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極右の塊のような現内閣を誕生させたのは、一部の政治家のせいではなく、20世紀の終わり頃から日本国民が徐々に右傾化してきたことの帰結である。その右傾化の波が目に見えるように現れてきたのは、西尾幹二や小林よしのりのような低レベルな知性が集まって「新しい教科書をつくる会」を結成したことが、ひとつの大きなきっかけとなっていた。
あんなレベルの低い連中の本なんか、ちょっと読めば矛盾や飛躍だらけだとすぐわかるはずなのに、日本の国民大衆の教養レベルが低すぎて、だんだんと引きずられていってしまったのである。
この本も「つくる会」の動きを始めにとりあげている。小林よしのりについても、批判的に取り上げて分析している。
けれども、本書は単に「歴史修正主義」を批判する啓蒙の書というわけではない。「歴史」とはなにか、「歴史」を我々はいかに獲得するべきか、という、よりラジカルなテーマで展開しており、一種の思想書として、まとまったできあがりをしめしている。
結局、「真摯に歴史に向かえ」という教訓に至るしかないままに終わってしまう。しかし、われわれは一人一人が、緻密にデータを集めて、いちいち歴史を検証しなければならないとは、いかなる時代か。ふつう、そんなことは歴史研究家に任せておけば良いはずではなかったのか。
本書は安倍晋三が躍進するよりずっと前に書かれたもので、最近の日本の「歴史修正主義」の跋扈について触れているわけはないのだが、ここ数年の、国民「精神」の異状はきわだっている。テッサ・モーリス=スズキさん、こんにちの状況についてはどういうだろう?