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ぬるくなく、全部やる。ナタリーの歩みと熱量が伝わりつつ、後半の津田氏×唐木氏の対談で、著者のパーソナリティが第三者的に見えて来たのがまた良かった。 で、思わず一気読み。
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キュレーションメディアとか最適化とか、それぞれの趣味嗜好に合わせて世界を作るテクノロジーに目が行きがちな今。
ナタリーという音楽情報サイトがどのような想いと歴史で作られてきたのかを明らかにする作品。
キュレーション以前の世界がしっかりしていないと、キュレーションもへったくれもないんだということに気づかせてくれた。やっぱりコンテンツはちゃんと作られないといけない。
この気付きは自分の仕事観にも影響を与えてくれそうだ。
と同時に、著者でありナタリーの創設者である大山卓也氏以外にも、ナタリー倒産の危機を救った津田大介氏が持つ営業力やマネタイズに対する観点も強い影響を与えてくれる。
仕事を哲学しながら楽しみたい人には確実に面白い作品。
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元気になった!魅力的なサービスのスタートアップはたのしい(ひとごとだからだけど)。ほぼ日の本に通ずるものを感じた。ドタバタさと真剣さが素敵。ゆるく見えるけど真面目真面目。
巻末に津田さんと唐木さんの対談があり、大山さんという人の人柄が伝わってくる。本文だけではわからなかっただろう。対談付きでひとつの物語。
ナタリーは、カッコいいお兄さんたちが、意外にまじめに真剣にたちあげたサービスなんだなあ、と楽しくなった。
これからもナタリー読みます!
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確かにロキノン的な私語りというか自分の人生と合わせてアーティストや楽曲を語るというメディアがあってそれはそれで当然好きだし影響を受けているけど、自分がさほど興味がない場合だとその私語りがシールドみたいに邪魔になってしまう。
そういう意味でフラットに情報プラス少しの取材や確認したファンなら知り合いことをを一緒に載せているナタリーってメディアが広まっていったのはその自意識を抜いたファン目線で作られたからなんだろう。
『文化系トークラジオLife』の「ソーシャル、レジャー、リア充」で津田さんも言ってたみたいにmixi時代から誰かにニュースを教えたいって欲望ともそのフラッとさがうまくあったんだろうなって。
大山さんが語る部分と津田さんと唐木さんの対談が相互補完しながらナタリーというメディアと大山さんという編集者が浮かび上がってくる。
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薄い。読みやすい。そして、腹に落ちる。同じ時代を愚直に生きてきた人の本。社員が数名の時に、本気でナターシャに応募することを考えた時期があったなあー
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Perfumeのキモい(褒め言葉)記事をどこよりも早く(最近はそうでもないときもあるけど…)上げてくれるナタリーってまさにどうなってるんだろうと思って手に取りました。
結果、思った以上に真面目に地道に作られてることを知って好感を持ったと同時にこういうメディアが長続きして欲しいと感じました。
「欲しいと思ったものが世の中になかったから自分がやる」という姿勢は、本当は誰もがやりたいと思いながらなかなか行動には移せないものですが、それをフットワーク軽くやってしまう、そしてそれが多少行き詰まっても問題を解決し続けていけるのが大山さんの凄さでしょうか。
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日々コツコツと、プライド持ってやりましょうよ、ってそういう話。Webメディアに限らず、いろんなところに通じること。
やめるときはスパッとやめるって話も大事な要素だと思います。
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何かで知って(何で知ったのだったかちょっと思い出せず)、図書館にちょうどあったので借りてみた。「ナタリー」とは、ポップカルチャーの情報サイトで、著者はそのサイトを立ち上げて運営してる人。
もとは音楽ニュースサイトとして生まれ、そこからマンガやお笑いの分野にフィールドを広げていったというサイトで、「マンションの一室ではじめたサイトが、いつのまにか毎月2000本以上のニュース記事を配信し、月刊3000万を超えるPV(ページビュー=閲覧数)を獲得するまでに育ってきた」(p.4)そうである。
