投稿元:
レビューを見る
図書・図書館史の授業で、今はイスラームのあたりを詳しく扱っていないんだけど、世界史的にそこちゃんとやらないとかありえないだろう・・・と思って種本を探していた、その最有望株。
期待以上で、この本+あと数冊、より図書館っぽいあたりをカバーすれば1回分の授業にできる。
活版印刷の西洋/木版印刷の東アジアに対し、写本による書物の生産体制を維持し続けていたイスラーム世界(中東・中央アジア)、という大きな分割が描けそう。
技術的には伝わっていたけど必要ないので採用されなかった、という点で日本に活版が普及しなかったのとイスラームにそもそも印刷が普及しなかったのは似た構図があって・・・というのがこの本からわかる(東洋の話はそんなに出てこないけど)。
この本では写本にとどまり続ける理由を、写本で必要な本を制作できるだけの体制がある(十分な写字生の存在+学術的な本はイジャーザ=師の下でテキストを学びながら写本を作り、修了すると自分がそのテキストを他者に教える立場になれる制度があって、そこで自分のためのテキストが制作されている)ことに置いているけれど、さらにその背景に西洋に比べて中央集権体制があったことと労働生産力の豊富さがあることにまで踏み込む・・・ような資料を探す必要がある。
以下、各章等のメモ。
・はじめに
・イスラーム世界では8-18Cまで写本が栄え、写本による効率的な図書生産体制が存在していた
・「多品種少量生産」の写本(Cf:科挙テキストの大量生産の必要な中国)
←・この「多品種」のあたりは後で全体を読み返しておく必要はあるか?
◯1部
・1-1:イスラーム成立初期
・イスラーム以前のアラビア半島・・・書物の空白地帯。メインの記録媒体は記憶
・クルアーンの初期の記録・・・石や骨や葉にとられる
・ムハンマドも文盲
・ムハンマドが死去した(要確認)632年時点で朗踊される「書物」としてのクルアーンが成立する
・それが「本」(獣皮紙による)の形態を取るのはさらに20年後、3代正統カリフ・ウスマーンが書物化する・・・アラビア語で初めての「本」
・写本が主要都市に流通する
・751年・・・タラス河畔の戦い・・・製紙技術の流入
・アッバース朝イスラーム帝国における文書利用・書物文化
・バグダードには紙・写本の市場も
・著述家も生まれる(p.16に詳細)
・ギリシア語等からの翻訳運動(これもp.16に詳細)
・2-2:紙と市場の話
・タラス河畔の戦いで紙が伝播した、という説には異論もある
・当時の記録にはそう書かれているが・・・
・そもそもタラス河畔を服務、中央アジア・ソグド地域(従来、中国との仲が深い)が、イスラーム勢力下に入った事こそが大きいのでは? タラス河畔の戦いは一種の象徴?
・アッバース朝における紙・・・まずは文書行政に導入
・元々・・・勢力拡大時にビザンツ・ペルシア等の一部を制服
・それらの地域の官僚機構も取り込む・・・文書行政(羊皮紙・パピルスによる)が成立する
・それがアッバース朝で紙で行われるように
・紙の利点・・・インクが染みこむこと←これは気付かなかったが確かに!
・インクが染みこむので、改ざんされない⇔羊皮紙・・水でふいたり表面を削れば改ざんが可能
・ただし紙の導入自体は徐々に進む・・・政府に中央アジア出身勢力が進出するのとパラレル
・ワッラーク・・・写本作成、売買、情報提供等に従事する人
・メインの仕事は筆写
・筆写する人をいっぱい雇って本屋をしたりも
・学問の保護者・管理者でもある(p.41に詳細)
・1-4:写本クルアーンの世界
・初期クルアーン・・・そもそも口伝えで伝えるもの/声に出すことが前提
・その「音」に乱れが生じる・・・補助するものとしての「本」が必要になる
⇔・当初その「本」は元々のクルアーンを知らないと読めない・・・長母音以外の母音表記がないこと等による。本を送るときは読める人もセットで送る前提
・徐々に読み方も一律になるクルアーンが整えられていく
・1-5:ワッラークの1人、イブン・ナディームの『目録』を読み解く
・987~988に脱稿した本
・全10部、3,500人の著者、6,600冊以上の本の情報をまとめる・・・9-10Cのバグダード写本文化を伝える
・アッバース朝6代カリフ・マアムーンの翻訳事業
・ギリシア語古典をアラビア語に翻訳
・アリストテレスはじめアルキメデス、プトレマイオス、ユークリッド・・・
⇔・それ以前から翻訳の流れはある+一度ペルシア語を経由する例も
・9Cバグダード・・・学問・文化が花開く
⇔・10C・・・アッバース朝衰退とブワイフ朝成立
⇔・むしろ軍人や官僚がパトロンになることで文芸はいっそう花開く
・『知恵の館』について
・ペルシアの文化人が雇われ、ペルシア⇒アラビア語の翻訳に従事していたらしいことが『目録』からわかる
・「知恵の館」はサーサーン朝経由の宮廷図書館であって、教科書類に書かれているようなギリシア語からの翻訳が行われていた場所ではない?
