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う~ん。
なかなか難しい内容だったかな。。。
作者の意識と感覚で書いてるような文章。
頭を空っぽにして読むのがいいかも。
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クロウタドリの歌みたいな本だった。
美しく、時に不愉快な旋律。
わかるようでわからないもの。
私自身のことだって、ほんとうには見えてないのだ、たぶん。
ちょっとブローディガンの西瓜糖の日々のようで、プラテーロと私、みたいでもあった。
淡い色合いの世界。たくさんの美しい自然があたり前にある世界。貧しい人も狂った人もいる世界。
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クロウタドリがさえずる牧歌的な描写がみずみずしい。それと背中を合わせる形でのぞき見える死者の領域が、この世の一瞬一瞬に魔が住むことを知らせる。書き方やことば選びが童話のようにやさしいことがむしろ、不協和音の伝わりを重くする。
「虎、虎」
「ジャン・ゴドフリー」
「潟湖」
「煮たカブを食べるいとこたち」
が好き。
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爽やかな物語のはずなのにその途中に描かれる主人公の心象風景には底知れぬ深みがあった。いつか再読してから抱く感想はきっと初読とは異なるだろう、それが今から楽しみだ。
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精神病院に入っていたという著者の経歴からもわかるとおり、そして、そんな精神病院での様子を描いた一篇が紛れ込んでいるように、この短篇集に描かれる記憶、想い出は決して美しいものではありません。ちょっと変わった子ども、なんかズレている子ども、決して快活でもなければ根暗でもない、素直とは言えないけどひねくれているというのともちょっと違う、そんな子どものイメージが立ち上がってきます。
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しみじみする。「昔はこうだったのよ」と家族の誰かが話す。ほんわかするのは内容というよりも、生きてきた歴史の秘密を共存するという行為なのかも知れん。書かれたのが1953年位で、自然豊かな?ニュージーランドのせいか、印象はこうだ。よし、頑張ってネギ用の土手を作るぞ。ざっと作って日も暮れたし、明日ネギを植えるぞ。寝て起きると豪雨。さらに翌日跡形もなく土手は崩れ、しかも天気は良い。悲観するも、自然の押し流した土の造形のなんと美しいことか。自分の労働は無に終ったが、自然の一部として生きてる。ネギも自分も。