投稿元:
レビューを見る
思うままに身体を動かすことは難しいメロディ。生まれてからずっと、たったひとつの言葉すら話したことがない。
でも、メロディの心にはたくさんの言葉が溢れている。
メロディを理解しようともせず障害者の一括りで接する人々への軽蔑。自分自身への苛立ち。友達との素敵な時間。思いを伝えられる術を手に入れた喜び。クイズ大会の選抜メンバーに選ばれた興奮。深い絶望。メロディを信じ、励ましてくれる家族と友人の愛。
メロディのひたむきさと、まわりの人々の人間の悲しい性が印象に残る。
投稿元:
レビューを見る
脳性麻痺のため言葉を発することすらできない少女 メロディ の心のなかを描いた物語。
作者はアメリカ・オハイオ州在住のシャロン・M・ドレイパー。
他人からみれば、何も考えていないかに見えるメロディだが、両親や周りの理解者たちにより、自分を表現する手段としてVOCA(携帯用会話補助装置 小説内では「メディ・トーカー」という架空の機器名)を手に入れた時の喜びに、こちらも思わずわくわく!その後、健常者たちとも交流を広げていくも心の壁(クラスメートや教師)はなかなかぬぐいされない。
きれいごとでもなく、現実の物語。だが、メロディの生き方に励まされる。
障害を抱えた人々を取り巻く環境・人々の意識が貧困なことが、我が国のみではなく、わかる作品。
とりあえず分類上 絵本・児童書のカテゴリとして登録したが、多くの健常者だと思っている大人たちにこそ読まれるべき作品。
投稿元:
レビューを見る
心情描写がリアル。主人公の周りの健常者たちもが、自分も含めてよく見る人たち。私たちは、障害者が何を考え何を感じているか、健常者に対するように思いやっているだろうか?忘れているか、もしくは知らないでいないか?と考えさせられた。『モッキンバード』『フライ・ハイ』『光とともに…』『天使のいる教室』『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』『ウィッシュ!』などと合わせても。
投稿元:
レビューを見る
脳性マヒで体を動かせず、言葉も話せないメロディ。でもその頭のなかにはたくさんの言葉が、思いが、知識がつまっている。それを思うように表現できないもどかしさ。
でもあるときメディトークという機器を手にしてメロディの世界は広がっていく。
ここぞというところでバシッと立ちあがって、考えの浅い医者や教師に立ちむかう両親がかっこいい。ヘルプしてくれるヴァイオレットやキャシーの存在も大きい。
そういう人たちに支えられながら、それでもくやしいことやもどかしいことがたくさんあるメロディの日々。でもときには感情を爆発させながらも、新しい友だちや、新しい経験にめぐりあう、喜びや不安もたくさん詰まっている。
橋を渡すのがちっともかんたんではないこと、失望や疲労が魔を呼び込むこともきちんと描かれていて、ずきっとくるところもあるけれど、重苦しさはない。金魚と、最後のエピソードとの符合も含め、ストーリーがよく練られているし、訳も表紙もタイトルもすべて含めて、本としての完成度も高い1冊。
投稿元:
レビューを見る
心の中にはあふれるほどの言葉があるのに、一言も話すことができない11歳のメロディ。音楽が好きで、ユーモアに富んでいて、驚異的な記憶力を持っていても、麻痺した体のせいで、何もわからない幼児のように扱われる。そんな時、簡単な操作で自分の思いを声にだして伝えてくれる、特製のコンピューターがあることを知った!
