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韓非子っていう人のことをほとんど知らなかったのですごく興味深く読めました.以下メモ.韓非子・・・韓の国の公子.法家.儒家の旬子に教えを受ける.同じく旬子に教えを受け秦に遣えた李斯(リシ)によって秦に呼ばれ,その才覚のため殺されてしまう.[2006.09.28.]
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卒論が無事終わり久しぶりの更新
今回は韓非子です。
一言でいうならドライ
でもそのドライは単に冷たいという意味ではなく、次から次へと覇権が変わる時代において生き残るための術とも言える。たとえ、妻子であっても隙を見せてはいけない。
また王に使える者として、どのように進言をすべきか、その仕方によっては自らの命を失うこともある。
孔子のように徳による政治ではなく法と術による政治を説いた韓非子には好き嫌いがあるかもしれないが、心得ておくべきと思うことが多々あった。
これは自分の勝手な解釈だが、日本人(内資)に受けるのが、孔子なら外国(外資)に受けるのは韓非子かもしれない。
面白いと思ったのは、マルサスの人口論のような内容を韓非子も言っている点だ。2000年以上も前にこの内容を説いたことはすごいといえる。
マキャベリの君主論は王としての立場から書かれたものだが、この韓非子と同じにおいを感じる。
矛盾や守株などのエピソードのもとも、この韓非子にあります。
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20/5/1
英明な君主が臣下を養う場合、臣下は官職の職域を越えて業績を得ることが許されず、言葉を陳べて業績がその言葉に合致しないことも許されない。
七術
1>いろいろな人の言行を照らし合わせてみる
2>必罰をもって威厳を明らかにする
3>信賞をもって能力を尽くさせる
4>いちいち臣下の言を聴き、その結果が言に一致することを求める
5>故意に疑わしい命令を出したり、逆の命令を出したりして臣下を惑わせる
6>知っていることを知らないふりをして臣下に尋ねてみる
7>誉めるべきものを反対に謗ったり、憎む相手を可愛がったりする
平均的人間のための支配の術>それが法家韓非の関心
【利」こそが道徳や倫理よりももっと根元てきなところで人間の行動を決めていることになります。
社会は時間と共に変化します。>これが韓非の歴史観>守株>まちぼうけ
大体>老子に通ずる
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覇権争いの真っただ中での出世学?
社長になった時もう一度読みたいなぁ・・・。
韓非子の入門書的な感じですので初めての人にはおススメ!
わかり易いです。
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絶大な権力を持つがゆえに命を狙われる君主が、いかに臣下をうまく制御するかを述べた法家思想の書。キーワードは「法」「術」そして「利」。
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なんという人間不信、なんという冷徹さ。「矛盾」も「守株」もここまで重い話だったとは。
善悪に意味は無くただ「利」を説く姿勢はとても2200年前の古典には見えない。ただ、「大体篇」に読み取れる黄老思想は、血みどろの現実に疲れた韓非が見た一縷の理想だったのかと思うと、「100分de名著」老子の回でのドリアン助川氏よろしく、つい韓非の肩をたたいて「あんたも大変だったんだね。まあ、一杯どうだい」と声を掛けたくなる。
今回はダイジェスト版だったので、次は岩波文庫で全巻読みたい。
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末世の低級な王の無理解や家臣の専横を批判することの危険を膚に感じながら、己の主張を展開した韓非の姿や思想を、原典に触れつつわかりやすく描いている。法家思想といえば、一般の人々を法に厳しく従わせるようなイメージが強いが、実はその厳しさの矛先は、まずは君主に近い家臣たちが君主の権力を私物化しようとすることに向けられていたという。そしてまた法治主義は、聖人でない普通の君主が普通の人々をうまく治めるにはどうしたらよいか、という現実的な問いに答えるものとして説かれているという。人間の性質を善悪でなく功利でとらえる立場に立つ韓非子の思想は、思っていたより単純ではなかった。
