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失われたイスラエル10支族が日本民族の始祖との論を基礎に、聖徳太子の実相に迫る。史跡の検証を踏まえ、書き換えられた歴史の裏に迫る勢いがある。
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歴史とは常にその時代の権力者によって都合の良いように書き換えられるもの。安易にユダヤやキリスト教と結び付けるのもいかがなものか。特に今のユダヤは日本を併合しようと手ぐすね引いて待っている。それにより真実は明らかになることだろう。
歴史を研究するものとして一番やってはいけないことが自分の主張する物に近い物だけをつぎはぎすることだろう。まず歴史研究者が飛鳥昭雄や三神たける、ユダヤ主張のラビに引かれるのが難だろう。まあ自分が日本イスラエル親善協会の理事だというところで話も数割マイナスして考えなければいけないだろう。
ウソも方便、歴史は仏教だけがねつ造しているわけではないキリスト教もユダヤ教もましてやラビと言われる人たちもねつ造していないという証拠はない。すり替えは今も厳然と行われていることだろう。
歴史は常に壊されている一つの証拠も見方を変えれば行くようにも見える。しかもそれをうまくミスリードする歴史書もある。たとえこれらをうまく切り抜けられたとしてもそこにある歴史が当時の事実とイコールとは言えない。だから歴史認識というものは難しい物でありデリーケートなものとなる。
特に気になるのが著者と有力者のツーショット、あるいは団体写真を載せている事。自分の力を誇示しようとしているのに危うさを感じる。
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本書に出会う前から、聖徳太子を追求し気になる点をクリアにする出歩きをしてきた中で、自身が結論づけてきたことがこのように書籍となっておりびっくりした。神仏習合により日本を統率するデザインを描き実践してきた太子に敬服し傅く。そんな思いを思い起こさせる内容。今だからこそ読みたい書籍