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うーん。
犬。
明治維新前後の事件に関わる、犬の話。
面白かったのだが、図書館に返す期限の関係で途中で諦めた。また借りるかは微妙、その位。
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野口武彦先生「幕末バトル・ロワイヤル・犬編」といったところ。全体に淡白な筆致なのでこちらも淡々と読み進めるが、第4章「西郷どんの犬」は急に熱が入り、読み応えがあった。九州出身?と思ったところそうではなかったが、西部本社勤務時代にいろいろ調べたのではないかな。今年こそ「翔ぶがごとく」を読むか!
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明治維新まで、日本の犬たちは、狆などごく一部を除いて「無価値」だったのだという。村で飼われていても、飼い主はなかった。「里犬」だ。犬たちは見慣れぬ人間を見ると吠えたてた。吉田松陰がアメリカの船に乗ろうと企てたのを妨げたのも、吠える犬たちだった。その犬たちは、開国でやってきた異人には、特に吠えた。そんなことがあって、明治の初年に畜犬規則が設けられ、飼い主のいない日本の犬の滅亡が始まる──犬たちにとって、明治維新は大変な歴史の波をかぶった時代だった、と、この本を読んで初めて知った。『犬たちの明治維新 ポチの誕生』という一冊。
物言わぬ犬たちにかかわることがらを、これだけよく調べたものだと思う。明治初年にやってきた外国人の日記、残されている日本側の文書など山ほどの資料。ペリー来航から、幕府が贈った日本の犬(狆)の頭数が何頭であったのか、という一事をめぐっても、多くの推測を加える。多弁というか、甚だ饒舌と思われるほどの記述だ。
話は、明治天皇が猟をするために犬を飼った歴史から、上野の山に銅像として残る西郷さんが連れている飼い犬のモデル問題、また西南戦争の最中にも西郷さんは猟に出かけていたこと、猟に連れていた犬の頭数にもこだわり、史料を漁っている。
面白いのが、副題にもある「ポチの誕生」にいたる考証だ。日本の「里犬」が畜犬規則で姿を消していく一方、文明開化の時代の波にのって洋犬が入ってくる。西洋人がその飼い犬に「カムヒア」と呼ぶのを聞いて、洋犬一般の名を「カメ」と呼ぶのだと聞いた。そして明治43年の朝日新聞の記事を引いて、犬の名前ランキングをあげている。1位がポチ、2位はジョン、3位はマル…といった具合だ。なぜ「ポチ」なのか。これにも諸説がある、として▽spottie▽petitなど英米仏語由来説を紹介したうえで、ピジン(pidgin)・イングリッシュという開港地・横浜で使われていた特殊な英語に注目し、「ぶち」を意味する「パッチ(patches)」からポチに転訛したものと結論。その「ポチ」が一般化するうえで、明治の教科書『読書(よみかき)入門』の第19課にある「ポチ ハ、スナホナ イヌ ナリ。ポチ ヨ、コイコイ…」と、さらにこれと連動して有名な童謡「花坂爺」が『教科適用 幼年唱歌・初編』に載ったことが大きかった、としている。決して「花坂爺」の時代に、ポチという名の犬がいたわけではないのだ。
こんな本を書く人は、どんな人かと見ると、仁科邦男さん、1948年生まれで、毎日新聞の記者を経て、出版局長、毎日映画社の社長をつとめ、『犬の伊勢参り』など犬に関する著書がほかにもあるようだ。いや、恐れ入りました。
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『犬の伊勢参り』の著者による、犬たちの明治時代。
黒船来航以来、激動の時代を迎えたのは人だけではなかった。犬もまた、時代の波に激しく揉まれた。
本書では、明治維新前後に軸を据え、外国人と日本犬、日本人と洋犬、里犬の消滅、西郷どんと犬、ポチの由来といったトピックについて、文献から実像を探っていく。
『犬の伊勢参り』で見せた丹念な史料の読み込みは本書でも健在である。
長い鎖国の時代を経てやってきた外国人にとって日本犬は珍しい生きものだった。狆を始め、海を渡った犬もいる。