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中国のマキャベリとも言われる韓非子
戦国時代の思想だけに、厳格な法治と冷徹な権謀術数による君主権力の強化こそが民を混乱した世の中から救い出し、儒家のいう「仁」にも叶うのだという。現代の感覚からするとやや姑息なニュアンスが強い内容になっているが、こういう時代背景では仕方ないのかもしれない
君主は「術」すなわり、臣下を操るため密かに用いる技術(他人に悟られてはいけない)と「法」として公開した上で厳しく思考する制度の二つを運用すべし。戦争に勝った時、君主でなく臣下が尊敬され、勝ち取った領土が臣下個人の領地になってしまうのは、君主に臣下の悪事を知るための術がないからだ。いくら法を整備しても臣下たちはそれを自分の利益のために用いる。刑罰と恩賞を君主自身の判断で実施することで臣下を意のままに操ることができ、君主が権力を我が手に握るための方法でもある。
術の秘訣は利と威にある。人の欲望を操る餌である恩賞が利である。そして人の恐怖心を煽り君主の威厳を示す手段である刑罰を威とよんだ。
色々な君主の術を七術として分類しており
1.いろいろな人の言行を照らし合わせてみる
2.必罰をもって威厳を明らかにする
3.信賞をもって能力を尽くさせる
4.いちいち臣下の言を聴き、その結果が言に一致することを求める
5.故意に疑わしい命令を出したり、逆の命令を出して臣下を惑わせる
6.知っていることを知らないふりをして臣下に尋ねてみる
7.褒めるべきものを反対に謗ったり、憎む相手を可愛がったりする
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ごめんなさい、今までナメてました。これからの自分に必要なのは韓非子と荀子の思想でした。改めてきちんと全編読みます。
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誰もが知る「矛盾」、「守株」、「逆鱗に触れる」。
それはいずれも、韓非子による。
韓非の生涯と、思想について、コンパクトにまとめた本。
儒者と異なり、理念ではなく「利」に基づく人間観を持っている。
つまり、人間は本来善でも悪でもなく、その場の利益に基づいて動くものだ、ということ。
それゆえに、君主は、法と術にのっとって臣下をコントロールしなければならなく、臣下や家族に気を許してはいけない。
臣下は君主の利害関心がどこにあるかを冷静に見極めて、何を伝え、どう接するかを考えねばならない。
寵臣の中へ入り、まず喜ばれない立場にいるにもかかわらず、君主に自説を聞き入れさせるのは難しい。
こういった場合の状況分析と対処を論じていく。
冷徹に分析したはずの韓非自身が、結局、始皇帝の威を借りた李斯に服毒自殺に追いやられていく。
法術の士の行く道が、険しく孤独であるとわかる。
韓非の考え方は、切れ味鋭く、何というか、振り切れてしまっている。
だから、ある意味では理解しやすいのかもしれないが、何かやりきれない気分になる。
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「 韓非子 」
君主と臣下の心得術の本。人間は利で動くとする人間観
「君主の弊害は 人を信頼することにある」
「君主が法を整備し賞罰を握り術を巡らすことによって権勢を維持できれば 世の中は治る」
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非常にわかりやすく、とっかかりとしては最適。既にある程度の知識がある人が読むには物足りないかもしれないが、私のように凡人程度の知識レベルならば、変に気合入れて岩波とかちくま学芸文庫とかに手を出すより、まず本書をインプットしてからの方が理解が深まりそう。「わかりやすい=低レベル」という感じではなく、理解させるための配慮が行き届いていると感じた。結局理想のリーダー像、トップのあるべき姿の実現って永遠の課題なのかな。周囲の思う理想をわかっていても、実際トップに立った時に実現出来るかはまた別の問題。
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法家思想。
法術の士。
臣下の罪を罰しないのは、君主の罪。
刑と徳を合わせて失えば、国は亡びる。
凡人である君主は、法と術をもって国を治める必要がある。
歴代の君主で病死した者は全体の半数以下、あとはすべて暗殺されている。
人口論と同じ事態が、春秋時代の中国にはあった。
