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今年の8月に、フリージャーナリストの池上彰さんが司会をしていた、終戦記念日頃。木村久夫さんの遺書をもとに構成された番組を見ました。
無念さが滲み出る内容に、胸が痛みました。
番組の最後に本として出版されていることを知り、探して購入し、読んでみました。
読了して、憤りと無念さが、改めて募ります。
短く紹介すると、
木村久夫さんは1918年4月9日、大阪府吹田市に生まれ、1942年4月に京都帝国大学経済学部入学。その年の10月に応召されて大阪中部第23部隊入隊。
1943年9月、出征。翌月、インド洋のカーニコバル島配属。英語が得意だった陸軍上等兵の木村氏はカーニコバル島の民政部に属し、軍と現地の住民たちの間に入って活動をしていた。
のちに、住民によりスパイ容疑が持ち上がり、上官から調査に加わるように命じられ、取り調べ中に容疑者の住民に暴行を加えて死なせたとして戦犯に問われた。無罪を主張したが聞き入れられず、1946年3月26日死刑判決を言い渡され、同年5月23日に木村氏らを含む戦犯(とされた兵士)に死刑執行。
陸軍参謀の斎藤海蔵は90人近い住民の殺害を命じた中心人物だったが、末端の兵士に罪を押し付け、無罪となったと知るにつれて、憤りを感じる。
その他にもA級戦犯4人(橋本欣五郎、加賀興宣、鈴木貞一、荒木貞夫)も戦後、のうのうと生きながらえている。
何よりも東条英機を名指しで、木村氏は遺書の中で批判していた。
陸軍の上官がいかに、お粗末か。
木村久夫さんのような学徒兵が、むざむざと見殺しにされた数は多いだろう。
品格もない将軍だとか肩書きのある軍人が生き残り、今の日本が出来上がったような気がする。
見よ、政治家などまったく同じ臭いがする。
このままでは太平洋戦争時代の二の舞になりかねない。
世界中が、おかしくなっている。
戦争は反対です。
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「ブックマーク」読者のTさんから電話でこの本のことを伺ったのがたしか10月のはじめ。たくさん注文して購入したので、さしあげます、ぜひ読んでくださいというお言葉に甘え、送っていただいた本を読む。電話で伺ったのは、『きけ わだつみのこえ』に収録されている木村久夫の遺書は改変されていて、軍に対する批判を書いた箇所などが削除されているということだった。
私の手元には、岩波文庫版の『きけ わだつみのこえ』(1982年に一刷)、『第二集 きけ わだつみのこえ』(1988年に一刷)、そして『新版 きけ わだつみのこえ』(1995年に一刷)の3冊がある。
Tさんからの電話を聞いても、私は何がどうなっているかよく判っておらず、とりあえず『きけ わだつみのこえ』に収録されている木村久夫の遺書を、1982年のものと1995年の新版とで比べながら読んでみた。気づいた異同は、妹さんのお名前「孝子」のルビが、1982年版では「たかこ」になっていて、1995年版では「こうこ」になっていることぐらいだった。「今度の事件においても、最も態度の卑しかったのは陸軍の将校連に多かった。」といった内容もあり、Tさんのおっしゃった軍に対する批判が削られているというのは、どの部分だろうと思った。
Tさんからの本が届いて、『きけ わだつみのこえ』に収録された木村の遺書が、二つの遺書を合わせて大幅に編集されたものだった、ということを知る。二つの遺書とは、戦犯として死刑を宣告された木村が、かつて仕えた上官から譲り受けた田辺元の『哲学通論』の余白に書きこんだものと、処刑の半時間前に書かれたものである。
▼戦没学徒の遺稿を集め、戦後を代表するロングセラーの一つとなっている『きけ わだつみのこえ』(岩波文庫)の中でも白眉といわれる陸軍上等兵・木村久夫(1918~1946)の遺書は、すべて田辺元『哲学通論』(岩波全書)の余白に書かれたものとされてきました。しかし、東京新聞の調べで、遺族の元にもう一通の遺書が残されていることが判明しました。『わだつみ』に掲載されている木村の遺書は、二つの遺書を合体させた上で、順番の入れ替えや削除、加筆等をしたものだったのです。
この本では、木村のご遺族の許可を得て、今回見つかった父親宛の遺書と、『哲学通論』の余白に書かれた遺書それぞれの全文、『哲学通論』から削除された箇所の抜粋などを掲載しています。合わせて、読者の皆さんが二つの遺書について理解しやすいように、木村の人生や木村が死刑となるに至ったインド洋カーコニバル島での事件のこと、遺書が編集された背景などを紹介、分析する書き下ろしの原稿をつけました。(pp.8-9)
旧制高知高校を経て、1942年に京都帝大へ入学した木村は、わずか半年で赤紙を受けて入営する。入営後ほどなく木村は病気になり、翌年の5月頃まで療養生活を送ったのち、9月に南方へ出征することになった。両親や妹が千里山の駅まで見送り、それが木村の生きた姿を見た最後となった。
学問の道半ばにして出征した木村は、「これで生命の最後かと自ら諦めた危険もあった」(p.27、もう一通の遺書)ものの、擦り傷一つおわずに、戦後を迎えることができた。けれど、木村���は死刑の宣告が下された。
もう一通の遺書(処刑の半時間前に書かれたもの)に、木村はこう記している。
▼…私は戦終わり、再び書斎に帰り、学の精進に没頭し得る日を幾年待っていたことであろうか。
