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沖縄のシンドラーだ。 何から沖縄県民を守ると言うならば、米軍よりもむしろ日本軍だった。 非戦闘員を顧みない日本軍から県民を守ったのだろう。 家を失い、職場を失い、何日も劣悪な環境の壕の中で砲弾や米軍、そして日本軍の強引な抑圧に身を潜めて、最後に命を失うことが半ば判っていた人たちが、どんなに虚しく腹立たしい思いを抱いていたのかは想像に絶する。
「沖縄から東京は見える。 東京から沖縄は見えない。」 この話も、こんなにもむごい歴史を繰り返さないために、語り継いで今の日本人の記録に残すべきだ。
島田叡、この本を妻にすすめられて読んだが はじめて知る人物だった。
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先日、沖縄県知事選挙は元那覇市長の翁長雄志氏が当選した。
辺野古基地移設反対の勢力が現在の与党の力に圧勝した瞬間だ。
しかし、果たして本当に翁長氏は沖縄県民の為に全政治生命をかけて、いや命をかけて沖縄県民を守ってくれるのだろうか?
この本を読んで、初めて島田あきら知事の事を知ると、最近の県知事の行動のぶれが見えてくる。
昭和20年当時の内務省では全国の府と県を一等から三等に分類していた。沖縄県は一番低い三等。
戦争の状況が悪化するにつれて、沖縄県に内務省から赴任した知事は出張を言い訳に沖縄から逃げていた。そのため、誰も着任希望がいない。
その時に島田あきらに赴任の通知がきた。
島田はすぐ赴任を了承した。
米軍が上陸前の昭和20年に1月に赴任して、まず行ったのは、米軍が上陸する前に県民を県外の疎開と、北部(やんばる)への疎開で避難することである。
しかし、県民はなかなか地元を離れない。そこで、農村を直接訪問して、県民と酒を呑みながら話をしたり、この頃、以前の知事から禁止されていた、村芝居とか沖縄方言を復活させて、お酒も増配させて、大変な時期に戦時中でも楽しみは必要と考えての行動だった。
さらに、米軍が上陸して、焼野原になった時も、一緒に防空壕に入り、県庁の会議を壕の中で行い、常に県民の近くに寄り添い、県民にこう発令した。『どこの畑の作物でもいい、これは全て県民共用の食糧である。自由にとってよいから命をつなげなさい。これは泥棒ではない。そのかわりとったイモを食べずに蓄積したり、捨てるようなことはしてはいけない。食べるだけとったら、次の人のためにイモの葉を植えておこう』と皆に伝えた。
食糧が尽きかけた時は、知事が自ら台湾に行き、食糧を調達した。
また陸軍に対しては、南部には陸軍は移動するな!首里の日本陸軍の基地を守って、県民が多く逃げいる南部には行くなと伝えたが、戦況は最悪の状況になっていく。
海軍の司令官大田が自決の前に島田知事の意思を継いで、歴史に残る電報を送った。
『県民のうち、青年、壮年の男子は全て軍の召集に捧げ、残された老人、子供、女性は相次ぐ砲撃、爆撃で家や財産の全てを焼かれ、軍の作戦行動に支障のない場所にある小さな防空壕に避難した。そのうえ、砲撃や爆撃の下で風雨にさらされ、乏しい生活に甘んじるしかなかった。それでも若い女性は率先して軍に身をささげて、看護や炊事はもとより、砲弾の運搬や捨て身の斬りこみ隊参加を申し出る者もいた。』と伝えた。
結局、沖縄戦では、県民60万人のうち、14万人の県民が犠牲になった。実に県民4人に1人の割合いである。
唯一の救いは、島田知事のお陰で、20万人の命が救われたことである。
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島田叡は、戦中最後の沖縄県知事である。昭和20年1月に前任知事が病気などと言って逃げ出したので後任として送り込まれた。すでに、米軍上陸間近と目されていたときである。
高官が逃げ出し、組織の体をなしていなかった県政をまとめ、台湾から米を取り寄せ、県民と共に戦争に巻き込まれていった島田叡の経歴、エピソード、知事としての行動などを、生き残った人や同級生などにも話を聞いてまとめたものである。
世間にはあまり知られていない人で、確かに立派な人だったようである。だが、テレビの報道ドラマを作った人たちが書いただけに、表現が過剰で、思いこみが多く、イメージ先にありきのドキュメンタリーになっている。かえって本当の姿が見えないのではないかと思う。いい素材だけに、その点が残念である。
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何度も沖縄には行ってるのに島田叡さんという名を知らなかった
内地でももっと大きく取り扱っていい人だと思う
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良書です。このように疎開を進め、戦の最中県民と行動を共にし亡くなった沖縄県知事がいたことは、沖縄県民の私も不明にして知らなかった。沖縄戦時に鉄血勤王隊の隊員だった太田昌秀元沖縄県知事が尊敬するというのも納得である。
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3月にドキュメンタリーが公開するらしいので。興味があって手に取りました。
