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この『ぼくらの時代の本』は公式サイトで「まえがき」が公開されています。そこでもかかれているようにタイトルの「ぼくらの時代の本」とは何か、というのをいろいろな切り口をもって書かれています。
形がある本、形がない本(電子書籍)、資金調達、編集という視点など。
まえがきに、
"この本は、この4年間における本のあり方、読書のあり方、出版のあり方の進化を見てきたぼくのエッセイを集めた本だ。"
"ここに書かれたエッセイは観察の記録である。シリコンバレーやニューヨークの出版スタートアップでの経験の記録。自分で出版した経験の記録。そしてぼくが何度も何度も ―人生を通じて―取り組み、熱中し、恋に落ちて来た一冊一冊の本への愛情の記録だ。"
という文があります。
クレイグ・モドは単なる傍観者として、第三者的に書いてるものではなく、実践者として感じたこと考えていることが書かれているこのエッセイが『ぼくらの時代の本』です。
この本は誰が読むべき本なのか?出版されるという話を聞いた後、ちょっとしたご縁でブクログにて献本企画を実施させていただくことになった際に考えたことです。
出版に関わる人は読んで欲しい。例えば、この本を読むことで新しい”出版”の企画を考えられるかもしれない。電子書籍ではない、電子出版でもない。”出版”について考える本だと思う。
電子書籍の話も出てくるが、それだけではない。
クラウドファンディングで資金を集めて紙の本を作った話も入っていたり。
特に、僕も先日クラウドファンディングで出版のお手伝いをしたので、同じように実践している人の話を読むと参考になる。
あと、一番読んで欲しいのは出版業界に興味がある、就職したい転職したいと考える人なのかもしれない。
1人で出来る可能性を感じるかもしれないし、新しく入った会社でこの本で書かれていることを参考に新しい風を起こせるかもしれない。
そんな可能性がつまった(トップを走る人の4年間の知見がつまった本だからそりゃそうだ)本、『ぼくらの時代の本』、ぜひ多くの人に読んでもらいたい本です。
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紙を中心とした書籍から電子書籍へのパラダイムシフトを経て、我々は何を得て、何を失うのか。この問いに対する考えを深めることが本そのものの価値の再定義へとつながり、我々はこれよりも豊かな読書体験を獲得することができる。
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「本」をめぐる考察諸々。正解が書いてある、のではなく、この本から考えていく、想像を広げていくための本、という理解。
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チェック項目5箇所。この本は、この4年間における本のあり方、読書のあり方、出版のあり方の進化を見てきたぼくのエッセイを集めた本だ、この本は、ある種の本が死に、別の種類の本が生まれることを告げる本ではない、紙の本は終わり、電子本が否応なく隆盛することを告げる本でもない。失われつつあるのは、ゴミとして捨てられる運命にあるような本ばかりなのだ、見映えも保存性も、耐久性さえも考慮されずに印刷されているような本、一度だけ消費され、その後は捨てられるだけの本、引越作業の際は真っ先にゴミ箱行きになるような本、まず姿を消すのは、そうした本だ、今、はっきりと言おう、「悲しむ必要はない」。僕らは紙の書物が大好きだ、それもそのはず、そもそも読む際には胸の近くで抱きしめるように持つからだ。考えてほしい、同じKindleの本を1万人が読んで、下線を引いたりメモを取ったりしたとする、これを集合知としたら面白くないか? 僕が書き込んだメモを他のKindleユーザーやiBooksユーザーに読んでほしいと思ったら、そういうシステムがあってもいいんじゃないか? デバイスが広く普及し売り上げも好調な現在、今度はプラットフォームが成熟する番である、Kindleは、ここ数年ほとんど変わっていない、iBooksは、オンラインであれオフラインであれ、いまだにハイライトを集める場所がない、そればかりか、ソーシャルリーディング昨日導入への動きが少しも見られない。