友だちのローズとメロディの会話が印象的。「すべての言葉が心の中に閉じ込められているのは、どんなかんじか想像できないわ」「最低!」
女の子らしいプライドや恥ずかしさ、家族や友人たちのの絆、そしてメロディの勇気と行動力に心打たれる物語。
投稿元:
レビューを見る
表紙がきれいだったので手に取った。
ずっしりしっかりした話で文章もきれい。おすすめ。
ドキドキしたり心臓が縮む思いをしたり嬉しくなったりしながら読んだ。
障害、教育、インクルージョン、マスコミの障害者に対する扱い、子供同士のつきあい、第二子問題、言語的マイノリティ、他人とのつながり、とか色んな要素がつまってる。
主人公のメロディはもうすぐ11歳の賢い女の子。
頭の中には言葉があふれているけれど、それを外に出すすべがない。
脳性マヒで、話すことも自分の体を支えることもできないから。
外からはメロディの頭の中がみえない。
大抵の人はこんなぐにゃぐにゃでよだれをたらした子がなにか考えてるなんて思いもしない。
両親やお隣の女性や良い先生はメロディの知性に気づいているけれど、具体的な内容まではわからない。
最初はお手製のカード。それから言葉を入力できる道具の存在に気づいて、メロディはようやく言葉を外に出す手段を手に入れる。
大人も子供も専門家も一般人も関係なく、わかろうとする人もいればわかろうとしない人もいる。
配慮のつもりで排除する人もいるし、悪意も、半端な善意も、愛ある厳しさもある。
一対一ならちゃんと付き合えるけれど集団の中だと他人の目を気にしてしまう弱い子供心だってある。
どんな場所にもどんな立場にも色んな人がいる。
民族的マイノリティっぽい名前の人もいるし、感じのいい人も悪い人も、察しのいい人も悪い人も、見て見ぬふりをする人も困惑する人もいる。
言葉を手に入れてこのままハッピーエンドかと思いきや、そうは問屋がおろさない。
その、ご都合主義じゃない厳しさと、希望をのこす優しさが好きだ。
完全な理解なんて親しい人のあいだでさえありえないけれど、完璧じゃない世界と折り合っていく。
言葉を伝える手段があるのとないのとではまったく違う。
だけど、言葉を手に入れれば気持ちの全てを伝えられるわけじゃない。
自分で抑えてしまったり、タイミングが合わなかったり、うまく言葉にできなかったりする。
そういうもどかしさはみんな一緒。
メロディは賢いから手段さえあれば言葉をつかえたけれど、自分の内側でさえ言葉にならない子は、きっとさらにしんどい。
最後のママの反応がないのが気になる。
そこまで書いてくれないと安心できない。
キャサリンとヴァイオレットの反応からしてママはメロディの意図に気づいてると思うけど、気づいても気づかなくてもママにはすごく辛い。
メロディの能力は、「こんなだけど」「特別な才能があるから」生きることを許される話になってしまいそうで危うい。
そこをカバーしてくれる障害児学級の子どもたちの存在でちょっと安心する。
何度か出てくる「レイバー・デイ・テレソン」は筋ジストロフィーを支援する長時間チャリティ番組。
この名前はまさに昨日『生命倫理学と障害学の対話』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4865000313で見た。
障害を不幸で恐ろしいものと���て映し出すことで募金を集めるのは障害者に悪いレッテルをはるものだと障害者サイドから抗議されている番組だそうだ。
24時間テレビみたいなもんだろうか。
訳注にそこまで書いてほしかった。そうすれば、メロディの「テレソンすら好きだった」という言葉が理解できる。
『セルロイド・クローゼット』で、自分と似た人間が一切でてこない昔の映画の中では「シシー(侮蔑的なオカマ像)」ですらセクマイがでてくるのが嬉しかったとコメントする人がいたのを思い出す。
解説は蛇足。
投稿元:
レビューを見る
脳性まひの女の子の話なんだけど、それと同じくらい11歳の女の子の話。細やかな心の動きが丁寧に描かれていてよかった。
投稿元:
レビューを見る
メロディの心のなか、痛いよ。ありのまま受け入れてくれる親と、サポートしてくれる多くの人がいて、たくさんの愛を受けとっていても、それでも多くのものと戦ってる。心ない視線や言葉、嫉妬、冷たさ。自分が動けないという悔しさ。いつもいつもいつも、それに負けじと頑張っている。不幸だとは思わないけど(この世の中に生まれて来るには、必ず何かの意味があると、思うから)、痛んだ。私の心のなかにも似たような痛さがあるから。でも、心を閉ざさないところが強さかな。そういう心を持ったこどもに生まれることができたメロディは幸せだよ。原題はout of my mindで、金魚鉢から飛び出す金魚の装丁(表1?)がぴったりで、表4?を見れば、金魚鉢の中にいる金魚。邦題のわたしの心のなか、ってすごく響いた。大切な人に勧めたい本だな。
