紙の本
内容、文章とも、やや硬い
2015/09/30 14:49
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投稿者:Zyousui - この投稿者のレビュー一覧を見る
題名の通り、江戸の武士の世界を多くの文献を引用しながら論じていく内容。
切り口が多いので、江戸の雑学的興味で読むには良いのですが、文章が堅いためか、「武士の家計簿」のような楽しんで読むタイプの本では無いと感じました。
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欲は奉公の源、泰平の世をしたたかに生きた武士たち。
平和の続く江戸時代、戦功をあげる機会がなくなり「役人」として生きることになった武士たち。上司に取り入り出世を勝ち取る者、保身や人間関係に配慮する者など、したたかに生きようとした彼らの「働く思い」を読み解く。(2015年刊)
・戦功をあげられない武士たちの働く思い―プロローグ
・家臣の立ち位置
・慎みとやる気
・ 人事の要件
・人と金
・思いを記す家臣たち
・武士の欲求膨張とコントロール―エピローグ
・あとがき
人事の仕組みやシステムの話を期待していたが、思想史的な内容であり、望んでいたものと違っていた。幕府や諸藩の事例が紹介されているが、広く薄い形となっており、深く掘り下げられているわけではないのも残念。消化不良の一冊でした。
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武士の奉公本音と建前
江戸時代の出世と処世術
2015年1月1日発行
著者 高野信治
吉川弘文館
歴史上の人物や有名人の著作などを引用して説明をすることが好きな人、います。○○は(著作)××でこう言ってます。「・・・・」と引用した上で、つまり、・・・と初めて自分の意見を言う。著名人でいうと、ヤマト運輸の瀬戸薫氏や、「半農半X」生活の提唱者、塩見直紀氏(著作家)など。塩見氏は取材したこともある。皆さん、読書家のインテリだから、読んでいて自分にピタッとくる部分があると嬉しくてたまらなくなるのだろう。でも、言われた方は、ピンとこないこともしばしば。とくに引用部分は古典だったりして、意味が分からないことも多い。本人は暗記してすらすら言うんだけど・・。
九州大学大学院比較社会文化研究院教授の高野信治氏もそういう人かどうかは知らないが、この本に関していえば、まさに“そういう本”だった。タイトルのようなことを研究し、意外な事実などをいろいろ紹介してくれているのだと期待するも、多くが江戸時代に学者や武士などが書いた本の引用。引用した上でその解釈を書くにとどまる箇所が多かった。
○○はこう書いている。「・・・・・・・」。すなわち、出世ばかりを考えている者はいけない、本来の使命を果たすのだ、と戒めている、なんて感じで、ごく当たり前のことが書かれているので、拍子抜けしてしまう。
まあ、それでも雑学的に、ほーうっ、と思えるところはいくつかありました。
必要経費は出るの?
軍役をはじめ諸職遂行は、自弁が原則である。行政職も江戸時代の武士・家臣による役職遂行の費用も、基本的に自弁である。
江戸詰や他国使など、「旅役」と呼ばれる出張は大変で、負担経費は自弁のため、回避したいのは人情でもある。
武士のサラリーマン化
江戸時代には年貢を直接に土地から徴集する純粋な領主の存在は減少し、幕府や大名家(藩)の蔵から米を支給される武士階層が増えた。比率で多数を占めるようになるのは、切米取・扶持取(切扶取)という、土地との関係をまつたく有しない階層。土地との関係を有した武士階層が上・中級階層で多いのに対し、切扶取は下層階層に多く輩出された。→武士のサラリーマン化
皆勤賞について(人事評価)
忌中・看病引・産穢などの場合は、それぞれの理由を記し、何日出勤と記載する。ただ、湯治は病気に準じて皆勤者に加えない。病欠扱いである。
八戸藩では、両親の病気で看病御暇の際、病人が快気したら皆勤にならないが、病死したなら皆勤扱いである。看病者の心的な負担を加味したものであろう。看病御暇は20日までで、これを過ぎれば出勤の上、なお病状がよくない場合は願い出とされた。親の介護問題など、現代にも通じる。知行地(八戸藩は地方知行)への御暇(下り)は、七日までが皆勤である。ただ参詣、親類訪間の場合は、皆勤にならない。