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電子の本が生まれると、皮肉にも、紙の本の質が高まる。
大切なのは、それぞれの本質を見極め、
「居場所」と「可能性」を模索すること、という話。
・電子書籍は、「意味」が失われるわけではない。
質が失われる、と嘆かれる。
→電子書籍ならではの「質」を追求するべき。
・電子書籍は、めくる必要すらない。
・紙の本を、新しいキャンバスとして再定義してみる。
・オンラインマーケティングにおける、本の「表紙」の価値。
画像より、評価が気になる私たち。
→目立つ表紙。文字は必要ない。サイトにタイトルがあるから。
・本の中身全体が、表紙として扱われるべき。
→検索対象である、という意味で。
・イノベーションのジレンマ。
人は、問題に直面してからほしいものを知る。
→問題こそ、分析するべき。
★本の未来は、ネットワーク化したプラットフォームの上にある。
=kindle,ibook,,
↓
kindleで本を買うということは、
kindleのプラットフォームにおける利点(レビューやシェアなど)を利用(接続)できるということである。
そこにこそ価値がある。
・紙は紙の。電子は電子の。デザインが必要。
・デジタルでのものづくりにおける、手応えのなさ。
アナログの本は「輪郭」と「重さ」を与える。
↓
プロジェクトの集大成として、本にする。
ex)卒業アルバムは、時間を物質化している、とも言える。
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・形を問わないコンテンツはデジタル形式に移行する。
・明確な形を伴うコンテンツはiPadと紙の本の二つに分かれる p18
⇩
・ぼくらが作るその本は、手の中でしっかりとした存在感を持つものとなる。
・ぼくらが作るその本は、懐かしい図書館のような匂いがするものとなる。
・ぼくらが作るその本は、あらゆるデジタル機器を使いこなす子供たちにさえ、その価値がわかるものとなる。
・ぼくらが作るその本は、紙に印刷された本が思想やアイデアの具現化であり得ることを、常に人々に思い出させるものとなる。p19
「MATTER」はウェブサイトでもない、雑誌でもない、本の出版社でもない。「MATTER」は何か別のものー紙からデジタルへの移行で大きな打撃を受けた、質の高いジャーナリズムの新たなモデルである。長文への特集記事を1本ずつ売り、パソコン、携帯、電子本専用端末、タブレット、様々なデバイスで読めるようにするという我々の取り組みは、良い記事を生み出すために費やされる多大な努力への対価を払うという持続可能な方策となり得る。p91
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献本でいただいた本でしたが。なかなか読み進まず、コメントも書けず仕舞いでした。
紙の本と、電子書籍の有様について連載されたコラムを集めたものですが、そもそも本書が定義する、これから生き残る書物はコンテンツだという主張に対し、自己矛盾のような気がします。
著者の思考過程があちこちに飛び、意図が伝わりずらく、翻訳内容も原著に忠実なのでしょうけど、とても読みずらい。
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献本企画で頂戴しました。
刺激的な一冊。
書誌学や図書館学を学んでいらっしゃる方には
是非おすすめ。
でもそれ以上に、本が好きだというお一人お一人に薦めたい。
読書ってとても個人的な行為ですが、
人と分かち合う事もできます。
読むスタイルも、本の持つ「空気」や「気分」に合わせ
これは紙の本で読みたいとか電子書籍がいいとか
あると思います。ページめくる間合いも違いますし。
ですから出版文化の享受者としては、いろんな出版スタイルがちゃんと残っていったり進化していくのが望ましいです。
その中で、この本では資金調達などの現実的な側面に
ついても書かれてるのはいいことだと思うのです。
読み手が増え、一定の顧客がおり、ビジネスとして
出版が成り立つなら、儲かる市場と認識されお金が回る。
そうすると資金が潤沢だから更に面白いものもできる。
