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「我が輩は日本作家である」というタイトルを思いついた作家が小説を形にする課程。
のようなそうでもないような。
それとアイデンティティ。でもアイデンティティなんてくそくらえという話。
話というより言葉。筋はあまり残らないというか無いようなもんだけど言葉は残る。
作者自身がただ書いた随筆を読んでいるつもりが、いつのまにやら小説になっている。
いったいどこから小説だ?全部か。
明晰な言葉でつづられる曖昧な世界。
越境する。でも明確な境なんてない。
人種もジェンダーも国も階級も。
(書いた時点では)日本にきたことがない人の書いた本なのに、まったく違和感がない。
だってこれは「自分のことしか書かない」作家が主人公の、別に日本がテーマじゃない本だから。
日本のイメージが出てくるだけ。日本は見られているだけ。
ステレオタイプなんて信じてない人の描くステレオタイプは不思議に快い。
だんだん不自然になっていく日本人キャラクターの名前の付け方が絶妙。
どこの国の人だって暑いとか寒いとか感じるのは変わらない。
そういう、文化の影響なんてどうでもいいような芯にふれているから普遍のようにも思うし、四の五の言わずに「自分の話」を書いているだけだから説得力があるのだとも思う。
いずれにせよ属性は後回しでいい、言葉をそのまんま読める。
本文にある、「すべてに本気だし、本気なものは何一つない」という言葉がしっくりくる。
これに似たようなことをゴーリーhttp://booklog.jp/users/nijiirokatatumuri/archives/1/4309266843も言ってたな。
こういう人が私は好きだ。
訳もよい。固すぎずゆるすぎず、気楽にぐだぐだ読んでいける。
p239,友人の妻の言葉はフレデリックhttp://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4769020023みたいだ。
「君は僕の太陽」ってこういう意味なのかな。そう思うと文字通りよりも理解しやすい。