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もしも、著者のことをあまり知らず、「東大助手?ちょっと面白そう」とか思って読んだ人がいるならば、さぞかし驚いたことであろうなあ。助手時代に教授から受けた理不尽な仕打ちもさることながら、著者自身の妻や母、姉に関する、あまりと言えばあまりにも露悪的な書きぶり。これまでの著作でそうしたことを読んではいたけれど、それでもなお、ちょっと腰が引けてしまう。いやあこの「芸風」は唯一無二でしょう。
思わず芸風とか言ってしまったが、これが意識的な「芸」なのかどうかは、うーん、なんとも微妙なところ。いつもいたって真剣に「生きるのが苦しい。つらい」と言いながらも、大学教授という社会的地位があり、次々本を書き、それがまずまず売れて、評価もされている。普通なら「何が不満なのさ?」って感じだよねえ。「いつまでも自分の人生を親のせいにするな!甘えるんじゃない!」とどやしつけたくなっても不思議ではないはず。あまりそういう気にならないのはどういうわけか。
著者は、自虐と自愛、自尊と卑下の感情が極端に強く入り交じる屈折しまくった自らの性格について、おそらくこれ以上ないほどに突き詰めて考えてきたのだろう。「いつか死んでしまうのに、なぜ苦しんで生きるのか」という問いを、とことん持ち続けて、のたうち回りながら答を探してきたんだろう。ごまかしたり、手近な答えでよしとしたりせずに。そう感じとると、大なり小なり共感して読めるのだと思う。
わたしの場合は…、繰り返しになるが、微妙だなあ。あまりにも人の気持ちに配慮しない(わからないのではなくて、わかっていてやらない)態度を大人げないいやなヤツと思う一方、ここまで自分というものに徹底的にこだわり、世間に合わせないのはたいしたもんだと思ったりして、宙ぶらりんな気持ちになるのだ。機嫌良く生きていく上では、どこかで「テキトーである」ことも大事だとあらためて思ったりもする。
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「うるさい日本の私」以来
筆者の新刊が出るたびに
手を出してしまう
いやはや 今回も
全く褪せずに しっかり書き込んで
いらっしゃる
それにしても
ものすごい記憶力 と 執念深さ だな
と思ってしまう
そして また ついつい 引っ張り込まれて
読まされてしまうのも
また いつものことなのですが…
でも 糟谷教授ほどでもは無いとしても
それに近い人物は確かに身近に一人はいますね
その人を投影して読んでしまう
その共感が中島センセイを読んでしまうことに
つながっているのでしょう
それと
この本の編集を担当された方は
どんなふうに中島さんに寄り添ったのだろう
とも 思いました
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教授はそもそも研究をしていない。
当時、東大には社会科学科には錚々たるメンバーがそろっていた。談話室で日本の知的社会のトップにのしあがった男たちが、豪快な談話をしていた。
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20180204蔵書
20150117読了
あの「ウィーン愛憎」のその後はこんなことに…!と驚愕。いわゆるアカハラというやつではないか。指導教官に贈り物をしたり家の芝刈りをしたりしてご機嫌をとらねばならないなんて、そんな世界があったのだね…業績を残せない人が承認欲求を発露させた結果なのかも、と思った。そんな人の下についてしまったら大変だな。●この著者の作品は留学記以外読んでいないのだが、こんなにも自分の家族の、実家の内情を、赤裸々に書いてしまっていいのだろうか。毎度のことながら心配になる。
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『ウイーン愛憎』や『うるさい日本のわたし』『人生を半分おりる』で(ぼくに)知られる義道さん(うちでは親愛をこめギドーさんと読んでいる)が、ウイーンから帰国後ついた東大助手時代とそこから脱出?するまでの悶絶と格闘の物語である。義道さんが東大の助手になったのは、某教授の推薦によるのだが、助手はだいたい3年で外へでることになっており、義道さんもなんとかして外へ出たいと頑張っている。しかし、その性格がわざわいしてか(教授からはそう言われる)、なかなかそんな話が舞い込んでこない。だいたい、こんな場合、自分の指導教授の推薦がいるが、義道さんをウイーンから呼んだ某教授は、なかなか推薦してくれない。実は義道さんはこの教授の学問が尊敬できず、それが自然と言動に現れてしまうので、教授の方も進んで世話をしたくない、しかし、出さないと自分のメンツにかかわるというジレンマを抱えている。義道さんの奥さんは、日本語教師としてウイーンで義道さんを養った?こともあり、義道さんにはめっぽう強い。しかし、日本に帰って後義道さんと奥さんの間には冷たいものが流れている(その後別居しているはず)。しかし、彼女も義道さんの就職については俄然はりきり、教授宅につけとどけをしたり、教授夫人に愛想をふりまいたりする。そんな努力が実って、義道さんは新設校に採用されるところまで行くが、その世話をした某教授やその夫人は、義道さんたちにドイツへ行っている間庭の芝生の世話をしろのだの、空港まで送っていけだのと難題をふっかける。やがて、かれらがお金をほしがっているのを悟った義道さんたちは、教授たちを空港へ送っていくかわりにホテルをとってやったり、タクシー代を持つということで教授たちの機嫌をとる。しかし、それを言ったあと、義道さんは深い自責の念にとらわれ、教授を学部長に訴えるところまでもっていく。義道さんは教授の復讐から逃れ無事就職にたどりつけるか、それとも教授の妨害にあうか、最後の部分は読者をはらはらさせる部分である。本書にはこれ以外にも東大の中での助手同士の確執が描かれている。これは事実だろう。しかし、某教授が一概に悪いかは、一方を聞いただけでは沙汰できない。