時代のアンテナとしての安価なサブカル寄りの本も
どっしりとした専門的な本も、読み手がいてこその本。
送り手のクリエイターや書店サイドがこんなにも努力する中
送り手を刺激出来るような、息の長い読書人でいることを
大事にしたいと思いました。
表紙の装丁が表すように、今は新時代の出版の
黎明なのでしょうね。
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出版社、出版に関わる者たちはこの「出版不況」と長きに渡って言われている今、どういうものづくりをしていくべきか、ずっと考えているはずだが、ではどういう姿勢で考えているだろう。「本音を言えばなるべく今までどおり(といっても10年前から売り上げは下がり続けている)のやり方で、リスクを避けてやり過ごしたい」、そんな風に考えてはいないだろうか。そんな人にこそ、この本を読んで欲しい。
著者はウェブやアプリ制作と紙の本の出版、両方の経験をしているクレイグ・モド氏。クレイグ氏の出版、クラウドファンディング、アプリ制作に関する貴重な経験を書いたこのエッセイは、「改革するべき事は分かっているけれど、組織の中で言い出せず、漫然とただ昨日と同じ事を延々と繰り返している」人を叱咤し、「何かを変えなくてはいけないけれどどうしていいか分からず、電子書籍という未知の世界を前に足がすくんでいる」人を激励するもの。
紙の本はこれ以上の拡販を見込めない。
ならば電子書籍、となるわけだが、その電子書籍の販売も伸び悩んでいる出版社は少なくないと思う。マッチングが上手くいっていないのだ。本書を読んで、読者の希望とのマッチングの重要性を痛感した。感想やアンダーラインを引いた箇所を簡単にシェアできるソーシャルリーディングに適した電子書籍
(自分の文章が少しでもネットに記されるのが嫌で、Amazonのなか見検索すら反対する著者もいる現状では難しいのかもしれないが)、雑誌データは大容量を月イチで配信するやり方から、軽めのデータで厳選した特集ごとに小出しに配信し、値段も継続した購読が苦にならない設定に、紙の本はデータ販売に併せたプレミアムとして「モノ」の魅力を強調、など。
日本の出版は特殊だから海外の話は参考にならない、と遠ざけないで欲しい。AmazonのKindleや、iPhoneのiBooksは今は周囲の多くの人が手にしている。紙の本、電子書籍、そしてWEBを全てつながっている「出版物」と捉えるなら、この本はぐっと身近な話になる。ちなみに本書は、紙版を手にした人にはもれなく電子書籍データをプレゼントしている。これは素晴らしいと思う。購入してくれる人の利便性を慮れば、きっと良書は広められ、拡販につながるだろう。
毎日毎日、本が売れない話ばかり。
そうじゃない、この時代にふさわしい本が絶対にあるんだと、
作る側が希望を持たなくてどうするんだ!と言われた気がした。
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すみません。
献本していただいたのに、ひと月も放置してしまいました。
この本、読んでとても刺激を受けました。
作者はデジタルの本も作りますが、紙の本の製作にも情熱を持っています。
そして、活動拠点をニューヨークと東京に持っているので、日本の現状というのも熟知しています。
そのうえで書かれた本なのです。
電子出版が普及すれば、一部の紙の本は消えていくだろうと予測します。
まあ、大抵の人もそう予測すると思いますが。
今消え失せようとしているのは
―読み捨てられるようなペーパーバック
―空港の売店で売られているようなペーパーバック
―ビーチで時間つぶしに読むようなペーパーバック
と、書いています。
これらの本がなくなれば、流通の無駄もなくなり、出版への参入障壁が下がることにより、よりとがった、冒険的な内容の本がデジタル形式で現れるなど、電子出版が活発になることによって、逆に、紙に印刷されて出版される本の質が高まるはずだ、と。
本を読むことの喜びのひとつに、読む際に胸の近くで抱きしめるように本を持つことが挙げられています。
これは考えたことがなかったけれど、言われてみれば確かにそれは、安心できる姿勢なのかもしれません。
そしてその姿勢を保持したままでできるタブレットやスマホでの読書は、パソコンのモニターを読む行為とは全然違うはず。