しかしすべてが失われた。私はただ新しい青年が、私たちに代わって、自由な社会において、自由な進歩を遂げられんことを地下より祈るを楽しみとしよう。マルキシズムも良し、自由主義もよし、いかなるものも良し、すべてがその根本理論において究明され解決される日が来るであろう。真の日本の発展はそこから始まる。すべての物語が私の死後より始まるのは、誠に悲しい。(p.25)
▼降伏後の日本は随分変わったことだろう。思想的に、政治、経済機構的にも随分の試練と経験と変化とを受けるであろうが、そのいずれもが見応えのある一つ一つであるに相異ない。その中に私の時間と場所との見出されないのは誠に残念の至りである。しかし世界の歴史の動きはもっともっと大きいのだ。私のごとき者の存在には一瞥もくれない。大山鳴動して踏み殺された一匹の蟻にしかすぎない。私のごとき者の例は、幾多あるのである。(pp.27-28)
戦争末期、木村が駐屯していたカーニコバル島での住民殺害事件について、軍の上層部はスパイ容疑の住民を裁判抜きに処刑したことを隠蔽する方針を決め、戦犯裁判で木村らはスケーブゴートにされたのである。処刑を指示した参謀は無罪、中佐は懲役三年、これに対して指示通りに取り調べただけで処刑には関与していない木村ら五人が、拷問により住民を死なせたなどとして、旅団長とともに死刑とされた。
『哲学通論』の余白に書かれた遺書では、軍の上官らに対する憤りも記されている(その部分は、『きけ わだつみのこえ』では削除されている箇所が多い)。
たとえばこんな箇所だ。
▼天皇崇拝の熱の最もあつかったのは軍人さんだそうである。しかし一枚の紙を裏返せば、天皇の名を最も乱用、悪用した者はすなわち軍人様なのであって、古今これに勝る例は見ない。いわゆる「天皇の命」と彼らの言うのはすなわち「軍閥」の命と言うのと実質的には何ら変わらなかったのである。ただこの命に従わざる者を罪する時にのみ、天皇の権力というものが用いられたのである。
もしこれを聞いて怒る軍人あるとするならば、終戦の前と後における彼らの態度を正直に反省せよ。(pp.70-71)
編集にあたった東京新聞の加古陽治は、木村の遺書は、『きけ わだつみのこえ』の中でも独得の光を放っていると書く。特攻死し、あるいは病死・餓死した学徒たちとは違い、木村は処刑されるまでの1年足らずとはいえ「戦後」を見ているからだ。二つの遺書を読むと、新しい日本の社会へ寄せる木村の思いと、そこで自分が生きられない悔しさを感じる。
あとがきで、加古はこうも書いている。
▼…若き学徒兵にもさまざまな面がありました。
京都帝国大学に進んだエリート、二十八歳の家族思いの若者、軍の中で末端の上等兵、島の住民ともっとも親しく付き合った日本人、読書を愛する学究の徒、上官に命じられるまま島民に暴力を振るった取り調べ担当者、なんとしても生き延びようと軍の嘘を告発した死刑囚…それらすべてが、木村久夫の一面です。
二つの遺書には、そんな真実の、等身大の木村が凝縮されています。…(p.192)
木村は吹田市の佐井寺出身(『きけ わだつみのこえ』を新版まで読んでいながら、私はこのことに気づいていなかった)。私も同じ吹田の生まれで、佐井寺は分かるので(木村が暮らした当時とは全く風景が変わっているそうだが)、ずっと遠い昔の戦争のことや戦犯のことが、ぐっと近くなったように感じた。
Tさんからは「読んだあとはどなたかに」と伺っていて、たまたま父にこんな本があると話すと読みたいというので、父にまわすことにした。『きけ わだつみのこえ』もまた読みなおそうと思う。
(10/17一読、11/28二読)
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烏兎の庭 第五部 書評 8.15.15
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto05/bunsho/wadatumi.html
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木村久夫と言えば、『きけわだつみのこえ』に掲載された遺書で著名である。終戦まで生き延びながら不本意にもB級戦犯として死刑判決を受け、戦後日本の進運に参加することなく刑場の露と消えた。その点、終戦前に戦病死した学徒兵の手記とは異なり、彼の遺書は戦前の日本への深い反省と、敗戦国の責めを背負って歴史の大きな流れに踏み潰されていくことへの無念の思い、そして諦念に貫かれている。
ところで彼の遺書は、『きけわだつみのこえ』の注にもある通り「田辺元著『哲学通論』<岩波全書>。以下全文その余白に書かれたもの」とされてきた。しかし、新聞記者である著者は、取材過程で得た『哲学通論』記載の遺書と『わだつみ』所収の遺書とに大きな相違があることに気付く。その結果、遺族のもとに『哲学通論』とは別の「遺書」が存在し、『わだつみ』の遺書は両者を編集したものであることが明らかになるのである。
本書は先ず「もう一通の遺書」と「『哲学通論』の余白に書かれた遺書」の全文を掲げ、最後に「木村久夫と二通の遺書について」を付して木村久夫の生涯、戦犯容疑事実と裁判課程、遺書が編集された経緯について報告している。但し、確かに一部の表現に誇張があったり激烈な陸軍批判が削除されているが、どのような意図においてこのような改編がなされたのかはいまひとつはっきりしない。
とは言え、木村の二つの遺書がこうして漸く完全な姿で日の目を見たわけである。心ある者は、改めて彼が家族と日本国民に遺した言葉に耳を傾け、学業半ばで散った一学徒の人生と真摯に向き合ってみてはどうだろうか。