よく、記録に残ると記憶に残るとは違う。というけれど、この島田知事こそ後者のタイプ。
当時の県知事は、選挙による選出ではなくて、中央からの任命制。
島田知事が赴任する前の知事は、出張で東京へ行ったきり戻って来なかったそう。1941年1月の着任って、歴史を知ってる私達からしたら、悲劇的な最期しか想像出来ない。
実際1945年の6月の下旬を最後に行方不明になったそうです。
就任の話当然家族は、反対。結果、単身で赴任されたそうです。
「俺が行かないと誰かが行くことになる、自分は行きたくないから誰かに行ってくれとは言えん」と家族に伝えたそうです。
在任期間は僅か半年程度なのに、当時の日本領である台湾からお米を輸送させたり(制空権は米国下)、人々の疎開に尽力したりと、えっ!そんな出来た人が居たの??と驚きの事実でした。
また当時は、赴任するにあたって赴任場所により3段階のランク付があったそうです。
沖縄は、最低ランクの3だったそうで、給料などの待遇も他のランクの自治体よりも劣っていたそう。
そのため、余計にキャリア官僚は赴任したがらなかったそうです。
非常時で光るリーダーと平常時に求められるリーダーの資質って、まったく違うのは分かりつつも、
今こそこういう行政の首長とか政治家が居ればとつい思ってしまいたくなる。凄く損な役回りだから、普通の人はなりたがらなくて、当然だけど。
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2022年12冊目。
沖縄に、平和を祈る旅に行ったことがあります。
ひめゆり資料館、平和祈念公園、海軍司令部壕に足を運びましたが、この本を読んでから、行きたかったと強く思います。
沖縄戦に関してはある程度理解していたつもりでしたが、恥ずかしながら、このような知事がいたことを知りませんでした。
あの戦時下、まさに県民のための政治を最後まで貫いた。もっと広く知られ、語り継がれるべき人物だと声高に言いたいです。
今後は必ず、授業で触れていきたいと思います。
ここまで住民のために動く姿は、現代の政治に深い教示を与えてくれます。
もしも島田知事なら、基地問題にはどう向き合うのだろう?
しかし、なぜここまで住民のために動けたのか、不思議でもあります。
持って生まれた性質、で片付けてしまっていいのでしょうか。
島田叡知事を、心から尊敬します。
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『知らなかった、こんな人がいたことを』がこの本を読んだ最初の感想。1945年1月31日に沖縄の知事になった島田叡さん。もう戦争の負けは見えていて、なおかつ沖縄は戦場化している中での任務を引き受け、一人でも多くの人の命を救おうと紛争されたことが綴られている。心に刺さった実話の一つである。2021年に映画化されたことも、上映後に知り、その時は観れなかったが、DVD化されていることを、このブクログを書くにあたり調べて知った。ぜひ観たい。
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太平洋戦争、アメリカ軍の沖縄上陸前、文官の官僚達が、次々に理由をつけて本州へ逃げ、沖縄を見捨てる中、新たに知事として赴任し、最後まで県民のために尽力した。
下に優しく、上には強い。不条理な上からの命令には断固抗議する。
組織(日本の?)において、現場よりも上の思惑に合っている行動をする方が評価されるのは、いつでも変わらない。
戦時のような、酷い状況でも、現場優先、県民の為に振舞う島田さんの信念に脱帽。
簡単に出来ることではない。
また、軍の統率が崩壊する中、住民に横暴に振舞う兵隊たち。住民にとって敵はアメリカだけでなく、日本の兵隊もだった。
日本の国のため、犠牲になり、その後もアメリカにも統治された沖縄の状況にも、改めて重いものを感じた。
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島田叡の紹介の本。
太平洋戦争の時に沖縄県民の命のために、県政の指揮を振るった知事。
まだ、管制の知事の時代ですが、住民に寄り添った采配を振るった。
学生時代のエピソードなどもたくさん紹介されており、人柄のすごさを表している。
ただ、戦争中に行方不明のままだそう。
一万円選書で勧められた本。全く知らなかった人で、こんな人がいたことに大変驚いた。新書で読みやすい。もう島田氏のことを少し知りたいなぁと思った。
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太平洋戦争における沖縄戦を扱った書籍は多数あるが、当時の軍部、県民が主体で書かれたものが多いように思う。本書は県知事にスポットを当てて描かれており、県政の面からも非常な選択を迫られた知事の心境などに迫るものとなっている。
軍部との狭間で苦しんだ状況がよく伝わってきて内容は非常に興味を持てた。知事の経歴や性格を理解した上で、一つ一つの選択と行動の理由がわかる。何より県民を守りたい、一人でも多く救いたいという島田知事の行動には感動を覚える。忘れてはならないのは、多くの軍部、県民に死者が出たと言う表面上の惨禍として捉えるだけでなく、一人一人生きるために必死であったことを忘れてはならない。物語は全ての個人に存在する、この事を改めて強く認識させられた。