欲望は富とともに大きくなる。(ベンサム)
欲望が力による闘争を生む。それに対抗するには君主の力による支配が必要。道徳では足らない。しかし法と術による支配は、戦乱がなくなり犯罪もなくなる、はず。
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ライフネット生命出口会長が著書「部下を持ったら必ず読む 『任せ方』の教科書」の中で、薦めていた古典の中に、韓非子があった。韓非子と一口に言っても、名作中の名作のため、かなり訳書は多い。しかし、古典は訳や解説が外れると、全く頭に入ってこないということもあり、30代後半で本当に恥ずかしいのだが、ビギナーズ向けの入門書を図書館で借りてみた。(なんと10代のコーナーに置いてあった。)
ビギナーズ向けとあり、当時の背景なども解説されていて、最初に読むにはちょうど良かった。また、この年齢になって読むと、味わい深いことこの上ない。会社の中で(特に上司)どうやって自分の意見を通したらよいか。永遠の課題であるが、当時は、下手をすれば殺されてしまうという極度の緊張感の中、(実際韓非子も事実上殺された)どうやって人を説くべきか、論じている。
たとえば、危険から逃れるための十四の心得。
・君主が自慢していることを美化し、君主が恥じていることは無いことにして言及しない。
・君主が私的な欲望に駆り立てられていれば、それは正義にかなった公平なものだと言って励ましてやる。
・あることが止められずに卑下している君主には、それは卑下することではなく、立派なことであると賞賛し、止める必要はないと言ってやる。
・志は有っても実行できない君主には、実行した場合の問題点を指摘し、実行しない方が立派だと言ってやる。
・君主が計画・立案に関して自分自身の知識と能力を自慢にしている場合、類似したケースをさりげなく示してやって君主の判断の材料にさせてやり、こちらは素知らぬ振りをして、君主がひとりで考えたことにしてやる。
・他国との和睦の必要性を説く時には、その大義名分を明らかにしつつ、それが君主個人の利益にもかなうことをほのめかす。
・危険を伴う事柄を止めさせる時には、それが実行された場合に予想される周りの批判を示しながら、実行すると君主にとっても不都合である点をほのめかす。
・君主と同じ行いをした人物を賞賛することで間接的に君主を褒め称える。
・君主の計画について直接議論するのではなく、君主の計画と類似した事柄について議論し、間接的に君主の計画を問題にする。
・君主と同じ欠点を持つ人物がいれば、言葉巧みにかばい立てをして何の欠点もないことにする。
・君主と同じ失敗をした人物がいれば、何の過失もないかのように巧みに言いつくろってやる。
・君主が自分の能力を自慢している場合には、君主ができないことを持ち出して話の腰を折ってはならない。
・あることで勇断をふるったと思っている君主に、そのミスを指摘して怒らせてはいけない。
・自分で考えた計画を優れたものだと思っている君主に、その計画の欠点を言い募ってはならない。
というようなことはほんの一例だが、地に足の着いた議論が多く、もう少し突っ込んで読みたくなった。
ちなみに、「矛盾」は韓非子からの言葉。盾と矛の話はあまりにも有名だが、矛盾を使って言いたかったことを初めて知った。
「考えてみると���どのような物も突き通すことができない盾とすべての物を突き通す矛とは、概念として両立することができない。このことと同じように、そもそも賢明であるということの本質は、どのような力もこの賢明さを抑圧できないという点にある。そして勢い(権勢)の本質は、どのような相手であろうとすべて抑圧するという点にある。それなのに、どのような力も抑圧できない賢明さと、すべての物を抑圧する勢い(権勢)という二つの概念を同時に持ち出して議論するのは、これは両立しえない矛盾の説というものなのである。矛と盾の話との対比から考えれば、そもそも賢明さと勢い(権勢)とが互いに相容れない概念であるということも明白であるということになる。」
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性悪説とされる荀子の弟子の韓非子。韓非子は性悪的な発想をさらに進め、法に基づく厳格な統治を主張。
目的のためなら手段を選ばないところがマキャベリを連想させるのだが、読み進めると、ホッブスの権力論、スミス、マルサス、マルクスと経済学ととても近いところがあって、とても興味深い。
これが紀元前に書かれたものとは思えない現代性を持っているな。
もちろん、今読めば、変なところも多いのだけど、まずはもうちょっと学んでみよう。