相手が珍しかったのは犬にとってもまたしかり。当時はまだ現代のように、飼い犬がつながれて飼われる時代ではなかった。「里犬」と言われる土地の犬が街をうろうろしていた。そうした犬にとっては見慣れぬ風体の外国人は「怪しい奴」。激しく吠え掛かり、外国人を閉口させることも少なくなかった。
町の人々に取っては犬はそこらにいるもので、しつけて飼うものではなかった。外国人が洋犬に「カム・ヒア」と声を掛け、犬が寄ってくるのを見て驚いた。そして洋犬をカム・ヒア→カメと呼ぶようになる。よく慣れた「カメ」は人の口をなめようとする。洋犬を可愛がろうとしたところ、口をなめられて気味悪がっているエピソードが紹介されているのが興味深い。当時の日本人にとっては犬が口をなめようとするなど、思いもつかないことだったのだろう。
文明開化の一環として、明治政府は「畜犬規則」を設ける。「飼犬」と「無主の犬」に分けると定められたら、里犬は「無主」と呼ばれるしかない。そこに狂犬病が拍車を掛ける。狂犬病が入ってきたのは吉宗の時代という。オランダから猟犬を輸入したことによるらしい。その後、時々、流行しては下火になる形でウイルスが根付いていたのだろう。明治期に入っての流行として大きいのは明治26年長崎でのものである。この際、多くの「野犬」が撲殺されている。
なかなかおもしろい話題が西郷隆盛と犬の話。よく知られる上野の森の西郷どんは犬を連れている。像の通り、西郷は犬を愛したが、その様子はいささか常人の理解の域を超えている。始終複数の犬を付き従えては鰻丼を食わせ、祇園の座敷にも連れて上がる。一時は猟師になることも本気で考えていたらしい西郷は、西南戦争にも犬を連れて行ったそうだ。
さて、西郷の心中、なかなか測りにくいところがありそうだが、身体の大きかった西郷はまた、一般人の定規では測りきれぬ心の大きさもあったというところだろうか。
西郷が愛した薩摩犬は、残念ながら、維新の激動の中、あるいは殺され、あるいは雑種となり、純粋なものは残っていないようである。
犬の名前として、よくあった「ポチ」。この由来については諸説あるが、著者は「patch」説を採る。このあたり、推理の道筋が読ませどころなので、実際に読んでいただくとして、犬の名に留まらず、さまざまな国の間での人々の交流が透けて見えるようでダイナミックである。
語源はともあれ、「ポチ」が普及したのには教科書や唱歌の役割が大きそうだ。花咲爺さんの犬だって、明治期まではポチじゃなくてシロだったんじゃないか���ぁ・・・?なんて思わせる。
トピックがかなり広範にわたるため、『犬の伊勢参り』よりも散漫な印象を受ける。だが、明治期が犬にとってどんな時代であったのか、多角的に見ていくことで浮かび上がってくる像がある。
同時に、史料からああだったかこうだったかと突き詰めていく作業の楽しさ・厳しさを感じさせる1冊である。
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当たり前の事だが、人間に歴史があるように犬にも歴史がある。ただ、犬は自分で字を書くことも、しゃべることもできないため、犬・当犬たちによる”犬の日本史”、”犬の世界史”なるものは存在していない。
ただ、大和朝廷以前の日本の歴史がいわゆる「魏志倭人伝」に記録されたように、人間たちの記録を丹念に調べていくとそこに犬の歴史(犬と人間の有史以前からの付き合いがあればこそであるのだが)が浮かび上がってくる。
前著「犬のお伊勢参り」でも触れられた”犬たちの明治維新”が著者の興味にしたがって各論的に記述されている。幕幕・明治の外国人から観た日本の犬、明治天皇が飼育した犬、西郷隆盛の犬、ポチという名の謎等々。
連休を挟んでの読書で集中力が途切れたためか、思っていた程、面白さが満喫できなかったが、まさに”犬に歴史あり”といった内容であった。
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幕末から明治にかけての犬に関する内容。
様々な文献から犬に関する記述を集めて体系化したもの。
