紙の本
イタリアの慎ましやかな生活
2014/11/04 02:17
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雪子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
女性に人気ある作家とのことで、初めてエッセーを読む。イタリアの出来事の思い出をつづった短いエッセー集。文章が美しい。イタリアの慎ましやかな生活の断片が目に浮かぶ。
紙の本
須賀敦子氏のイタリアの想いでを綴った美しい作品集です!
2020/05/15 11:27
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、随筆家であり、イタリア文学者でもあった須賀敦子氏の美しい作品集です。彼女は、20代から30代までをイタリアで過ごしましたが、その思い出が同書の中で綴られています。同書には、「七年目のチーズ」、「ビアンカの家」、「アスパラガスの記憶」、「フィレンツェ 急がないで、歩く、街」、「ジェノワという町」、「ゲットのことなど―ローマからの手紙」、「白い本棚」、「大洗濯の日」、「街路樹の下のキオスク」などが収録され、その美しい情景が読者の心にある種の映像を形作ります。ぜひ、読んでいただきたい一冊です!
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主に単行本未収録のエッセイを集めたものの文庫化。
須賀敦子のエッセイといえばイタリアだが、本作ではイタリア料理についての話題が多かった。どれも旨そうだ(流石にウジ虫のチーズは抵抗があるが……)。
江國香織の解説も良かった。『雨が降っているような気分』にはならないが、『書物の内側と外側、物語の内側と外側』が『地続きになる』というのは解るような気がする。
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愛するイタリアのなつかしい家族、友人たち、思い出の風景。静かにつづられるかけがえのない記憶の数かず。須賀敦子の数奇な人生が凝縮され、その文体の魅力が遺憾なく発揮された、美しい作品集。
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須賀敦子さんの本が書店の平台に乗るようになってから亡くなるまで、その数は決して多くはなかったけれど、だからそれらを折りにふれて大事に読み返してきた。もう新しいお話を読むことはできないのだ。好きな作家が居なくなってしまうというのはそういうことだ。
没後に編まれた数々の本にも限りがあるから、なんとなく、ときが来るまで、と思って読まないできた。
文庫として書店に並んだのをきっかけに手にしたこの本も、そんな中の一冊。
思いがけず、ずいぶん時間が経ったわりに、世の中も自分もいろいろなことが変わったと思っていたのに、あの頃と同じような感慨とともにいまこれを読んでいる。
先に読んでしまった江國香織さんの文庫版解説も良かった。
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須賀敦子の没後2003年に、様々な月刊誌、新聞等へ掲載されたエッセイをまとめて発刊された作品集。
よって本書は、著者が存命中に立て続けに発表した、『ミラノ 霧の風景』、『コルシア書店の仲間たち』、『ヴェネツィアの宿』、『トリエステの坂道』など、比較的はっきりしたテーマをもっている作品集とは趣を異にする。
しかし、解説で江國香織が「読んでいると、雨が降っている気分になる」と表現している、愛するイタリアの懐かしい家族、友人たち、思い出の風景を綴った、しっとりと落ち着いた美しい文章は、須賀敦子ならではのものである。
表題作『霧のむこうに住みたい』には、「ふりかえると、霧の流れるむこうに石造りの小屋がぽつんと残されている。自分が死んだとき、こんな景色のなかにひとり立ってるかもしれない。ふと、そんな気がした。そこで待っていると、だれかが迎えに来てくれる」という一節があるが、これは、処女作『ミラノ霧の風景』のあとがきの結び、「いまは霧の向こうの世界に行ってしまった友人たちに、この本を捧げる」にも見られる、須賀敦子の死に対するイメージを感じさせるものである。
心を穏やかにしてくれる珠玉の作品集。
(2014年9月了)
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紀行文が特に秀逸。
「ミラノの季節」や、「ヴェネツィアに住みたい」、「アッシジに住みたい」は、行間からその街の佇まいだけなく、街の匂いまでもが立ち上ってくるような感じがする。
また、訳書である「ある家族の会話」もぜひ読んでみたくなった。
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まずタイトルに惹かれた。須賀敦子さんの本は初めてだったが、解説が江國香織さんなのもあって購入。文章の雰囲気が何となく似ているかも。
字を追いページをめくるだけで行ったことのないイタリアの、夏を過ごしたらしいロンドンの空気が流れてくるよう。観光というより生活。異国での日常。私もフィレンツェの街を歩いて川の景色を楽しんだり国立図書館に行ったりしてみたい。
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「街中が美術館みたいなフィレンツェには、『持って帰りたい』ものが山ほどあるが、どうぞお選びください、と言われたら、まず、ボボリの庭園と、ついでにピッティ宮殿。絵画ではブランカッチ礼拝堂の、マザッチオの楽園追放と、サン・マルコ修道院のフラ・アンジェリコすべて。それから、このところ定宿にしている、『眺めのいい』都心のペンションのテラス。もちろん、フィエゾレの丘を見晴らす眺めもいっしょに。夕焼けのなかで、丘にひとつひとつ明かりがついていく。そして、最後には、何世紀ものいじわるな知恵がいっぱいつまった、早口のフィレンツェ言葉と、あの冬、雪の朝、国立図書館のまえを流れていた、北風のなかのアルノ川の風景。」(フィレンツェ 急がないで、歩く、街。)