子どもの頃から好きになったものを「もっと知りたい」というキモチが強く、自分が欲しいサイトがなかったから作ってしまった、という感覚の著者が、自分の想像を超えて育った「ナタリー」について書いてみたのがこの本。
私は、「ナタリー」というサイトを全く見たこともないままこの本を読んだが、メディアとか、何をどう伝えるか、仕事としてやっていくこととお金…そういう点でいろいろとおもしろかった。本を読みおわってから、初めて「ナタリー」を見た。ふうううん。
「ナタリー」 → http://natalie.mu/
たとえば、「ナタリー」を始め、毎日朝から夜中までひたすら原稿を書きながら、何かがおかしい、と気づいたときの話。
▼…あるとき気が付いた。そもそもナタリーを始めるにあたって、自分はなんのビジネスモデルも用意していなかったのだ。サイトをどうやって収益化していくかについてのアイデアを一切持たないまま、とにかく作ってみただけ。今考えるとボンクラすぎる話だが、いいサービスを作りさえすれば結果はついてくるものだと、当時の自分は楽観的に考えていた。
モノを作る人間は、時としてそのクオリティを高めることに意識を集中させすぎて、作ったものをどう広めてどう売るかという発想が抜け落ちてしまうときがある。ナタリー初期の自分はまさにそういう感じだった。(p.48)
"いいサービスを作りさえすれば結果はついてくる"てなことは、そう簡単に起こらない。イマドキだと、フェイスブックで「いいね!」が沢山ついたからといって、それがばかすか売れるということもない。作ったモノを売るのは、本当に難しい。本や雑誌は、すごくよかった!からといって、一人が何度も何冊も買うものではないし(まれに奇特な人が、大量に買って、周囲に撒くという例はあるが)。
「ナタリー」の記事をどういうスタンスで書いているか、という話も私にはおもしろかった。「記事を作るにあたって「書き手の思いはどうでもいい」というのが、ナタリーの一貫したスタンス」(p.66)で、「文章の内容も、取り上げる題材も、偏りや主張を極力排除して記事にするのが、"ナタリー的"なやり方」(p.69)だという。
▼これは旧来の雑誌媒体が作り上げてきた方法論とは明らかに異なるものだ。雑誌の時代は偏りこそが重要だった。限られた誌面の中で何を取り上げ、何を取り上げないか。そこにその媒体の編集方針が反映され、送り手の意志が見えてくる。そうやって雑誌は自らをブランディングし、固定読者を獲得してきた。…(略)…
だが、そうした雑誌のあり方を「メディアの理想像」としてそのままウェブサイトに適用するのは、今やなかなか難しいように思う。(p.70)
こんなあたりを読みながら、わざわざ購入して読もうという紙媒体の雑誌(誌面には限りがある)と、移動や休憩の時間に目を引く記事を見つけたらなんとなく読みはじめ、少しでもつまらなかったり読みづらかったりしたら離脱してしまうウェブ媒体(そこには膨大なスペースがある)との違い、読者との距離感やつながり方の違いを、しばし考えた。
そして、オフィスを構え、スタッフ全員が顔をつきあわせて作業するという「ナタリー」の仕事環境の話も、5年ほどほとんど一人で在宅勤務をしてきた私には興味深かった。
「ナタリー」の記者のあいだでは、このサイトに何が載っているべきかについて了解があるという。その了解があるから、特段の編集会議は要らず、記者スタッフは共有の「ナタリーネタ帳」から阿吽の呼吸で記事を作っていくという。
▼ネタ帳にある数百件のネタのうち、何を記事にするか。それは「ナタリーに何が載っているべきか」という基準のもとに決まっていく。「好きだから」とか「書きたいから」ではない。個人の好き嫌いはどうでもいい。いくら好きなアーティストの話題でも書くべきでないものは書かないし、逆に記者個人として興味がなくても「この情報は世に出すべきだ」と思えば即記事にする。(pp.78-79)
この「阿吽の呼吸」を維持するために、「我々はオフィスを構えて毎日出勤しているのだと思う」(p.80)と著者は書く。「効率だけを考えれば馬鹿みたいな話だが、その非効率なやり方こそがナタリーの価値を生んでいるのだと思っている」(p.80)と。
著者の「みっともないことはやらない」という心にも打たれた。「ナタリー」というサイト自体は、ちょっと私の興味関心とはズレがあるようで、毎日毎日ぜひチェックしようとは思わないのだが、このメディアはこんな心意気でつくられているのだなというのがよく分かる本だった。
巻末に、著者・大山卓也について、津田大介(「ナタリ−」のニュースを他サイトに売ろう!と提案して収益化の道をつくった人)と、唐木元(コミックナタリーとナタリーストアの編集長)が対談したのが収録されている。