なかなか面白かったが、表題にある「ポチ」という呼称の誕生についてもう少し読みたかった。
「ポチ」の初出などわかるならぜひ読みたい。
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開国、幕末、明治維新、そして戦争は、人間だけでなく犬たちの歴史にも大きな変化を与えていた。
開国でやって来た異人さんと供に、外国の犬が日本に入って来たり、日本の犬が海を渡ったり。
わんこの世界も開国に伴い、暮らしぶりがガラっと変わるのですね。
明治以前は、里犬として地域で飼われていた犬たちが、登録制になったり狂犬病の予防接種を義務付けられる経緯、戦争中の犬の供出などなど。
雑多な資料を集めて整理して説明されている。
ちなみに、猫の資料は、あるにはあるが、すぐに化けたりするのであまり資料としての価値がないと言うのも面白い。
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図書館より。
女優の杏ちゃんがテレビで紹介していたから読んでみた。
犬好き、歴史好きならもっと面白いんだろうが。
知識が中途半端なので、微妙によくわからない。
犬にも不遇の時代があったんだね。
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名もない犬たちが日本人の生活とどのように関わり、生態がどう変化したかという研究を続ける著者。
スマスマで杏ちゃんが紹介していた一冊である。
日本の里犬がどのように絶滅していったか、人の歴史を辿りながら過程を追ったもの。幕末のペリー来航による日本の開国と共に日本の犬も開国。横浜港の外国人居留地ができると、欧米人とともに犬も日本にやってきて、日本の里犬と欧米の犬が比較され始める。
明治政府による、すべての犬への飼犬化が行われ、「畜犬規則」により、無主犬は捕獲かその場で撲殺されたらしい。。
戦時、金属類回収令=供出が出された。それに犬も対象となったらしい。
むごい運命を辿った犬たちの歴史を知ることが出来る一冊。
・座敷犬として価値があった小型犬の狆(チン)
・洋犬=カメ
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本書の主眼は、あとがきにあるように、
「かつて日本の犬のほとんどを占めていた里犬(町犬、村犬)が明治維新を境に絶滅の道をたどった」という「知られてない」事実を書き遺すこと、「犬の史料はいろいろなところにちらばっている」ものを、「体系的に記」すこと。
膨大な資料に当たったのであろう、『日本書紀』や『平家物語』などの古文書から、幕末から明治にかけて日本を訪れた諸外国からの要人たちの日記に至るまで、多くの引用を用いて、この日本に於ける犬の存在を浮き彫りにしていく。
明治以前、村や町といった地域の共有物だった”里犬”の存在を、やれ吉田松陰が黒船への密航を企てた砂浜で犬たちに吠えられて失敗に終わったとか、各国の駐日大使、領事、商人たちがむやみに村に入ろうとして犬たちに吠えかかられて怖い目にあったといった類の証言を引いて傍証する。
その間に、洋犬は当時「カメ」と呼ばれていたが、その語源は欧米人が「Come here」と自分の犬を呼んでいたのを、当時の日本人が「カメや」と聞き違えたとか、米国の初代日本領事ハリスが披露したという「犬のしっぽ」の話、英国初代駐日公使オールコックが日本人に好意を持つようになったキッカケが愛犬の不慮の死を日本人が手厚く葬ってくれたことから、「日本人は、支配者によって誤らせられ、敵意をもつようにそそのかされないときには、まことに親切な国民である」と見直していく様など、犬にまつわるエピソードが次から次へと披露される。
明治政府による「犬畜規制」発令以降は、西欧の例にならって「飼い犬」という概念が生まる。飼い犬と無主の犬に分けられ、里犬として地域で可愛がられてた犬が、持ち主が特定されないと撲殺されていったという。
絶滅の道をたどったとあるが、最終的にこうした野良犬を見なくなるのはいつごろのことだったであろうか。少なくとも自分の幼少時代(小学生のころ)は、まだ奈良の田舎では野良犬たちが川原や空き地の片隅に群れを成して生息していた。
