紙の本
経済学部の雰囲気がなんとなくわかる本
2016/01/08 02:20
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投稿者:朝に道を聞かば夕に死すとも。かなり。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近ですね、文系学部不要論とか、ものものしい空気なんですよ。もうちょい昔は大学はもっと潰れると思っていたけど、進学率の上昇によって学生数が増加した分、思ったほどの深刻さはなかったです。でも、少子化になるから、これから大学倒産・併合は本格化するかと思います。
経済学部は専門科目が大卒後の就職生活に役立っているか?とのアンケートに6割くらいの卒業生が「役立っていない」とのこと。
多数の学生集めて少数の先生が教えるのは低コストで浮いたお金を理工学部に回すみたいなことができたわけです。
だから、回りまわって理工系にも授業料アップとか害が及ぶ可能性がある。
で、経済学部のこと知らないから読んだんですよ、この本。
旧帝大にマルクス経済学を教えるのが多かったっていうのが「へぇ」って思ったんです。裕福な家庭の人が多く、下級階層の事を考えたいっていう人が多かったようです。
ちなみに阪大や神戸大、一匹狼思考の早稲田、三田会など結束力の強い慶應など、大学ごとの特色が映し出されています。
経済学は輸入学問なので、英語が苦手な人にとっては物理とか化学のような数式を述べた方が有利っていう条件もあるので日本人にノーベル経済学賞はいまだ輝かない。
女子学生事情も書かれていて、民間企業は男社会なので、女子は医学部、薬学部などの国家資格を取れる専門職志向が強いと分析されています。
この本で面白かったのは、森嶋通夫さんのエピソード「自分は書店で何を見るかというと、著者の略歴と現職を先に見る。大学の数が増えてきた昨今、東大や京大の教員だと安心して読むに値する」ってお話でして、あらやだ、聞きました?奥さん!ってなりましたよ。
でも確かにハードカバーとかの専門書だと紙幅の都合上、分析が細かかったり、複数の書き手が書いたりするので「ハズレが少ない」ちゃ少ないんですけどね。
こういうのって、当の経済学部生にしたら下世話だったりするんですが、意外と私のように「経済のことはぁ、よくわからんから、雰囲気だけ伝えとくれ」ってニーズには合致します。
森嶋さんの著作見たらちょっと目を通したくなりましたし。研究書と言うよりは、「読み物」として楽しめる本です。
紙の本
経済学部の光と陰
2015/09/15 21:46
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投稿者:KU - この投稿者のレビュー一覧を見る
経済学部(法学部のように、資格に結びつくことのない文系学部)に焦点をあてている。第2章から第4章の「経済学部盛衰史」が特に面白い。
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経済学部のあり方を上から目線で述べたもの。周辺領域の商学や経営学、ビジネススクールにも言及しているが、経済学者の偏見とも受け取れる言及には、異論も多いのではないか。これから経済学部を受験しようとする人は読まない方がいいです。
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ニッポンの経済学部というタイトルで、副題に「名物教授」と「サラリーマン予備軍」の実力とあるが、前者が中心で後者の視点は弱いように思う。学者の研究分野や大学の「学風」、人事は業界関係者以外には関心が薄いように思うし、業界関係者ならば比較的(?)知られていることが多く、左程新味はない。全体に著者のいくつかの旧著(全部読んでるわけではないが)の寄せ集め的な感じがしなくもない。
以下は、1つ大事な指摘。メモ。
p.205-206 「企業はトップの大学の学生に対しては成績を見てこなかったけれども、二流、三流大学の学生に対しては成績をチェックしているのです。入学時点では学力が低かったけれども、大学で何をしてきたのかを見極めようとしているのです。……/ここにチャンスがあります。」
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<目次>
はじめに
第1章 経済学部は、他学部と何が違うか?
