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内田樹、川上弘美、朝吹真理子、養老孟司との対談集。
最後に4つの対談の内容のふりかえり付。
タイトルとカバー装丁一見して、バージニア・リー・バートン『せいめいのれきし』へのオマージュだとぴんとくる(その旨あとがきでもふれられており、献辞あり)。
『生物と無生物のあいだ』の後日譚はじめフェルメールなども話題にのぼり、各人で重複する話題もあるものの、それぞれに違う雰囲気もあり、 わくわくする話がいっぱいであっというまに読み終えた。
『動的平衡』は未読ながら核心のところはつかめた気がする。
内田樹=流す人=アース、なんて至言。
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動的平衡理論の福岡伸一先生の対談本。
対談相手は、内田樹、川上弘美、朝吹真理子、 養老孟司(敬称略)
この一冊で何粒も楽しめると同時に、それぞれの対談相手との自然な会話で、「せいめい」の不思議なありようについて考えることができる。
一冊で何冊分にも値する本。しかも、読む上での難解さはなく、むしろ楽しめる。
そこらあたりが一流の方達の会話なんだろうな。
対話をとおして、自己について言及する著者の姿も面白い。
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【内容(「BOOK」データベースより)
「お変わりないですね」と言っても、実は「お変わりありまくり」―。生物が生きている限り、半年も経てば体を構成する原子はすっかり食べたものと入れ替わる。絶え間なく入れ替わりながら、常にバランスがとれているという生物の「動的平衡」のダイナミズム。内田樹、川上弘美、朝吹真理子、養老孟司。好奇心溢れる4名との縦横無尽な会話が到達する、生命の不思議の豊かな深部!
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【著者略歴「BOOK著者紹介情報」より】
福岡/伸一
1959(昭和34)年東京生まれ。米ハーバード大学医学部フェロー、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授。生物学者。サントリー学芸賞を受賞した『生物と無生物のあいだ』ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著作多数
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【目次】
1 グルグル回る 内田樹さんと
・今日はなにを話しましょうか
・ものを食べるのはなぜか
ほか
2 この世界を記述する 川上弘美さんと
・ 物理現象としての「輪廻」
・不可逆な枝としての「時間」
ほか
3 記憶はその都度つくられる 朝吹真理子さんと
・記憶とは何か?
・名づけるしかない寂しさ
ほか
4 見えるもの、見えないもの 養老孟司さんと
・「虫屋」のあこがれ
・虫で世界を考える
ほか
5 「せいめいのはなし」をめぐって(福岡伸一)
・動的平衡の「拡張」について
・動的平衡の具体例
ほか
四人の共通点―あとがきにかえて
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これも紀伊国屋で、平積みでした。「せいめいのはなし」
動的平衛を軸にして、対話形式で進んでいきます。
途中で飽きてしまって斜め読み。
私には会わなかった様です。
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著者の福岡さんは大好き。内田さんも好きなのでその2人との話はよかったけれど、他のかたとのは。。。4人目の方は読まずに図書館へ返却。
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せいめいのはなし - bookworm's digest
http://tacbook.hatenablog.com/entry/2015/03/26/202607
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福岡さんの唱える生物学の考え方の中心に、「動的平衡」というのがあって、それは、一言で言うのはむずかしいのですが、本書の裏表紙の文言を拝借すると、「絶え間なく入れ替わりながら、常にバランスがとれているという生物のダイナミズム」ということになります。たとえば、生物の細胞は、食べたものの原子が、あるものは脳に入り、胃の細胞になり、肝臓の細胞になり・・・、というようにまばらに入れ替わり、それが半年もするとすべての細胞が入れ替わっていたりする。なのに、ぼくらは別人にはならないし、記憶がすべてなくなったりも顔がまるで違うようになったりもしない。それは、前後左右上下の細胞が、あたらしく入れ替わってきた新入りの細胞に対して、「きみが入ってきたところはこうこうこういう役割でね」という情報をやりとりし、それにともなって、新入りの細胞がまるで空気を読むかのように、元にいた細胞と同じ役割をするものになるからだそうです。それで、そういうのを「動的平衡」と言っていました。その「動的平衡」を拡張して経済や社会に合わせて考えてみたりもしていますが、そのへんは著者自身も言っている通り、簡単にあてはめていいものか、との批判もあることでしょう。小説家である川上さんや朝吹さんとは、小説や言葉についての話がありましたし、養老さんとは一層深い、意識や言葉についての話がありました。