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生きることについて、真っ向から向かい合う青年3人の生き様を描いた物語。
仏教、特に禅定を通して、人の救いが何かということに苦悶する。
3.11(とは明記されていないが)についても物語の中に描かれている。
仏教小説と言ってもいいのかも知れないのだけれど、このなかの仏教は、むしろ方法論として描かれている。
だから、宗教のか中から見いだせる生き方や救済もあれば、その逆(つまり宗教のかで失われるもの)もある。
青年たちの修行前から修行後の様子が、二部(第一部:此岸、第二部:彼岸)に分かれて描かれている。
ブッダ(仏陀、buddha)はサンスクリットで「目覚めた人」を意味する。
タイトルの「スリーピング・ブッダ」というのは、駄洒落か何かかと思っていたのだけども、読み進めると【涅槃仏】だと言うことに気がついた。
一つ勉強になった。
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【内容(「BOOK」データベースより)】
敬千宗の大本山・長穏寺に2人の若き僧侶が上山した。北陸の古寺の跡取り、小平広也。バンドでプロを目指すも挫折し、「安定」を求めて仏門を叩いた水原隆春。対照的な2人は、厳しい修行を通じてさまざまな現実に直面する。いまだ続く世襲制、先輩僧侶たちのイジメ、欲にまみれた夜遊び…。やがて彼らはある決意を胸に行動を起こす。そして待ち受ける衝撃の結末とは。生きる意味を問いかける、熱き男たちの青春パンク小説!
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【著者略歴 (amazonより)】
早見/和真
1977年、神奈川県生まれ。2008年『ひゃくはち』で作家デビュー
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「スリーピングブッダ」って何だ?
思いつくのは釈迦涅槃図。じゃ、涅槃ってなんだ?
文庫版のカバーイラストと裏表紙の「青春パンク小説」というコメントが誤解を招くのだろう、ネット上の多くのレビューが「前半は面白いが後半はどうも」、であった。
この作品はけっして青春パンク小説ではない。かなり深い所をえぐった宗教観と人生観が詰まっているカバーイラストからは連想できない方向の物だ。
「坊主って安定してる?」という主人公の一人、隆春の言葉が象徴する導入部から前半よりも東北の涅槃寺に入山してからの主人公達とそれを取り巻く人々の生き方の方がこの作品が読者に問いかける部分である。
人を救うというのはどういう事なのだ、宗教とは何なのだ。答えを求めて悩み続ける。答えの無いこの問いに悩み続ける事が修行であるという事はまず間違いないだろう。
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何となく気になって読んでみたのだけども、やはり宗教って題材は難しいな…
読み終わった後にスッキリしないものが残るのがどうも残念
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何だかよくわからなかったが、面白かったかも。
この題材で最後まで、一気に読ませるのは、かなり傑作ということか?宗教を理解するのは難しい。カルトになるのは、同意できないが。
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寺の跡取り息子と元パンクバンドのギタリストという2人が主人公。
宗教とは?を常に考えながら、人を救う術を模索していく。考えても答えがでない、壮大なテーマ。
設定もそうだが、ストーリー展開も意外性があり、深さもあって結構だった。
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高校生が永平寺と思われる総本山に入門。修行の末、自分たちの寺を持つが、新興宗教っぽくなっていく。救いは叶えられるのか?という主題で書かれているが、最後は納得できない。
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【装幀・デザイン】
西村弘美 やまだないと
【あらすじ】
敬千宗の大本山・長隠寺に2人の若き僧侶が上山した。北陸の古寺の跡取り、小平広也。バンドでプロを目指すも挫折し、「安定」を求めて仏門を叩いた水原隆春。対象的な2人は、厳しい修行を通じてさまざまな現実に直面する。いまだに続く世襲制、先輩僧侶たちのイジメ、欲にまみれた夜遊び……。やがて彼らはある決意を胸に行動を起こす。そして待ち受ける衝撃の結末とは。生きる意味を問いかける、熱き男たちの青春パンク小説!
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これほどまでに生きること死ぬことを考えながら読む本はない。仏門の奥で犇めく煩悩や欲が人間らしく、考えさせられた。仏門だけどパンク!
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宗教を扱った小説のレビューは難しい。
宗教って個人のメンタルの深部に大きな影響を与えているもんやと思っているので、変に評価すると読む人にとって触れたらアカンとこ不用意に触れてしまう可能性もあるし…
そら、オ○ムみたいに毒ガステロ起こすようなことをする団体は絶対アカンと思うけど…
ってことで、この本も「宗教ってなんなん?」がテーマなんで、そこ触れずにレビューは難しい。でもこの本読んで考えさせられることはいっぱいあった。
ラストは秀逸、せやねん。信心って各自が持っているもんで、自分に直接実害を被ることでもない限り、他人の信心を批判とかしたらアカンもんやと思う。
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性格も置かれた環境も全く異なる二人の青年が、厳しい修行を経て理想とする宗教の在り方に彷徨する青春パンク小説。
宗教とは人の道を説くものというのが定義だと思う。ただ、教える側教えられる側ともその真理にたどり着くのは不可能に近い。迷える人を救うのが、結果としてキナ臭い集団に移っていくさまは、現代における宗教の問題点を鋭く突いている。
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それぞれの理由から、僧侶を目指す若者たち。
理想とは全くかけ離れた地点に着地したけれど、なぜか嫌な感じはしません。ここが最終地点ではないから?
