都合の良いだけなんぢゃないのか?
もうこれだけで、永遠不滅の物語。
2017年現在ニッポンの僕たちも、他人事ではありません。
#
微妙に一話完結のように、連綿とつづられるふたりの冒険。親の暴力からの脱走。理不尽な殺戮。道徳にまで昇華している人種差別。拝金主義。詐欺。だまされやすい人々。残酷な集団ヒステリー。エトセトラエトセトラ...
大人社会の偽善を抉りながら、ジムの逃亡補助を巡る、ハックの葛藤が貫かれて行きます。ドキドキ。
実にハードボイルドに、そして明るくアッケラカンと局面をしたたかに生き抜くハックの一人称が、もぎたてで食べごろトマトのようなタマラナイ甘さと酸っぱさ。
人目を避けて、昼間はいかだを隠して休みます。そして日が暮れると流れを下る。
悠々たる巨大なミシシッピの闇。ウソのようなつぶらに近い星空。その自然を興奮豊かに描く下りは鳥肌もの。
(自然情景描写って、だいたいは僕は苦手なのですが、コレにはヤられました)
#
話しは随分と豊饒な寄り道を経つつ、大河を下るように不要不急にたゆたいます。
そして残酷な現実にジムとハックは追い詰められていきます。絶体絶命に。もう、だめか。
そのときもハックだけは諦めません。
諦めないハックのもとに、最終盤に現れる最強の味方。そう、トム・ソーヤーその人なんです。「いよっ!待ってました!」
大向こうの気分。ここからのわくわく感って言ったら、身悶えものです。
世界観は痛くて辛いんですが、それはそれ。
小説は小説です。イッキに愉快なハッピーエンドに向けて舵を切ります。この安心感。
正直、直前まで
「頼むからハックとジムを幸せに終わってあげてください!」
とトウェインさんに祈るばかりだったんです...恥ずかしながら。
#
ヘミングウェイが、そしてその後の文学者の多くが、「アメリカ文学が始まった瞬間」と位置付けた名作。さすが。
ではアメリカ文学とは何か?
大いなる田舎であり、無知であり、欲望であり。剥き出しの暴力と偏見と人種差別の渦。なんだと思います。
その代わり、欧州よりも宗教も身分制度も弱く、混沌と自由、そして不安と絶望もより強くあります。全て欧州より大味。
そんななかで、どうやって秩序を持って幸せに生きていけるのか。そんな冒険の物語。
そう考えると、風土として、習慣として、後味として、ヘミングウェイでありフィッツジェラルドであり。キングやエルロイまで至る大河の源泉をたゆたった気分です。
(そして考えようによっては、その流れにはジョン・フォードやイーストウッドや、そして村上春樹までが見え。ハックルベリーの子どもたちの、なんと豪華なことでしょう)
#
光文社古典新訳文庫、僕は相変わらず素敵な仕事をしていると思います。
こなれた訳文で、するすると読めました。
翻訳、大事なんですよね。ほんと。
(でも、読み終えて、「村上春樹訳で読んでみたいな」と思ってしまいました...。村上さん、やってくれないかなあ...)
投稿元:
レビューを見る
いいや、おいら、地獄に行く。この一文にたどり着いた瞬間が、読書体験のクライマックスだった。昨今のBLM運動の盛り上がりもあって、この不朽の名著が禁書になった地域もあるのだという。ダメだ、そんなの。
投稿元:
レビューを見る
冒険談は勿論作者の軽妙な文章が楽しくあっという間に読めました。トウェインファーンになったので著者の別の作品も読んでみたいです。
投稿元:
レビューを見る
王様と公爵が起こすめちゃくちゃな詐欺話の後、ハックが広大な綿花農家に忍び込み、トムソーヤと再会するなど、どんどん面白くなり読む速度がどんどん早くなり、下巻は2,3日で読み終わった。
また、最後の解説がとても分かりやすく勉強になった。
投稿元:
レビューを見る
読了。トムがあまり好きではない…。
ジムがんばれ早く自由の身になってくれ、と思って読んでいるとトムの誇り高き冒険心ゆえのイタズラにイライラしてしまう。公爵や王様ですらイカサマは自分の金儲けのためと理解できるのに対しトムは本当にわけがわからないことばかりしようとする。結末で少しは溜飲が下がったけど。
解説でもトムは資本家側になったかのような金の使い方をしているとの指摘があり納得。