紙の本
開創1200年の高野山
2015/11/01 22:25
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投稿者:しゅん - この投稿者のレビュー一覧を見る
高野山で生活している人でなければ分からない事実もあり、興味深い。
弘法大師が高野山を開いた事情から、現在までの歴史も触れてあり、1200年の歴史の重みもわかる。
高野山の貴重な文化財を紹介していることも参考になる。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
漠然とした内容で新書にまとめるのは難しいことだ。捉えどころを絞る必要があったように思える。奥深いゆえにわかったような気にはなれない。
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まるで高野山に居住するかのような人・・と思って読み進めていくと、確かに生まれ育って、高野山大学名誉教授でもあらせられた。
それだけに、高野山の歴史、過去現在の風景、あらゆることが網羅されている。
ジャンル分けすることはできませんが、とにかく高野山についてはざくっとよくわかります。
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★2.5かな、高野山の概説書といったところでしょうか。その狙い通りの内容かと思うが、多少食い足りないかな。
奥の院、良い雰囲気。大人になって一度行ったがその時はあまり天気が良くなかった。ゆっくりと色んな史上の人物、企業のお墓など見物したいもの。
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開創1200年を迎える今年に タイムリーな本です。
高野山に居住しているからこそ描ける体感している空気、自然が伝わってくる。
予備知識ないままでしたが、宗教と経済、政治とのバランスを思い知りました。現在も全国に3600余の寺院および教会を統括する組織となると、やはり強大な力を推して測ります。
寛容性の高い宗教だから人心を掴んできたのでしょう。しかし室町時代から続く「現代では理解するに困難な論議」を固持し続けることの意義、だけで終わらせて欲しくないと思いました。門答の現代版を聞いてみたいと。
索引も充実しています。
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1つの宗教施設に準拠する形で、水平的な現在の地理などと、垂直的な過去から今までの変遷を書くのは、ありそうでなかったように思える。
ガイドブックよりずっとガイドブックとして相応しく、かつ軽薄に堕ちていない。
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行ってみたいなぁと思いつつ,結局まだ近くにすら行けていない高野山。GWは遠出もしないので,気分だけでも…と思い,手に取った。
写真をふんだんに使って,高野山の四季や歴史,収蔵品の歴史などなど。高野山の歴史って,よく考えてみればほぼイコール真言宗の歴史なのだな,というのを改めて認識した。
女人道,現在はハイキングロードになっているとのことでもあるし,歩いてみたいなぁ。
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高野山全体に関するいわば中の人(などという言い方は失礼か)による案内書。意外にも改革者覚鑁への評価が高い。
しかしこういう高野山関係の本をいろいろ読んでいるのだが、いつになったら高野山へ行けるのだろう?
以下、本の感想とは関係なく。
真言宗に限らずすべての神仏・宗教が新型コロナウィルスに関してまったく効果がない状況なのだが、それでも人は(はては妖怪にさえ)すがるという状況について坊さんたちはどう考えるのだろう。まあ、なんか言いくるめる理屈を言い出すんだろうな。
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高野山に行き、そこの本屋さんで購入。
高野山に行き、実際に歩き回った後に読んだので、描写がより立体的に具体的に想像できる。
写真も程よく散りばめられており、理解するのに助かった。
真言宗や空海について読む本としては、2番手かな。
他の本で読んで、全体像がざっくり頭にある状態で、それらの整理だったり、他の説もあるという知識の追加になる。
色んな仏像等が霊宝館にあるけれど、本来の場所になく、博物館的な場所にあると、その空間自体が空虚に感じられるし、博物館もただの芸術作品として安置している感じで、信仰から離れてしまって何だか虚しい。
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本書の著者は、密教学研究者として大学教員を務め、並行して高野山真言宗の僧侶としての活動もされていた方である。加えて高野山の街の御出身でもあるという。色々な意味で「高野山の人」ということに、否、「高野山の人そのもの!!」と言ってしまって差し支えないかもしれない。そういう方の、朗々とした肉声が聞こえるような、スッキリしていると同時に重厚な感じの読み易い文体で、少し難解であるかもしれない事項も慣れた様子で一般読者向けに説きながら折り重ねられるエッセイが多く収められている。それらのエッセイは一冊全体に巧みに散らされ、何やら「高野山を巡る小百科事典」という内容になっている。
豊かな内容を「小百科事典」と形容はしてみたが、それは飽くまでも豊かな内容の譬えに過ぎない。百科事典のような何かの説明に終始するという感の文章ではなく、「高野山の人」たる筆者の肉声が感じられるような、情感溢れる魅力的な文章が満載であると思った。
「開創千二百年を迎える高野山」と注目されたことを背景に上梓された本書であるが、弘法大師こと空海が真言密教の道場を開創したのは816年と伝えられる。そんな頃から、「営々と歴史が…」ということを「少し凄い…」とは思うのだが、「如何様な歴史?」というのはよく判らないかもしれない。本書はそういう疑問への回答ともなっているが、「現在でも営々と続く“高野山”の営みや自然」にも言及され、大変に好い一冊になっていると思った。
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メモ
比叡山は聖俗を完全分離、高野山はそれを受け入れる。時間をかけて俗の聖化を図る。
→民家がたくさんある、僧侶は1割しかいない。
→比叡山で修行した僧は仏教を発展させたが、高野山は新たな思想を生み出さなかった
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本書は高野山大学の名誉教授を務められている松長有慶氏によって書かれた本で、題名の通り高野山の歴史、地理的な内容が新書という限られたページ数の中でたくさん盛り込まれています。非常にわかりやすい文章で書かれているので読みやすいですが、密教や仏教についての多少の知識があるとより理解が深まると思います。その意味では、同氏の書かれた「密教」岩波新書、などは先に読むことをお勧めします。また高野山の寺院についてだけでなく、真言宗を開いた空海についての記述も多く、こちらも例えば「空海入門:弘仁のモダニスト」竹内信夫、ちくま新書、などを事前に読んでおくと、すっと頭に入ってくるのではないでしょうか。
本書は高野山に観光に行かれる方にとってのガイドブックになりますし、また密教入門書でもあり、空海入門書でもあると思います。全体的に記述内容はそこまで難しすぎず、しかし様々なトピックをうまくカバーしているという印象を受けました。本書を読んで高野山に足を運びたくなりました。
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真言密教では、日常の社会生活の中でも、宗教的な信仰ないし儀礼の上でも、異質なものをあえて排除しない。異質なものを含有し、自分の側に同化、融合しようとする。俗も排除せず、聖が俗を包摂しつつ、時間をかけて俗の聖化をはかる。
最澄がひたすら山に籠って俗を避けたのに対し、空海は朝廷と密接な関係を保つことに努め、世俗の中にあって社会活動を続けた。最澄は法華一乗を根幹に捉え、密教にはそれを補佐する役割を期待したが、空海は密教を中心軸として法華経を含むあらゆる顕教を密教の一部として包含することを考えた。
平安後期から貴族や武士などが高野山に登山し、堂塔寺院を建立して宿坊・寺壇関係が次第に出来上がっていった。室町時代から戦国時代にかけても、特に徳川家が大徳院と寺壇関係を結んで以来、諸大名が競って高野山に菩提所を設け、墓を建立するようになる。やがて庶民もこれに追随し、高野山の宿坊制度は20世紀まで続くことになった。