「しょうもないメディアしかない死屍累々の日本のネット状況」(p,177、津田)のなかで、ネットメディア全体の底上げをやるべきかと思うときがあると唐木がしゃべっている。ここがすごくおもしろかった。
▼今はキュレーションメディア流行りでしょ。あれって要するに見かけのいいバケツじゃん、皆さん、バケツばかり作って、どこで水を汲むんですか?って思う。一方、我々はその水が湧いてくる井戸をやってる。本来はそれがメディアというものでしょう。中身を作り出すということについて、本当は我々が少数派になってはいけないんだよ。(pp.177-178、唐木)
(10/16了)
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1日に一度以上は必ず見ている、音楽情報というよりポップカルチャー全般を扱うサイト、「ナタリー」。
この種のサイトが数年前から乱立する中、ナタリーだけがある種の熱気を持って迎え入れられているのはなぜだろう? とずっと気になっていたので、読んでみた。
「みっともないことはしない」ことを大前提に、設立当初から「編集者の仕事は自己表現ではない」とライターたちにさんざん言い聞かせ、全部のニュースをフラットに扱うことで、今の地位を築き上げたのだ。
簡単なようでいて難しいこれらのことを事もなげにやってのける大山卓也という人は、共同事業者の2人の言葉を借りれば「確実に天才」なんだろうな。
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自己表現を徹底的に排除し、フラットにニュースを扱うということに徹する強い思いと継続性があってこそ、ここまでのメディアとして成り立ったのだなあ。
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ナタリーが今のようになるまでを、生々しく書いている。一つのメディアが立ち上がるまでの熱気、挫折、喜び、色々なものが伝わってくる。
そして、他と同じことはやりたくない、他ではないことをやる、自分が正しいと思うことをやる、という本人の強い意思と繋がった商品作りでもある。一つのメディアが立ち上がるまでの物語としてとても面白かった。
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ナタリーというサイトがあるのは昔から知ってたけど、こんな拘りというか熱いサイトだという印象がなかった。さすがにここまで音楽に情熱がないということもあるけど、ここまで真のメディアであることに拘っているとも思ってなかったから。著者本人は淡々と、どちらかというとダメ人間風に自分の事を書いているけど、巻末の対談を読めばただ者ではないことは分かる。本書のそこここにも書かれているけど、巷にはいい加減なサイトが多く、もうそれが当たり前だと思っていたけど、ナタリーのように私見を交えず事実をひたすら書き続けるサイトが存在し、それが続いている事に驚いたし、夢を感じた。私も偏見を持たず、本当のウェブサイトを求めて行こうとおもった。
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ナタリーってこういう感じやったんや。
ミシマ社やpatagoniaのストーリーに触れた時のような、清々しい気持ちになれるナタリーの創業物語。
表現する < 伝える(ファン目線で)
今までのナタリーについて自分語りしているけれど、ナタリーらしいから全然いやらしさがない。かと言って冷めているわけでもなくやっぱり掴みどころがない(笑)
でも、ナタリーが大切にしている、
批評をしない × 全部やる = ぬるいものはダサい(美徳はウザくない・さりげない)
というナタリースタイルからは、とっつきやすいいいお兄ちゃん感が出ている。
忌野清志郎さんの葬儀取材エピソードにはふるえた。こういう想いを持っているマスメディアがいることが救いやなー、と。
紙メディアでなく、ウェブメディアである必要性を大事にして信頼してもらえるスタンスで戦っていくナタリーのような媒体がもっと増えればいいのに!
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ナタリーの歴史が分かる本。特に、「ちゃんとやろうぜ」にはいろいろ考えせられてしまった。大山さんの家は全然モノがないらしい。
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ナターシャの代表取締役である大山卓也さんが、ナタリーを創るまで、できてからの話、ナタリーの仕組みが書かれている本