明治維新による境遇の大変革を語るに留まらず、明治政府の重鎮で犬連れで有名な西郷隆盛については一章を割いて語る。いわゆる”西南の役”(西南戦争)で、西郷が犬を連れていたことから「西郷隆盛は西南戦争を戦争だと考えていなかった」という作者個人の歴史の推論が語られるところが本書のクライマックスだろうか。犬の存在から、そこまで論を展開(飛躍?!)させるところが面白い。
メインは幕末から明治のころにあるが、とにかく「犬」が出てくればありとあらゆる資料を読み漁ったのだろう。時代を超えての渉猟ぶりが凄まじい。
例えば、「犬死」という言葉が『保元物語』『平家物語』に出てくることから、その言葉は「内裏での犬狩りに起源を持ち、武士の流行語として定着していった」と推論する。
「狗吠え」という古代史に出てくる隼人という南九州の部族(国)の風習を遠くチベット(吐蕃・とばん)の狗吠えという挨拶の方法を日本の説話の中に取り入れたという私説を展開、『日本書紀』にある山幸・海幸の神話に出てくる、海幸の「子孫、八十代先までも狗人になります」(狗吠えをする)という隷属の��思表示を神武系集団による隼人征服譚だと話を広げていく執念にはひたすら脱帽である。
この「狗吠え」の話は、玉岡かおる著『天平の女帝』の中でも隼人族の不思議な能力としてフィーチャーされていた。
狗人になり、俳優(わざおぎ)の民となり(歌舞を演じる)、手や顔に赤土を塗り(身を汚して)隷属を示すという『日本書紀』の記述では、澤田瞳子著『孤鷹の天』の主人公のひとり奴婢の赤土を思い出させる。『孤鷹~』の中では単に奴婢とだけ記されていたが、身分が低いながらも常人離れした能力を持った赤土は、隼人族の出身者であることを、この名前から想起させるよう書かれていたのかもしれない。
こうして話題は、犬たちにまつわる明治の大変革に留まらず、時空を超えてあらゆる例に飛び散っていき、さて作者の思惑通り”体系的に”まとまったのかは、やや疑問が残るところではあるが、この一冊で犬にまつわる面白おかしい知識、雑学は相当蓄えられる。
なかなか楽しい一冊であった。
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幕末から明治維新までの間の日本の歴史を、「犬」に焦点を当ててまとめられた一冊。欧米文化が日本に流入すると共に、日本人にとっての外国語と、外国人にとっての日本語がどのように共鳴し、新しい認識を生み出したかが説明してあり、勉強になった。また、集めた情報をもとに、筆者がその時代に何が起こったかを仮説を立て、分析している点が独創的。共にその時代を分析している気分になれる。
読後は、人間だけでなく犬も日本の時代の変化に翻弄されたこと、結果、人間によって犬の多くの命が犠牲になった事実を知り、悲しくなった。同時に、実家にいる愛犬と家族が、今共に生きることができていることに感謝をせざるを得なかった。
事例は豊富なのだが、そのせいでかえって話が飛び飛びになり、やや読みにくい部分があったので、その点を踏まえ、星4つ。
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黒船の来航から、激動の近代を迎える日本。時代の波に呑まれたのは、なにも人だけではなかった。かねてから人の身近にあった犬たちもまた、激流の只中に投げ込まれた。洋犬の移入に、狂犬病の蔓延、そして、戦争。今も身近にある犬たちだが、振り返ってみれば、もともと日本にいた犬の、そのほとんどが、すでに姿を消してしまっているという。いったい、何が起きたのか。あらためて、犬たちの辿った明治維新を追ってみたい。
近代になるまで、日本に「飼い犬」はいなかったという。そこかしこの犬は、村の犬、町の犬であり、誰か決まった「飼い主」がいたわけではなかった。もし「飼い主」がいたとしても、放し飼いであったから、他の犬と大差は無かったという。犬たちは、長屋の軒下や、神社の床下に住み着いて餌をもらい、代わりに不審者を吠え立て、子供たちの遊び相手をした。犬たちは「飼う」ものではなく、「共に生きる」ものたちであった。