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図書館から借りて読んだが、それで正解。買うまでもないつまらない本だった。学校だけではなく、企業でもそれなりの扱いをされてしまう人間は多いが、本人にも理由があることがほとんどである。ただ、仕事もできないくせに妙にプライドだけが高い人間が、バカにされているのがわかると、職権だけで威張り散らすのがたまにいることも間違いない。ただし、周囲の目があるので、いつの間にか排除される。厄介なのは、その手の威張り散らす輩は、上に取り入るのが結構うまいことで、下にも同じことを要求すること。
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人から借りて読んだのですが、時間返せーって感じ。
こんなの本にするなよ。つまらん本だった。読む価値なし。
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中島氏の東大助手時代にあった“教授からのいじめ”を中心にした仮名にしたノンフィクション(だと思う)。
かつて僕が東大に関係していた頃に痛感したのは,東大教員という人種は,知的なのだけれど痴的でもあるということ。この本に書かれているようなことは今はないと信じていますが,登場する教授のような権威主義者は,教授でなくても助教にもいて,東大とソトを立派に区別していらっしゃる。
最近,僕のところの学生が,東大の大学院を受験することを考慮しているということで,教育と名のつく部局の助教の先生にメールしました。志望する先生はあまり外部の方とは接触しない人らしいことは,学生本人が問い合わせた時点で分かったようなので,できればでいいのだけれど,授業を一度聴講させてもらえないか,と。
僕は,このお願いが「丁重に断られる」ことを想定していました。何しろ教育と名のつくところなので,それなりの姿勢での返事を覚悟していましたし,当の学生にも,そう覚悟しておけと注意していました。
ところが,2週間経っても返事はなし。僕は,“「そういう対応はできない」というお返事すらいただけなかったのは非常に残念。”とメールしました。これが,東大の教育と名のつくところの対応です。無視された側の心理について,「教育」と共に「心理」と名のつく学問のこの専門家は分からないようです。「分からないから研究している」のでしょうけど,非専門家ですら分かることだと思うのですがね。
知的能力が高いから人格者,教育を語るものも人格者などと思ってはいけないということです。
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今の言葉で言えば アカハラなんでしょうか。
昔からこういうことは聞きましたが 本当なのか。フィクションなのか?
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いまは哲学の泰斗らしい著者の助手時代に受けた恩師(?)からのいじめの模様を小説仕立てで暴露。
恩師はカント専門家の著者を引っ張ってきたが助手以降の就職先を見つけにくく、彼の奥さんとともに著者に冷たく当たり、言葉いじめや庭の芝刈りの教養をする。
著者が自分の奥さんも悪く書いてあったりして、リアルではあるがいまいち読後感は良くない。
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研究者としての職を得ることの困難さ。
脚色があっては欲しいが、きっと現実は、さらに厳しかったのだろうと。
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2015.5.24.中島義道さんはうるさい日本の私…だったかな、10年以上前から好きな方。すきといっても近くにいたらさぞかし、面倒で嫌な感じの人だと思うけれどこの方の偽善を徹底的に嫌う姿勢がすごく好きでよく読む。そんな人間にとったらこのエッセイは最高に面白かった。大学の中の人間関係はホントにややこしくて大変。
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著者の他の著作を読むとかなり変な人だとしか思えなかったのだが,その原因が分かった。
人間として非常に問題の多い著者が変な教授にいじめられたという話だが,いじめかどうかは疑問。著者の人間性がおかしいのでいじめと感じただけとも思えないこともない。
本屋で文庫本の存在を知り,図書館で調べたら単行本があったので借りてみた。
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ラストシーンはホラー映画みたいだった。この暴露で一番傷ついたのは、糟谷教授でもなく、東大アカデミズムでもなく、近親者(奥さん、お母さん)だと思う。周りの者すべてを破壊しつくさざるを得ないのは、筆者の業、情念だろうか。偉い人はみんな変わってはると思った。