投稿元:
レビューを見る
30章の終わりからはしばらく先を読むのが怖かった。
全体を通して、とてもハッピーエンドとは言えないけれどこれが現実なんだと思った。
投稿元:
レビューを見る
脳性麻痺の為に重度の障害があり、コミュニケーションもままならない少女の心の中を描く。
車椅子に座り、身体の自由もきかないけれど、心は自由に羽ばたき、身体に不自由がない人以上に物事を深く捉え、考えている。そして、ウィットも忘れない。
心無い仕打ちを受けもする、美化をせず事実に基づいた物語。
投稿元:
レビューを見る
脳性まひの少女メロディ。体を思い通りに動かすことができない、言葉をちゃんと話せない、食事もトイレも自分ではできない、という症状の11歳の女の子の、心の中、考えていることが、描かれている小説。
実は、ずっとノンフィクションだと思って読み進めてしまって、途中でフィクションだと気づいた時、無駄にショックをうけてしまった。小説だと思って読んでいたら、またちょっと読み取り方は違っていたかも。
とはいえ、車いすのお子様がいたり、取材もかなりされたようで、そのためか、リアルに感じた。メロディが、決してただの良い子ではなくて、自己主張も諦めも投げなりな部分も、たくさん持っていて、そういうマイナスな所を、ごまかさずに表現しているのが、そのリアルさにつながっているのかも、と思った。
特に良かったのは、自分を置いて行ったクラスメイトに、ちゃんとケリをつけたラストの展開。颯爽と教室を出て、自分から皆に決別する様は、多少の寂しさを伴ったが、胸がスカッとした。
ただ、フィクションなら、もう少し、ハッピーな終わりでも良かったかもなぁ。ま、これは個人的な趣味の問題。
投稿元:
レビューを見る
読んでいる途中から、涙が止まらなくなった。
最初は、こんな展開って、無いと思った。
あまりに酷すぎるし、悲しすぎるじゃないか、と。
しかし、読み終わって、時間を置いて、あれこれ考えに耽っていると、実はそうでもないのかもしれないと思えてきました。
主人公の小学五年生、「メロディ」は、脳性麻痺で、生まれてからずっと一度も言葉を話したことがなく、車椅子が必要な生活で、移動や食事などもままならない。
しかし、だからといって、メロディの心の中までそうかというと、それは間違いで、考えていることは、いい音楽だなとか、あんな服を着てみたいとか、あの子と友達になりたいとか、普通の小学五年生と何ら変わることはなく、むしろ、言葉が話せない分、その思いは誰よりも強い。
そんなメロディの心の中の思いが、みんなに伝わればいいのにね。
と思っていたら、「メディ・トーカー」という、予め登録しておいた言葉を、ボタン一つで声に出して伝えてくれるという、画期的な機械で、それは解決したかに見えた。
実際にメロディの両親が、それを初めて聞いたときの筆舌に尽くしがたい思いは、子供のいない私でさえも、その気持ちが分かるようで、思わずもらい泣きしてしまった、素晴らしい場面でした。
ただ、それが学校のインクルージョンクラスになると、また違った反応になり・・・
私の中で、「普通」という言葉は嫌いなのですが、メロディにとって、どうしても手に入れたいのは、まさにその「普通」であって、こうした言葉ひとつとっても、人それぞれで意味合いや価値観や大切さが異なることをメロディに教えられたようで、人を理解することや、思いやりって、そういうところから始まるのでしょうね。
制約はあるが、言葉を伝えられるようになった。
これで、メロディにとって、憧れの普通に近づけたと思った。
しかし、また別の問題が発生してしまった。
私が小学六年生の頃、言葉の話せない子の隣の席になったことがあるのですが─おそらく、先生から安心だと思われたのかもしれない。その頃、私は一部の仲良い子とは普通に大声でしゃべれたが、それ以外は、逆におとなしかった─その時、どれだけその子のことを考えられたかというと、見守るだけで、何もしなかった(せいぜい、机から落とした物を拾ってあげたくらい)、いや、そもそも何かをしようとすら思いもしなかったのです。
ただ、それは悪意があったとかではなく、単に知識がなかったことが大きくて・・その頃に、この作品を読んでいれば、少しは変わったかもしれませんが、おそらく物語の中の同級生たちも、そのような気持ちでいたのではないか。
もちろん、中には、偏見を持った意地悪な見方をする子もいたが、反面、ヴァイオレットやキャサリンのように、メロディのことを分かってくれる人達もいる。
要は、もっとメロディのような人達のことを、偏見なく、正しく知ってくれる人達が増えてくれれば、メロディにとっての、「普通」への道も、より歩きやすくなるのだと思うのです。