第2章 経済学部盛衰史①―マル経と近経
第3章 経済学部盛衰史②―阪大が「近経のメッカ」 になれた秘密
第4章 経済学部盛衰史③―一橋・神戸など旧高商の 実力
第5章 アメリカンPh.D.の値打ち
第6章 経済学者という種族
第7章 ライバル比較ー研究力と人材輩出力
第8章 底辺大学とトップ大学
第9章 ビジネススクールの可能性
おわりに
<内容>
『格差社会』などの著書のある労働経済学の専門家。ただ、私の記憶だと近年は、大学と受験などの著書が多かった紀がする。結構好き勝手に書いてるな、と思うが…。最後のほうは、経済学よりも受験などの話になってしまっている。
内容的にはまずまず内実はわかった。日本の経済学部は2極化して、中堅以下は教育に特化(場合によっては専門学校化)、上位校(特に東大などは)は研究に特化すべしということ。
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「経済学部の講義は大教室での一斉講義がほとんどであるため、教員の目が学生に行き届かない」。どの学部でもそんなものかと思ってたんだが、これって経済学部の特徴なのか…
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橘木先生が書かれたものとは思えないほど軽やかな内容でとても読みやすい。
日本の経済学部、経済学者についてざっくりと、いい意味でミーハーな知識を得るのにとても優れた本です
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日本の大学の経済学部をテーマとし、各大学の経済学部を研究面、教育面から解説。正直、あまりアカデミックな内容ではなく経済学部をめぐるゴシップ的な内容が中心。
帝大ではマルクス経済学が主流だったという話や、阪大が近代経済学のメッカとなったいきさつなどなかなか興味深いエピソードが紹介されている。
いわゆる、底辺大学をタテマエ抜きでばっさり切っており、そういう大学は「実務偏差値」の向上に力を入れるべきだと主張している。ちょっと上から目線な気もするが、方向性としては著者の意見に賛同する。
はっきりと書かれているわけではないが、著者の自己顕示欲が随所に感じられたのがちょっといただけなかった。
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大学の経済学部について、研究・教育・育成する人材の3つの視座でまとめられている。新書なので関心を誘うトピックと内容が、やわらかい文体で書かれている。日本の経済学説史というより、研究・教育の主体となる機関と教員を主な対象としている点で、高等教育論としても捉えられるのではないかと思った。
帝大がマル経だった理由が旧制高校と法学部の存在があったからであり、戦後も東大・京大にマル経が復職し、近経より優勢だったところから、同学部の歴史が始まるのが興味深い。国の政策と学問は別だったということか。これに対して阪大が、財界からの支援・アメリカ様式の大学院・旧帝大・学外からの人材登用という4点で近経の研究が盛んとなり、今日に引き継がれているとのこと。
参考になった指標ないし変数は、教員の純血率、論文の引用回数(総被引用数、一人当たりの被引用数、中位値)比較、役員数・属性といったものがあった。
本書に紹介された学部の特徴を、天野(1986)の二元重層構造でかなりきれいに説明できると感じた。2つの区分はここでも明確で、その壁は決して越えていない。
シラバスを厳格に運用すると、授業が規格化されていまう(p.197)ことになるという言説は参考になった。大学の水準によって、この効果が異なる。
8章では、二流、三流の大学は理論ではなく実務で役立つ教育を重視すべきと述べている。経済学部であるにもかかわらず、商学寄りの科目をより多く設けるということは、学内外でいろいろな議論があるだろう。研究と教育の分化も同様。
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底辺大学というネーミングは、ちょっと安直な気はするが、教育が出来る人材が求められるというのは賛成したい。
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経済学部という視点から大学を論じているが、前半は経済学の一流どころの研究者の紹介。そして、後半は、結局のところ、偏差値と同じく昔からのトップ校・一般校・底辺校の序列があるということか。特に目新しさはない。
一方、海外と日本のビジネススクールの対比と学生レベルの違いなども論じられているが、少子化時代のなか大学院重点政策とやらで、旧帝大からトップ私立大学、地方国立大学に至るまで軒並み院生の定員を増やし、いまだ大学=底辺校増設の動きの中で、いわゆるトップ校大学院の功罪については語られていないのが残念。
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「シカゴ大学は,保守派の学説で有名 (p.103)」とあるが,フリードマンは保守派ではないでしょ。「自由の国」だから自由主義(新自由主義)はアメリカでは保守なのかもしれないけど。宇沢さんも嫌気が差すわけだ。
日本の経済学の地位低下が著しいのは,政府などから経済政策の策定に駆り出されたとしても「経世済民」にならない結果しか生んでいないからでしょう。自国ですら豊かにする政策を提案できないのに,世界の経済学を牽引するなど無理筋。
第6章に「なぜ日本人はノーベル経済学賞を受賞できないのか?」という節があるのだが,挙げられている理由を見ると,①輸入学問,②言葉のハンディ,③優秀な人が経済学者にならない,④中高年以降でマスコミや政府で活躍してしまう,⑤日本経済の地位が落ちた。①と②は経済学に限らない話だけど,⑤の問題を解決できないのだから,④がウソ(諮問委員であっても経世済民への活躍ではない)。したがって③が証明される。
グローバリゼ―ションが日本を駄目にした視点はなく,「トップの大学はグローバル・スタンダードとして講義を英語で」とか書いている。大阪公立大学がどうなっていくかを見て,反省できるだろうか。今の経済状況を生んだことすら反省する姿勢がないのだから,グローバルな日本人経済学者は有害だと思わせる本だった。