そのなかでも、タモリさんを考察した養老さんの話はおもしろかったです。最後の5章目は著者によるあとがきに似た「まとめ」的な文章でした。気をつけたいことがひとつあって、それは時間に関する考え方で、生物学者である著者の福岡さんは、時間なんていうものは実存しないもので、たとえば便宜的な尺度のようにとらえているふしがあります。でも、科学雑誌の『ニュートン』などを読んでいると、時間というものは実際に存在していて、それは空間と関係があったりするんですよね、「時空」といっしょくたにして言われる通りに。ぼくも勉強が足りていないので、詳しくここでは説明できませんが、たぶん、宇宙論だとか最新の物理学だとかでは、時間というものは実存するものだとされていると思います。このあたりこそ、WEB検索で調べてみるのも手ですね。つまりは、すごくおもしろい発想と生物学的に裏打ちされた考え方で意見を述べられている著者なのですが、その範囲として「生物学的見地」というエクスキューズを、はんなりとでも考えておきながら読むといいかもしれないです。否定するわけじゃなく、全肯定するわけでもなく、そういう留保をたまに持ちながら、著者の言葉に耳を傾ける(実際は文字を目で受け止める)のがよいのでは、と今回、感じました。
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これも積読。
福岡ハカセの本は読みやすい。
風の中のマリアを読んだあとだったので
ちょうどよかった。
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◆生物は絶え間なく入れ替わっている◆
TVのコメンテーターとしてもお馴染みの生物学者・福岡伸一さんが、分子生物学的な見地から4氏と「いのち」について語った対談集。
人は死んでも生まれ変わり、身体を構成している要素は絶え間なく分解され、新たに取り込まれたものに置き換わっているといいます。
リケジョの芥川賞作家・川上弘美さんとの対談では、この現象を小説の執筆に例えています。文系の皆さんにもぜひ読んでいただきたい一冊です。
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ここしばらく動的平衡の言葉に囚われています。養老さんと福岡博士の対談はとても面白い。こんな本で1ページ毎に吹き出し笑い。見ている人は漫画を読んでいると思ったかも。退化についての進化論的説明に至る過程が抜群に面白い。面白い人の相乗効果で何かが生まれる瞬間を見たような気になりました。
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読書メモ
秩序 美 崇高さ
闘争せずにいられる時間が長ければ長いほどさまざまなことが学べて、技術も習熟できる。楽しい子供時代が長いこと、つまりネオテニーこそがヒトをヒト足らしめたという考え方があるんです。(117p)
生物をかたちづくる物質的は死後も世界を循環する
仏教でいう「輪廻」と同じ現象が、現実に起こっているんですね。だから、宗教的な意味でなく、具体的な物理現象として、私たちは死んでもまたどこかで何かの体の中に蘇る可能性があるんだよ。
(72p)
人形浄瑠璃が生きているように見えるのは、そこに「動的平衡」があるから。それぞれのパーツが細い糸で結び合わされていて、互いに他を律しています。
ES細胞とは、自分が何者になるかわからないままに増え続ける、時間が止まった細胞なんです、つまり自分探しをしている永遠の「旅人」
「変わることが変わらない方法」
エントロピーは、正確には物理学的プロセスとして、物質の拡散が均一なランダム状態を目指すこと
パスをいかに回すか
→商品、貨幣(経済)
→細胞
循環する運動を起こさないと始まらない
与える先は、ボールゲームと同じで、「その人の前にスペースが空いている人」です。次にパスする選択肢がいちばん多い人。ボールゲームでは必ずそういう人に向けてパスが送られる。
そういう点で、ボールゲームの意義は、人間の経済活動の、というよりも社会を構成して行くときの根本原理が書き込まれているんじゃないかと僕は思っていたいるんです。
細胞がどうやって将来を決めているかというと、パスをし合って決めるんです。あるいは、空気を読みあって決める。ジグソーパズルでかけたピースのかたちがわかるのは、周囲の」ピースがわかるときでしょう。それと同じことです。
ジャック・ラカン
「原因とはうまくゆかないものにしかない」
養老 効率ばかりを追求すると効率が悪い、つまり部分的合理性が全体的合理性と合わないということに多くの人が気づき始めていますね。(174p)
養老 効率的に生きるなら、早くお墓に入ればいいのに(笑)。やることやって早く死ぬのがいちばん効率がいいですよ。(175p)
養老 たとえば「ある」と「ない」。これは反対語ではなくて補完語です。「生」と「死」なんて、まさにその最たるものです。「生きている」と、「死んでいる」は決して切り離せない。生きている状態が死んでいない状態で、死んでいる状態は生きていないんだから、完全に相互補完じゃないですか。それを、反対語の面だけを強く取り出す社会になってきた気がするんですよ。(186p)
養老 チェーホフは「風邪を引いても世界観は変わる。ゆえに世界観とは風邪の症状だ」と書いています。(200p)
生命の複製は似ているけれども少しずつ、いびつで違います。例えば蜂の巣の六角形は、合同な六角形が、どこまでも広がっている幾何学的なイメージで考えますが、よく見ると実際の蜂の巣はみんな、ちょっとずついびつで少しずつ形が違い、端の方にいくと、小さくつぶれていくようになり���す。(212p)