そして、長くなりましたが、最初の物語の感想に戻ると、メロディは辛い悲しみも体験したけれど、それに対して、メロディは自分で考えてある行動を起こす。
たとえ、その結果自体が苦いものだとしても、メロディの中で何かふっきれたような、一つの成長を見たような気が、今ではするのです。
読み終わった当初は、それを辛く感じた私だったが・・長い人生、ある程度の苦難は付きもので、メロディにとって、「普通」を求めたいという思いが、そのまま他の人にとっての「生きる」という思いだとするのなら、それで音をあげるわけにはいかないよね。
メロディの人生はまだ始まったばかり。
これから、いくらでも良い結果がついてくるであろう彼女の人生の喜びを、期待せずにはいられない。
投稿元:
レビューを見る
脳性麻痺によって不自由な体を持ちながら非常に優秀な頭脳を持つ少女メロディの苦難に満ちた、しかしどこまでも”自分”を生きようとする彼女の人生という戦いの歴史の1ページ。
無理解な他者と相対して、それでも強く生きようとする姿に胸を抉られる。
投稿元:
レビューを見る
たださんのレビューを読んで。
素晴らしい本に巡り合えました。
たださん、ありがとうございます。
この本を読み終わるまでにとても時間がかかってしまいました。なぜかというと、体調を崩してしまって読めなかったからです。図書館の貸出期限が過ぎてしまって一回返却して、もう一度借り直しました。今はすっかり回復して元気になったのですが、不調が続き、病院で訴えてもイマイチ分かってもらえず、悶々とした日を送っていました。その時、言葉の力って大きいなぁと実感したのです。私は腹部に違和感があったのですが、それを伝えるにしても“キリキリ痛む“とか、“ズーンと重い感じ“とか、様々な言葉を駆使して伝えようと誰もがすると思うのです。もし、自分が話せなかったとしたら‥‥。
この物語の主人公メロディは、脳性麻痺の10歳の女の子。話すことも歩くことも自分で食べることもできない。でも、心の中にはたくさんの言葉が溢れている。だけど皆はそんなことに気付いてくれない。クラスメイトは言う。「いじわるじゃないですけど、率直にいって、メロディが何かを考えてるなんて思いもしませんでした」と。
この本は児童書なので、色々あったけれど最後には友情が芽生えました‥‥というラストだと思って読んでいました。でも違いました。
5年生、10歳、というのが、どんなに難しい年頃なのか、大人と子どもの狭間で揺れ動いている少年少女たちの心がどんなに複雑なのか、ストレートに描かれています。(そういえば、『Wonder』も5年生のお話だったな)
自分が透明人間のように扱われるのが嫌なメロディ。そんなの当たり前だ。皆と同じに心があるのだから。
東田直樹さんの『自閉症の僕が跳びはねる理由』もとても素晴らしい本でした。
私たちは学ぶべきです。皆、同じ人間だってことを。
投稿元:
レビューを見る
脳性まひで、生まれつき話すことも体を動かすこともできないメロディ。実は人の話はよく理解でき、ずば抜けた記憶力を持っている。言葉を獲得して困難に立ち向かっていく11歳の少女の物語。
「障害がある子は知性がなく無能」と、見た目だけで判断されることが悔しくてたまらない。音楽が好き。本が好き。パパとママが大好き。言葉で気持ちを伝えたい!溢れんばかりのメロディの思いがひしひしと伝わってくる。
メロディに寄り添う人々が良い。ママとパパ、お隣のヴァイオレット、移動支援スタッフのキャサリン、国語のゴードン先生やH5学級五年生の担任
シャノン先生。可愛い妹ペニーに愛犬のバタースカッチも!
メロディのママはビラップス先生に抗議した。一人ひとりの特性を知りもせず、自分のやり方で授業を進め「こういう子たちの親御さんは〜」と言う先生の無神経さに我慢ならなかったのだと思う。
ママがんばれ!と私もエールを送りたくなった。
障害を持つ子どもと障害児を抱えた親それぞれの思いが、細やかに書かれていて胸を打つ。特別支援学級やインクルージョンクラスについても知ることができた。会話の助けになる機器メディ・トーカーでメロディは初めて言葉をはなした。「パパ、ママ愛してる」と伝えることができた瞬間には読みながら涙が溢れてきた。
ウィズ・キッズ・クイズ地方大会のメンバーに選ばれチームは優勝。けれど全国大会当日、仲間に置き去りにされてしまったメロディ。傷ついた彼女にさらなる悲劇が襲いかかり・・と最後の最後まで目が離せなかった。
この物語は、国語のゴードン先生から出された課題の"自伝"だったことに最終章で気付かされた。構成の巧さも見事で、何度も読み返したくなる一冊。
メロディと同じ年頃の子に是非手に取って読んでもらいたい。