「パリの合理性に息がつまりそうになっていた自分には、イタリアの包容力がたのもしかった。なにも、かたくなることはないのだ。そう思うと、視界がすっとひらけた気がした。」(フィレンツェ 急がないで、歩く、街)
エッセイ集。
豊かで、ユニークで、チャーミングな須賀さん。
まるで絵画を見ているかのような、美しい作品。
風景が目に見えるようで、言葉の力を感じました。
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なんとなくこの本は晴れ渡った日よりも、雨の日に読みたくなるな、と思っていたら、最後の解説で江國香織の文章を読んで納得でした。
須賀敦子さんを存じ上げなかったので、この本で初めて知ることになりましたが、イタリアに惹かれて過ごした日々が静かに美しく語られていて、心が落ち着きました。
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イタリアの暮らしや旅行した先の風景、夫や友達との思い出が綴られているエッセイ。須賀敦子さんの本は初めて読んだんだけど、なんというかホスピタリティのあふれる感じの文章で心地よかった。愛が通奏低音のように流れている、と思う。様々な描写も、風景がさあっと浮かんでくるように自然で豊か。何気ない文章に深い観察と洞察がにじんでいるので、かみしめるように余韻を楽しむことができる。
「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」と、「となり町の山車のように」が好き。
私も黙って人の話を聞いているというのが苦手ですぐ別のことを考えているので、なんだか沁みてしまった。線路に沿って、思考をつなげる…。
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落ち着いた文章が読みたくなると戻ってくる須賀敦子。
1990年に『ミラノ霧の風景』を出版し、1998年に亡くなっているので、生前に出版されたものは5冊と実はとても少ない。
1998年から99年には5冊が出版されているが、追悼のタイミングにあわせるために雑誌などに掲載された文章を集めてバタバタと出版された感が否めず。
この『霧のむこうに住みたい』は『須賀敦子全集』をもとに2003年に出版されたものなので、きちんと選ばれて編纂されているという感じがする。
選者の意図まではわからないけれど、最後の一文で泣かされるエッセイが多い。もともと須賀敦子のエッセイはラストの一文が見事なのだけれど、「アスパラガスの記憶」のように、ああ、あれはそういうことだったのかと過去の思い出と現在がすっとつながる。悲しい話ではないのになぜかそこでぐっときてしまう。
須賀敦子の文章がなぜすばらしいのか、なかなかうまく説明できないのだけど、巻末の江國香織の解説がそこをうまく文章化している。
須賀敦子を初めて読むという人にもその魅力が伝わる一冊だと思う。
以下、引用。
というのも、私は、ナタリアの大きい造作の容貌が、一般に女性的として肯定的に評価される種類のものではないことと同時に、それと対するときに感じる、するどい知性と深い安堵感について、どのように表現すればよいのか、解決のつかぬままにこれに触れることをずっと避けてきたからであった。
平和だ、平和だとうかれている今日の社会が、人間が、われわれの知らないところで腐敗し、溶解しはじめているとしたら、それは戦争で人を殺していたときと、おなじくらい、もしかしたら目に見えないだけもっと、恐ろしいことなのではないか。そんなことへの警鐘をギンズブルグは鳴らしているのではないか。今日の世界は、もしかすると、あの頃とおなじくらい、危機的なのかもしれない。
三十年まえに死んだ夫が、結婚して一週間も経たないころ、つとめていた書店から重たそうにかかえて帰ってきた、それがこの辞書だ。きみのだ、といって、もう夕食の支度のととのったキッチンのテーブルに、どさっと置いた、その音までを憶えているような気がする。夫になった彼からの、はじめての贈り物だった。
質量。それについて、須賀さんの文章は奇跡みたいな均整を保っている。この作家は決して多くを語りすぎないし、人々を切りとってみせたりしない。
ごくあたりまえのこととして、人には人一人ぶんの厖大な物語があり記憶があり、その向うには家族がしっかりーどういう境遇にせよどんな考え方を持っているにせよーつながっていて、街があり国があり歴史があり言葉があり、たいていのことはわからないまま光もあてられぬまま、それでも一度だけの輝きをもってくり返されていくのであり、切りとることなど不可能だし無意味なのだ、と御本人が思っていらしたかどうかはともかく、本質的には物語とはすべからく長く重く暗いものだということを、須賀さんのエッセイは思いださせてくれる。そして、だからこそ存外、ひそやかで心愉しい瞬間にみち���いるのだということも。
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美しく、みずみずしいエッセイです。
須賀さんの生活を、近くで覗き見しているかのように、光や湿度を感じる作品です。
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少女のような心の瑞々しさと骨太な知性。
美しく編まれた文章に心が洗われる。
合理性は知性のほんの一面でしかない、ということを知っている人の豊かさ。
折に触れて読みたくなる一冊。
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202101/タイトルと表紙に惹かれて初めて読んだ須賀敦子さんの暮らしや旅等が綴られたエッセイ。余韻が残る落ち着いた文章、風景が浮かぶ描写で、ゆったりと味わう一冊。