紙の本
哲学散歩
2015/08/24 10:36
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投稿者:Carmilla - この投稿者のレビュー一覧を見る
メルロ=ポンティの哲学を平易な翻訳で日本に紹介するとともに、ハイデガー、フッサールの思想研究で知られる哲学者・木田元の最後の著作である。古代ギリシャから現代哲学までの通史を、エッセイという形式で綴られたこの本である。著者の文体からは、穏やかな性格と豊かな教養、そして多彩な視点が垣間見える。自分もこのような文体をものにしてみたいなと思っているが、かなり頭がよくないと難しいだろうな。哲学と自然科学及び宗教学は密接な関係があるが、この本に収録された話で一番印象に残ったのは、自説を曲げなかったばかりに宗教裁判にかけられ、10年近くも牢獄に入れられたあげく、火刑台で火あぶりにされたイタリアの哲学者ジョルダノ・ブルーノの話。教会から見たら異端と思われる学説を片っ端から弾圧する17世紀という世界は、政権与党の勉強会で「(自分たちの意見に反対する)マスコミを懲らしめなければ」と発言する議員が跋扈する現代と重なっているように思えるのは私だけか?
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【古代ギリシャから20世紀まで…哲学者たちの横顔】衣装に凝りすぎてプラトンの顰蹙をかったアリストテレス、性格は悪かったハイデガー…現代日本を代表する哲学者によるエッセイ。
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昨今亡くなった有名な哲学研究者による、哲人たちの評伝のようなもの。もっと思考に回転を与えてくれるような思索を期待したのだが…。
古い思想の中身を知るのではなく、もっと現実に生きるために考え方というのを、大学の教養では教わらなかった、ということを再認識した。
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名だたる哲学者の人間関係を著者の思いでと共に書いているエッセイ。
気楽に読めた。
特に途中に書いてある紀元前から伝わる本の件はおもしろかった。
プラトン、アリストテレス、聖書に至るまで耐久性のない紙、また、多言語のため幾度となく書き写された物が今に残っているという不思議。
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プラトンからデカルト、カント、ハイデガーそしてレーヴィットまで、名だたる哲学者たちにまつわるエピソードをエッセイ形式でまとめた短編集。著者の木田元さん自身がハイデガーを専門にされていたこともあり、ハイデガーと他の哲学者の交流や関係性を記した章が多数あって、とても興味深かった。
木田元さんは、ハイデガー『存在と時間』を読むために哲学を学ぶことを決めたという。東北大学大学院の哲学科に入学し、半年間でドイツ語を詰め込み、そこから『存在と時間』原典を読み始めて半年で読破したそう。しかし読み終わって、あまりの難しさに「これで論文は書けない」と判断。理解を深めるためにヘーゲル、カント、フッサール、メルロ・ポンティなど数々の哲学者の本を読み、研究したという。ハイデガーを読むそのためだけに、実に凄まじいエネルギーである。
わたしも大学で卒論を『存在と時間』について書いた。わからないわからないと喚き嘆きながらひたすら『存在と時間』とそれにまつわる本を読むので精一杯で、他の哲学者に手を出そうとはしなかった。そんな勇気も余裕もなかった。だから、あのまま大学院に行きたかったと10年以上経った今になってときどき思うけれど、わたし程度の熱意で大学院に行っていたら、それはそれは辛く厳しい院生活になっていたに違いないと、木田元さんは哲学に向けた圧倒的な熱意を知って思った。恐れ入りました。
大学の頃に買った『反哲学入門』も、これを機に久しぶりにまた読んでみようと思う。
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哲学者木田元の最後の本でした。散歩する老哲学者に誘われてソクラテス、デカルト、ハイデガー・・・、の素顔を垣間見る、そんな本でした。あれこれは「ゴジラ老人シマクマ君の日々」に書きました。覗いていただければ嬉しい(笑)
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202302200000/