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平成二十二年(二〇一〇年)三月十一日、一人の女性が逝った。昭として生まれ、戦後最大の巨星、田中角栄の公私をささえ、「越山会の女王」と呼ばれた佐藤昭子。娘である著者が亡き母との日々、時代を駆け抜けた昭と角栄の歴史の表裏、ともに生きた自己を語る迫真のノンフィクション。立花隆氏との対談をも収録。
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著者の母は田中角栄の秘書兼愛人で、「越山会の女王」とも言われた佐藤昭子。そして、著者は佐藤昭子と田中角栄の間に生まれた娘である(認知はされてないので、戸籍上の父は別の人)。題名通り、本書の内容は主として母と田中角栄についての思い出や、残された角栄から母宛の手紙についてであるが、自身の破天荒な行状にも触れられている。
角栄については、別の愛人である辻和子、そして著者の母である佐藤昭子自身による角栄本、そして本書の著者と、3人もの本宅以外の女性が著者となっている、別な意味で稀有な政治家だ。今の時代だったら、一発で政界引退レベル。辻和子の「熱情」同様、角栄の私生活での人となりがわかって面白かった。
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田中角栄元首相の愛人の子(認知されていない)による、角栄氏の愛人であり秘書であった自分の母の人生を、その死をきっかけにたどる。
新潟の豪雪地帯から、学問もなく上京して商売をしていた田中角栄氏には、不思議なカリスマ性があり、国会議員になった後、史上最年少で首相になった。
角栄氏が新潟で選挙活動をしていた時に知り合った、佐藤昭さんは、秘書としてスカウトされた。そのときすでに角栄氏には正妻と子どもがいたが、秘書として手伝いながらも、角栄氏の愛人となり、娘(著者)を生む。角栄氏は同時期に芸者にも2人子どもを生ませており、3つの家庭を持っていた。妾の子という立場の著者は、角栄氏に愛され、経済的に不安のない生活を送るが、複雑な生い立ちに悩み、自殺未遂を繰り返す。田中角栄の秘書である母は、だんだん権力を得て、他の政治家を取りまとめてマスコミにいろいろ取り上げられる。
子が親を見送った後にかならず持つ疑問「父(もしくは母)の人生は幸せだったのだろうか」。母親が死ぬまで、著者は母を許せなかった。愛されはしたが、普通の家族に生まれたかったという。やはり、有名人や富豪の家に生まれた人は、それだけで幸せになるのが難しい気がする。精神の健康を維持するのが大変だ。
本書を読むと、田中角栄氏が、情に厚く並外れたエネルギーを持った人だったことが良くわかる。そしてどれほど著者のことを愛していたか。著者の身の上には同情もするが、その後の人生に失敗したのは、角栄のせいでも母のせいでもなく、自分のせいだ。母だって、首相の右腕として活躍しながらも、娘の認知すらされず、どれだけみじめな思いをしてきたか。娘がグレて反抗して、大変だったに違いない。正式な家族も苦しんだはずだ。
母娘といっても、いたわり愛すことができるとは限らない。悲しい母娘の関係だった。
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まず、このカバー表紙をみてほしい
この可愛い女の子が著者、佐藤あつ子さんである
言わずと知れた元総理大臣田中角栄とその秘書であり越山会の金庫番佐藤昭子さんとの娘なのだそうだ(そうだというのは認知されてはいないとご本人がおっしゃる)
普通ならこのような本は機会があっても拾い読み程度、ちゃんとは読まないだろうし、わたしは感想を言いもしない(つまりミーハーな興味を恥じるからで)
しかし、どうだろう、一気に読んでしまい、しかも感動で涙が止まらなかった
良悪いろいろな意味で有名すぎる政治家の父、そのそばでのやり手秘書、女王のような母、その隠し子である本人の物語は、同情はしても感動を与えるものではない
いつにご本人の54年に渡る苦しい人生から得たものの真実があるからである
「どうしてわたしは生まれてきてしまったんだろう」
そりゃそうだろう、だれでも一度は悩む人生への目覚め
その立ち位置が異常な立場なのだ
それは「昭(あき)」さんという勝手な、奇態な母と娘における葛藤の物語を書いているようでいて、ある女性の身を挺した「わたしがここにいるアイデンティティを知りた」いという生き様が、そくそくと迫るように描かれているのである
それに、功罪は別にして、わたしは好きではなかった人物、あの田中角栄さんの別の顔「情に厚い、もろい」部分の噴出におどろく、この母にも娘にも他にも
副題「田中角栄と生きた女」の「女」は母ではなく娘のことなのだ
佐藤あつ子さんという女性にエールを贈りたい
父のブルトザー的猛進と母の執念的な情熱とを飲み込んで、すばらしい文筆活動をしてほしい
54歳はまだまだよ、いいものを持っていらっしゃるのだから