伊勢神宮は、「式年遷宮」といって二十年に一回ずつ社殿を建て替えるから生命的だと言うんですけれども、動的平衡から見ると、それは全然生命的ではない。全取り換えをしているわけですから。(214p)
トッズ表参道ビル
ミキモト銀座2ビル
中華料理のコツは材料を細かく等分に切ることだと聞いてはっと気付かれたそうです。(どんぶり建築論、隈研吾、手のひらサイズの木を寄木細工のようにはめると、堅牢な柱になったり、壁になったりして、どこでもというわけではないけれど、着脱可能らしいのです。)
ES細胞、iPS細胞の応用は急ぎすぎるな。
それは文学とか、芸術とか、哲学とか、そういうことにも通じているでしょうか。つまり、この世界の在り方とか、自然の仕組みとか、生命の振る舞い方を捉えたいと、みんな思っている。それをどういう方法で描くかというのは、それぞれの画家に任されているのと同じように、それぞれの科学者に任されているわけです。
私が「私」であること、一貫性や自己同一性というものを、人間はとても大切にし、自己実現を目指して生きています。
人間というのは、そのあまりのはかなさゆえに、動的なもの、揺らいでいるもの、流れゆくものにあらがいたいのでしょう。
つまり「書きとどめる」ということは、それぞれの時間に錘をつける、ということです。
言葉というのは自己同一性をどう担保していくかの道具なのでしょう。動的平衡の産物として生物学的に私たちがあり得ているにもかかわらず、「自分」というのはどんどん変わっていき一年前の自分は「自分」ではない。約束なんかは守らなくてもいいし、後悔なんかもしなくてもいいーそれが人間の本性だとしても、そこに時間軸を持って、「自分は自分」を支える唯一のよすがとなるものが記憶なのです。
世界の成り立ち、宇宙の原則、生命の仕組みというものの裏には非常に美しい隠された幾何学的な秩序があって、明確な摂理や因果関係があるというピタゴラス的なイデア論。
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「動的平衡」説明されるとなんとも神秘的で興味深い。養老さんを除いて文系の人との対談だったがわざとではなかったらしい。でも読み手にはわかりやすくなったのだと思う。2018.2.15
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ほぼ「動的平衡」をアピールするためのヨイショで編集された対談集。朝吹真理子のセリフの言葉の完成度がすごい。内田樹はすごくいい加減であることがわかる。いまさら「物神化」などマジメな顔でいう人がどこにいるのか。
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“科学者が闇を覗き込むとき、闇もまた科学者を試そうとしているのです。”
福岡伸一さんと様々な方の対談集。
福岡伸一さんの『動的平衡』を読んでから、わかっているつもりではあるのだけれども、生命というものは不動なる個体ではなく、波であり、入れ替わり行くものであり、綺麗に細部に線を引くことができないものであるということは。
それでも、ぼくら人間は視覚に頼り、認知できるものを分類分けしたがるが故に、現実とちょっと差異がでてしまう。
仕方ない気もする、僕らがイデア(理想的な綺麗な絶対像)を求めるのは。
色々な分野と混ざり合い広がりゆく話が、また面白い。
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以前、「考える人」という雑誌に福岡伸一さんと養老孟司さんの対談が載っていて、ずっとそれが読みたかったのだが、この本に収録されていることを知って購入した。
雑誌では三回にわたる長い対談だったので、本当に面白い話題が尽きないのだが、中でも面白いのは擬態の話である。
擬態には二つの大きな難問があると思う。一つは、どうして擬態が発生するのかという問題。捕食者から身を守るためだという説があるが、それにしては似過ぎている。養老さんの表現を借りると、かなり「無理をして」似せている。自然選択でそのようなことが起こせるものだろうか。そもそも、ダーウィンの説には発生に関して疑問の余地が多い。適応した者が残るというなら、なぜより少ない種へと収斂せずに、逆に多様性が生まれるのか。
もう一つは、「似ている」というのが、あくまで人間の目から見て似ているに過ぎないことである。人間の目は三色原理だが、捕食者の鳥は四色原理である。一方、多くの哺乳類では視界がモノクロに近いと言われる。擬態の相手が昆虫の場合もあるが、昆虫は人間と違って目が横に付いているので、これまた人間とはまったく見え方が違うはずである。だとすると、人間の目から見て似ているという事実は、一体何なのか。
神秘という表現はしっくりこない。不思議という方がふさわしい気がする。どうしてこんなことが起こるのか。でも、実際起こっているのだから仕方ない。答えのない問いというのもあるが、これは問いのない答えだ。われわれは答えだけを見せられて、その問いを知らずにいる。それこそが自然の不思議である。
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動的平衡 絶え間なく要素が変化、更新しながらもバランスを維持していること。
人は、自分がずっとこのままだと思っているが、実は細胞が死んで、新しい細胞が生まれながら、自分を保っている。確かにそうだな、とおもう。
そんなことを、養老孟司さんなど4名の人と対談しながら考えていく。