・1-6:アラビア文字文化圏の広がりと写本文化
・p.101の「世界の文字分布」の地図は使い勝手良さそう
・アラビア文字文化圏≠アラビア語文化圏
・非アラビア語で文字のみ借用しているところも
・イスラーム世界・・・写本の愛好、木版・活版とも印刷は広がらない
・17Cレバノンが早期。中東に広まるのは19C
◯2部
・2-1:書物の形と製作技術
・ティムール朝ペルシア(1370-1507)が例に
・イスラーム世界の図書館の図多数。使えるかな?
・イスラームでは本は横積みで保管
・アッバース朝の書物の一般人における流通はよくわかっていない
・マドラサ・・・セルジューク朝期に広まった高等教育機関
・テキスト輪読で授業。その時に筆写⇒履修を終えるとそのまま私有
・ティムール朝・・・宮廷図書館に写本工房
・各王朝の図書館が写本制作機能も担う
・2-4:イスラーム科学の写本
・イスラーム科学の衰退・・・いつ、どこで、何が原因ではじまったのか、未だに不明
・2-9:オスマン朝社会における本
・印刷が普及しない理由の一つ:手書きで必要量が量産できている
・オスマンの本屋・・・自ら作って売る/古書売買に分けられる
・1638当時
・新刊本屋:イスタンブルに50程度あり、300人が働く
・古本屋:60店舗、200人、他に行商も
・ウラマー=イスラム学者・知識人と強く結びつく
・制作するのもイスラムの教育・学問書
⇔・流通する本の大半はイスラム学問関係
・その他の本もマドラサでの教育関係が多い
・そもそも図書館自体、マドラサかモスク付属で、利用者は学生
・個人の蔵書は?・・・遺産目録の調査が多数
・15-17Cブルサ:6/31が本を持つ。4/6はクルアーン1冊のみ
・17Cイスタンブル支配者層:240/1,000が本を持つ。大半はウラマー。女性31人。本を持つ人は平均より裕福。本を多く持つのはほぼウラマー。
・1671-1833ソフィア:180/1,111が本を持つが、6冊以上持ってる30人は大半がウラマー
・18Cサラエヴォ:10/36が本を持ち、商人の中にも蔵書家がいる
・総じて・・・15-17Cの個人の本のほとんどはウラマーの学術書
・図書館
・18Cイスタンブル・・・本をコレクションして図書館として公開することがブームに
・ラープグ・メフメト・パシャの図書館
・それでも蔵書の基本はイスラーム関係
・マドラサの教育・・・ある先生の下であるテキストについて学ぶ
◯3部
・3-1:イスラーム写本の流通と保存
・写本の制作・・・宮廷、書籍商、マドラサ・モスク(学問の場)で行われる
・マドラサ等での制作・・・イジャーザ=師の下であるテキストを学びながら写本を造り、後には自分が指導する側になる
・3-4:イスラーム世界と活版印刷
・アラビア語・・・漢字と異なり字数は限られる
・なのになぜ活版印刷が普及しない?
⇔・写本の定着
・大量印刷のニーズがない。ニーズの生じる近代(18C)以降は印刷も行われるように
・印刷に忌避感があったわけではない・・・ヨーロッパで印刷されてイスラーム世界で流通する本もあったり、マイノリティの間で印刷が行われる例も
・19C・・・近代化の流れ・近代的教育のニーズ+リトグラフの登場
・リトグラフ・・・手描きの文字をそのまま印刷できる+図版を印刷するのにも便利
・3-5:クルアーンの刊本・デジタル化
・1923・・・エジプト、ムハンマド・アリー朝の9代フアード1世の命令で、クルアーンの権威の指揮下でイスラーム世界初の刊本化がなされる