定年退職の年齢
江戸時代の武士は「五十年勤(つとめ)七十余に及御番御免ハ役金も出す「(番衆狂歌)というように、七十歳定年が幕臣・旗本のみならず、大名家臣も一般的だったようだ。(189)
早く帰りたい武士たち
鹿児島藩では、早く仕事を終わりたい家臣の存在が問題になっており、天明八年(一七八八)規定では、すでに享保五年(一七二〇)に通達していたごとく、早期退出を考えている者が多い。八つ(午後二時)を打てば、もっぱら退出しか考えず、月番家老(上司)の退出を待ちわびているような者もいる。鹿児鳥藩では、部局役所の責任者の立場にある者でも早期退出者がおり、それをいわば平の役人(武士)も待ちわびる。上司が帰れば自分たちも退出自由だからだ。
頑張れば出世できるポストとそうでないポスト
武士の出世の実例と意味づけを主に幕臣を中心に進め、家格で出世が制限されるポストと、能力で出世が可能なポストなどを区別される。
百姓から平士へ出世した人もいる
岡山藩士森下立太郎景端の家は、元来、百姓であったが、江戸時代中期以降、小人・軽輩に取り立てられ、その後、代々にわたり身分上昇した。
平和な時代でやる気がなくなる
平和な時代状況のなか、戦功による立身出世もみられなくなったため、家筋(家格)が固定して上昇志向が持てなくなった。下手に立身を目論んで家を潰すより、はじめから望まず万事波風立たないようにするのが得策のような心持ちになってしまったのである。
賢いとむしろ出世の妨げに
仁義忠信の道徳心を無くし、主君や国政に役立とうという気持ちがなく、自分の功名をあげようとしたのは、才能があるだけに余計に罪が重いとされたのである。意欲や才能は、家臣としての道徳性が備わっていなければむしろ有害という見方である。
子供の教育について、松江藩校明教館の教授・桃西河が述べた。
子供には『孝経』『大学』『中庸』『論語』『孟子』『書経』『詩経』『礼記』の素読が必要である。年齢的にはきついのを考慮してだろうか、薄いものから読めば退屈しない。素読が終われば、孔子家譜の類や『史記』などから義理を学ぶ。それより『春秋左氏伝』などに進む。経書は難しいので、まず事実を記した書で、おもしろいことを悟らせ、経書の講談を聞かせる。
選抜試験がよいとは思えない、との考え
松平定信のブレーン・柴野栗山は、試験・学問による人材選抜を、中国の士大夫制になぞらえ、中国の科挙にならつて試験をするのは立派なように思われるが、中国と日本は国のあり方や解決すべき課題も違うために、江戸幕府は開設以来そのような試験制度を採らなかつたし、その実施は、軽薄な競争心を煽り、自己の利益のみを貪り追い求める手段になりかねない、と憂慮する。
実力主義への移行とその弊害
人事評価制度は、年功序列を軸にしながらも次第に成果主義に、また試験制度を通じた能力主義の流れが、とくに江戸時代の中頃以降には強くなる。ただ、格(家格)や面子の傷つくのを恐れた武士が試験準備に没頭し、日常的なことが疎かになるため、試験制度廃止を訴える藩校関係者がいたり、また、試験結果よりも家格が重視されることもあった。
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戦国時代がおわり、戦闘のプロだった武士は行政担当者としての役割を担うこととなる。
江戸期後半、近世中・後期の身分制・家格制の秩序が固定化する段階では身分移動は困難になったが、反対に社会変動に伴い身分を超えた人材登用の必要性が高まる。
江戸時代、武士の収入・禄は先祖の勲功により世襲されていたが、現在の治政を人とする官・役職は個人の資質による。官とそれに伴う禄の世襲は江戸時代の行政組織の基本原理であったので、家格を持たない有能な人材の登用には何らかの妥協が必要となった。
本書は比較的資料が残っている大名や旗本・御家人(徳川家の直臣)ではなく、江戸時代の大半を占める大名家臣に光をあてて武士奉公の本音を論じている。
人事の在り方、教育、武士のモチベーション等々話題は豊富だが、先行研究のまとめ的なところが多いのが少々不満。もっと一次資料からの著者なりの考察が欲しいところである。