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前半は良かった。読んでてしんどくなるほど迫ってくるものが。ただ後半ではそれがなぜか衰えてしまって残念。こういう言い方もまずいけど、人生においてスポットライトがあたっていた濃密な時間とそうではない時間がありありと見えたような。
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【かくも過酷な運命を生き、死ぬことに意味はあるか】一九八〇年、新宿西口バス放火事件で瀕死の大火傷に。輸血が元で肝臓ガンとなった今、加害者を、自分の心を「赦す」思索の旅を描く。
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事件は私が高校生の時に起きていて記憶にはある。だがそこに関わっていた人たちに思いを馳せたことはない。本書を読みそのことに気付かされ。圧倒される言葉の迫力に途中で何度も読み進めることを断念しかかった。しかしながら文中にちりばめられた人間として生きる意味を問う数々の言葉に背中を押されて完読。NHKの番組を是非とも観たい。
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なぜ?なぜ?と問い続ける作者。神は自分の心の中にいると言う。問い続けることに、支えられていたのかもしれない。書くことが生きること。
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2014年にNHKで特番が放送された。
その番組を見て、私は新宿西口バス放火事件を知った。
事件後少しして刊行された「生きてみたい、もう一度」は読了済み。重なる部分も少しあったが、その頃を振り返って書いてあり、そういうことだったのか…と思うところもあった。
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京都アニメーション放火事件の後、「逆恨み(と思われる)による事件」「ガソリンを使った放火による無差別殺傷」という点が似てる、と思って読んだ本。
犯人がどんなに不幸だったとして、赦そうとなんて思わなくて良いのに、と私は思うけれど。
被害者にしかわからないことも多分あるし、被害者の心のありようも人それぞれ、この方の場合はこうやって乗り越えようとしたのかな。
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何とも頑なで不器用な人というのが読み終えての著者の印象。
1980年、新宿西口で止まっていた路線バスに火が投げ込まれるという惨事があった。著者はバスに乗っていた被害者で全身の80%に及ぶ熱傷を負い、植皮手術などで命をながらえ、その後の日々を生きてきた。この本ではその、その後の日々のことが書かれている。
その後の34年がまた、読むだに過酷な日々だった。やっと結ばれたパートナーとの生活も苦難続き、家族との確執、生活保護を受けた日々、自身の罹癌と闘病……。目まぐるしいほどにネガティブな出来事が続き、読む身としては一人の人にこれほどのことが次々と起こるものなのかという感じ。
なかでも、著者を打ちのめした一件が、バス放火犯のMさんの死。貧しい育ちゆえに世のなかを渡り歩き、結婚・離婚し相手は精神科に入院し、息子を預けて暮らしながらも各地で働きながら養育費を送り続けながらも、自暴自棄になって起こした事件。著者は獄中のMさんと面会したり裁判に通うなか、悪人と思えなくなり出所後の支援も考えていたのに、Mさんは仮出所直前に自死してしまったことに、逃げのような姿勢を感じ激しく動揺する。勝手に死んでいい立場ではない、と。
いろんな人の言動が著者を苦しませ、怒らせ、煩悶させる。その苦しさはわからないでもない。一方で、そこまで真正面から相手や物事に向き合わなくてもいいのではないかとも思う。きっとバス放火に巻き込まれたことで人生や人生観が変わったのではなく、おそらく放火事件に遭わなくても著者は生きづらさを抱えながら生きる人だったのだろう。そんななか、幼い頃の家族との思い出や、報道カメラマンとして偶然にバス放火現場に居合わせ写真を撮ったことで疎遠になった兄と再び交流するようになったことには、和まされる。それほどに、ほかの箇所が読んでいてつらい。
「『加害者』も『被害者』も、自分の背負った痛みから逃げてはならない。逃げることはできない。自分の痛みを忘れてはならない。忘れることもできない。それなのに、人間は逃げていく。忘れていこうとする。逃げて忘れることに『安らぎ』を見出していこうとする。そのごまかしが、次の加害行為を繰り返させていく」(p.226)などと書いている。逃げてはいけませんか、忘れてはいけませんかと思う。当事者は逃げても、忘れてもいいのではないか。そうでないと苦しすぎることもあるのではないか。むしろ、周囲を含め他者が向き合ったり寄り添ったり、忘れずにいることのほうが大切な気もする。
とはいえ、この本の刊行と同じ年に逝った著者は、こういうふうにしか生きられなかっただろう。他者からみれば、そこまで考え抜いて生きることは素晴らしいと畏敬的な思いにもなるが、本人にとってはやはり過酷な人生だったに違いない。