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まず何よりも,もっと若いときにこの本に出会いたかったということ。それは学生のときに彼女がどんなことを考え,試行錯誤していったのかについて,同じ年頃のじぶんが読み理解していたかったという後悔だ。冒頭の磯崎新の序文,そしてアルヴィン・ボヤルスキーとの対話は必読だと思った。
声を大にして言いたいのは,この本に限らずだけれど,本を通して知りえる膨大な量の知識—論理,歴史,思想そしてそこから生まれ出たもの—を,くだらない理由で見逃すべきじゃないということだ。早いか遅いかだったら,早いほうがいい。するかしないかだったら,したほうがいい。
そんなことを,この本を読みながら思い起こした。とっても私情がはさまれているけど,なんだか書き留めておきたい気持ちだったから書き留めておく。
この本は,ザハ・ハディドの初期の設計案のドローイング集だ。そしてそれらドローイングは,ザハにとって最終的なプロジェクトの姿を表現したものではなく,物事がいかに変化し得るかを発見するひとつの手段だと,対話の中で述べられている。
これからいつでもこの本を開いて,眺めて,若かりし頃のザハと本を通して対話したい。