自分もこれから、人生どんな流れが待っているか判らない…。そう気付かせてくれる一冊でした。
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読友サンおすすめの本。
全く触れることのない仏の世界や仕事を知ることが出来て、面白かった。
・・・けど、う~ん最後の宗教的な流れにチョット残念。
でも、それが悪いんじゃなくて廃れた寺を再生する3人が奮闘したまま終わった方が、私的にはスッキリ読了出来たかも・・・。
仏門仲間の色々な出来事には、ウルッときた。
「死んだ者が生きてるもんの事なんて知らねーよ」って
ホントに、その通り(笑)
うん!!やっぱり面白かったな(笑)
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本の後ろに「青春パンク小説」とあり、このイラストなので、とても気楽に読める小説だろうと。
たしかに気楽に読めた。
「人間にはどうして宗教が必要なのか」を考えてしまう。
答えは見つからなかった。
しかし、それこそが答えなんだろう。
宗教が存在する意味は、人それぞれである、ということだ。
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何ともジャンル分けし辛い一冊(^ ^;
読み始めて割とすぐに
「人が二人いれば争いが生まれ
三人いれば派閥が生まれる」
という言葉がずっと頭に浮かんでいた(^ ^;
タイトルからも表紙絵からも分かる通り、
お坊さんが主な登場人物。
当たり前ではあるが、「坊主として生まれる人」はいない。
寺の跡継ぎとかで「坊主になるべくして」なる人はいるが、
みなそれぞれの事情や思惑を抱えて、
修行をして坊さんに「なる」ものだ。
そんな、当たり前ではあるが、普段仏教と縁遠い私には
全く意識していなかった現実を見せられるところから始まる。
ある者は(順当に)実家の寺を継ぐために、
ある者は「職業として」安定を求めて、
本山での修行に参加する。
本書は、前半の「本山での修行」パートと
後半の「自分の寺での葛藤」パートに分けられる。
それぞれに、それぞれの人間関係があり、事件があり、
悩み、葛藤し、成長し、時に流され、時にやけになり...
とても「人間的な」ドラマが繰り広げられる。
何となく、坊さんとか「宗教家」というのは、
煩悩から解脱した「聖なる存在」と思いがちだが...
と言うか、私は漠然とそんなイメージを持っていたが、
どうしてどうして坊主の「現実」は生臭く、
「表の顔」では聖人ぶっている分一般人よりエグいくらい(^ ^;
でも、それが現実であり、よく考えれば当たり前か。
本当に修行ばかりしまくって、
それこそ霞食って生きてるような人(それは仙人か)は、
私のような俗物の目に留まることはあるまい。
我々「一般人」が触れる坊さんというのは、
「葬式仏教」と言うくらいで、葬式や法事の時くらいで。
それら「職業坊主」は、仕事として仏事を行っている訳で、
普通に消費税払って買い物してるし、免許の更新もするし、
「生活」は我々と何も変わらない(はずだ)。
まぁ、税金の優遇くらいはあるとしても(^ ^;
...と、本の内容と関係の無い感想ばかり書きたくなる、
それくらい本書の「坊主描写」がリアルと言うことか(^ ^;
ストーリー中に色々なことが起こるが、
不思議と「あらすじ」を書きにくい印象(^ ^;
話の「筋」と言うより、登場人物の心の動きを読む、
そういう本なのだろう、きっと(^ ^
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表紙のイラスト、「激情パンク小説」という帯の言葉。お坊さんを目指す若者の葛藤や成長を爽やかに読ませてくれるのかな?…
最後重っ。
篠田節子の「仮想儀礼」、荻原浩の「砂の王国」みたいなカルトが現れた~(T-T) 中心にいるのはいつも女。虐げられたり傷を負った女の集団。祭り上げられる男。コントロール不能になって暴走。テンプレか。
ストーリーも登場人物もよくて、わくわく読み進めた最後にモンスター出て来て、不意を突かれてダメージ大です。ハッピーエンドが見たかった。
宗教を取り巻くリアルは甘くない、ということか。
きっとこれからも、生涯かけて生きるとは、信仰とはを考え続けていくんだな。しんどい生き方選んだんだな。がんばれ!!