・手の中でしっかりとした存在感を持つものとなる
・懐かしい図書館のような匂いがするものとなる
・あらゆるデジタル機器を使いこなす子供たちにさえ、その価値がわかるものとなる
・紙に印刷された本が思想やアイデアの具現化であり得ることを、常に人々に思い出させるものとなる
この基準を一つでも満たさないものは捨てられ、電子化の流れの中ですぐに忘れられてしまうだろう。
では電子出版というものは単なるテキストのデジタル化なのかといえば、そういうものではないと著者は言います。
PDFをスマホで見ることがデジタルな読書ではないと。
読みやすいフォント
読みやすい画面デザイン
単純な操作性
そして情報量
例えば辞書機能。読んでいてわからない言葉をすぐに調べられるか。
例えばレファレンス。参考図書への導き。
読書への導入部としての、表紙の意味すら紙と電子の本では違ってきます。
アイコンにすぎない表紙なら意味がないとまで言う著者。
よい例として、オリバー・サックスの著書を紹介しています。
そう、図や写真、表やグラフなどもふんだんに使い、目に訴える造りにこの本はなっています。
そこまでするか!と思ったのは、本への書き込みをシェアするという考え方です。
書評サイトに書評を書くときに原文から引用する、というのではなくて、紙の本だったらページの余白にメモや感想を書くように、ウェブ上のページに直接コメントを書いたりマーカーしたりして、それをシェアするというものです。
これは、賛否両論あると思いますが、確かにデジタルでなければ���きないかもしれません。
小さい範囲であるならば、回し読み用の本に書き込みをするという感じでしょうが、ウェブ上でそれはどうでしょうね。
ウェブで連載されている「本が好き子さん」というマンガは、確か画面上にコメントが書けるようになっていると思いますが、私は邪魔に感じるので読むときは消しています。
私が電子図書として欲しいのは、図鑑とかですね。
普通に動物図鑑や植物図鑑もいいですが、江戸の暮らし図鑑とか昔の道具図鑑みたいに、図とテキストがリンクしたようなものが見てみたいと思います。
動画で動きもみられたら面白いのでしょうが、それだとデータが重くなり無理でしょうね。
とにかく時代小説を読むときに、江戸時代の庶民またはお殿様の暮らしあれこれがわかりやすく、しかもパッと見てわかるように書いてあるものがあればいいと、いつも思っていました。
読んでいてもなかなかイメージがわかないことが多いので。
話がそれました。
デジタルで物を作ろうとするときに、枠組みがないとどこまでもできてしまうこと。
そして、大量にデータを作ったところで、目に見えないものには実感が持てないこと。
などが、実際に製作した後の感想として書かれています。
そして今、その反動なのかどうか、「リアル」なものを「ハンドメイド」で生み出そうという潮流があるのだそうです。
それは私たち本の読者の側でも、実生活の中で多くのデジタルデータに触れている反動だとばかりは言えませんが、手づくりキット付きの本が売れているのは事実です。
一過性のブームなのか、今後電子出版に対抗するものになり得るのかは、まだ少し時間が必要だと思いますが。
著者によると、媒体としての紙は、文字を実に綺麗に表現するものなのだそうです。
そして紙の本のサイズで見た方が満足のいくジャンル、大きく広げて見たいものとして地図ですとか画集ですとかは、今後も残るでしょう。
紙の本の手触りも、小さな問題ではありません。
どれだけ電子図書の可能性が拡がっても、紙媒体向きの本も確実にあるわけですから、適材適所で今後いい棲み分けがなされるといいと思います。
私は今のところ紙の本派なのですが、2015年1月15日の朝、鹿と接触した電車が運休になったホームで次の電車を待っていた私のバッグに、図書館の返却本10冊、読みかけの本(まさにこの本)1冊、予備の本2冊の計13冊が入っていたとき、さすがに電子図書の優位性を感じずにはいられませんでした。
と言いつつこの本、出来立てのほやほやが家に届いたのですが、ゆうパックの封を開け、包んでいたビニールを破いたときにふわっと広がったインクの匂い。
やっぱり紙の本はいいなあと思いました。
紙の本とデジタルの本。もう少し勉強していきたいと思います。