そこへ、開国から多くの欧米人と共に、洋犬がやってくる。人の顔を舐め、芸をこなすその愛想は、当時の日本人をひどく驚かせたという。ましてや、一匹一匹、犬に値段があるなど、とても考えられないことだった。犬は誰かの所有物ではなかったし、お金で交換するような価値ではなかった。(例外として座敷犬「狆」がいる。これは贈答用で、ペリーにも贈られた)。欧米化の盛り上がりで、洋犬を「飼う」ことがステイタスになると、もといた和犬は、心ならずも軽んじられるようになった。
また、船に乗ってやってきたのは人と犬だけではなかった。すでにそれ以前より、狂犬病の侵入はあったが、開国による往来の増加が、さらなる感染の拡大と、被害の深刻を招いた。効果的な予防法が無い当時にあって、犬の管理を急いだ政府は、明治6年、「畜犬規則」を定めた。これは、市中の犬を「飼い犬」と「無主の犬」に分け、後者を殺処分する決定であった。和犬は為す術もなく、たまたま「飼い犬」になれたものの他は、「無主の犬」として追われることとなった。
この「畜犬規則」は、狂犬病対策というより、人と犬の関係を欧米化するのに決定的な役割を果たした。犬には「飼い主」が必要となり、人と犬の関係は、「飼い主」と「飼い犬」という、「個」と「個」の関係になった。象徴的なこととして、犬の名前の変化があげられる。それまで、シロ、クロ、デカ、チビなど、毛色や見た目で分かる共通のものだったのが、ポチ、マル、ジョン、ベスなど、個別のものになった。本書の副題「ポチの誕生」とは、人と犬の近代化のことであった。
さて、新しく日本人に連れ添った洋犬だったが、その後蜜月が過ぎたわけではなかった。高価で買い求められた洋犬も、相変わらずの放し飼いであった。狂犬病の流行は続き、殺処分されるものが後を絶たなかった。また、洋犬、和犬問わず混血し、雑種化が進んだが、そうなるともう、かつての純血の洋犬のようには持て囃されなくなった。そのまま「無主の犬」化(人々はそれを野良犬と呼んだ。)するものも少なくなく、明治の終わりには、日本に住む犬たちのほとんどが和洋雑種になったという。まことに人の勝手であった。
犬たちの受難の��もたるは、戦争の激化による供出であった。物資の不足するにつれ、兵士の毛皮にするため、全国から犬が集められた。昭和になって国の天然記念物に指定された6犬種(秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、四国犬、北海道犬)以外は、洋犬、雑種、根こそぎであったという。わずかに残っていた他の和犬も、それで失われたとされる。(上野の西郷像が連れているのは薩摩犬だが、おそらくこれもその一例であった。)さらには、集められた犬たちの、殺されるだけで、毛皮にもならなかったのが大多数であったという。飼い犬に手を噛まれるとは、いったいどちらの言い草であったか。
「ポチ ハ スナホナ
イヌ ナリ。
ポチ ヨ、コイコイ、
ダンゴ ヲ ヤル ゾ。
パン モ ヤル ゾ。」
『読書(よみかき)入門』明治19年の教科書より
「人と同じように、日本の犬たちにも開国があり、幕末があり、明治維新があり、文明開化があった。しかし、犬の歴史は、人の歴史の中に埋没し、犬が激動の時代をどのように生きてきたのか、顧みられることもなかった。埋没した犬の歴史をいつか世の中に出してみたい、と思いながらずっと史料調べを続けてきた。 <中略> (ついでに猫の史料も探してきたが、猫の方はすぐに化けたり、崇ったりして、暮らしぶりがわかるいい史料が少ない)。」
↑猫すごく気になります。
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犬の「巻き尾」の表紙に釣られて購入
以前読んだ「犬の伊勢参り」と
同じ著者だった(今回も面白い)
江戸の頃までの人と犬との関わり方
明治維新から変わっていった飼い方
地域によって難しい事や
反対もあるだろうけど
近年の野生動物と人間との
トラブルを聞くと
里犬(地域犬)のような飼い方も
ありなのではないかなーと思った
犬の目から見た大河ドラマとか
面白そうだなと思った
古本トワサンにて購入