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会社の同僚でもある読書仲間から紹介された本です。以前この本の著者の本を何冊か読んだことがあったので、中身を少し覗いてみたら、虜になってしまいました。凄い本です!!
平仮名やカタカナが漢字から作られたのは理解できますが、ヤマト語と漢字の関係が不明だった私には興味深く読めました。また漢字、漢民族、日本民族のルーツについて著者の大胆な仮説が物語風に書かれていますが、私には衝撃の強い内容でしたが、妙に納得できてしまうのも不思議な感じがしました。
日本をなぜ「ニッポン」と発音するのかの解説、天智天皇の弟といわれる天武天皇から事実上、天皇という称号を使い始めた、日本書紀成立の経緯など、引き込まれる考察でした。続編もぜひ読んでみたいものです。
以下は気になったポイントです。
・宗教戦争は避けて通れなかったのが歴史の過程である、現在異なる宗教寺院が平和裏に建っているのは、この半世紀、富が増して戦いなしで暮らせる世の中になったから(p9)
・三井家は藤原道長の子孫、六角氏に仕える武士が織田信長の攻めにあって紀伊に逃げ込んだ、伊勢・松坂近辺に根を張って商売を始めたのが、三井高利、そして1673年に日本橋で越後屋(三越)を開く(p11)
・三井の家訓は、一定の人数枠に絞り、そこに収まる血脈のみを一族(11家)にして他は容赦なくお払い箱にした。これが三菱の岩崎家との違い(p11)
・昭和天皇(新道の最高位)の崩御の日が、キリストの誕生日と重なるのは問題(p72)
・天皇陵を完璧に比定したのは明治時代、神武天皇はじめ、見た目立派な古墳にぺたぺたと菊も御紋をつけまくった(p101)
・仏教勢力の蘇我氏が、神道戦力の物部氏を負かしたのは587年のこと、日本書紀の編纂開始はそれから100年後(p109)
・始めに言葉があった、言葉は神と共にあった、文字は神と人間とを結びつけるツール。それを読み解く人間を神の仲介者としてあがめてられるので、文字は支配者が独占した(p110)
・始皇帝は、皇帝である自分が書く「篆書体(てんしょたい)」と、臣下の文字「隷書体」をつくった(p116)
・北京、西安に続く3つ目の古都は、洛陽である、東周、後漢、魏、西晋、北魏の都となっている(p124)
・西洋人は自分の欲望を達成するために自由を求めるが、大和族は欲望に縛られない自由を欲する(p147)
・キリスト教の発祥はエルサレムだが、東に広がったものを東方キリスト教で、ギリシア正教、ロシア正教はこちらに属す。西方に向かった、ローマカソリックとは一線を画す。景教は、東方キリスト教でもネストリウス派といわれた異端。キリストが人間として生まれ、後に神になったと考える。カトリックは、生まれながらにして神と考える(p178)
・781年ころ(桓武天皇即位)には中国でローマカソリックが大流行して多くの洗礼者が出た(p179)
・遣唐使派遣は合計20回、630-838年、通常4隻で、新羅と戦っ��後には、五島列島からの南回りになって海路が伸びて難破の確率が増えた、6割程度だろう(p188)
・漢族の出現は、黄河周辺(河南省)=中原、と称される一帯にいたひとたちで、北京原人の血を引く(p213)
・清王朝は、満州族を特別にして他の部族との混血(遊牧民族のモンゴル、ウイグル族は例外)を阻止した、その柵の外に置いた人達を漠然と「漢族」と呼んだ(p217)
・契丹(モンゴル系)=キャセイ=チャイナ(p225)
・天安門事件(1989.6)の後、中国投資は完全にストップ、1989,1990年はマイナス成長、そしてソ連邦崩壊により東欧が西側に寝返っていき目も当てられない状態になった。それを救ったのが、天皇訪中であった(p245)
・イスラエルとは、イスラ(戦う)、エル(神)の造語で、軍神のこと(p273)
・アダムは土でできた両性の人間で、自分の骨からイブという女性部分を抜き取ったことで、男になった(p284)
・四川省の四川とは、エデンを流れる川(ピション、ギボン、チグリス、ユーフラテス)をイメージしたもの(p292)
・斉の都である「りんし」の遺跡を発掘した結果、ヒト遺伝子は現代ヨーロッパ人であった(p305)
・一般にチャイナのお寺は南向きだが、孔子寺のみは東向き、正当なるシナゴーグ(ユダヤ関連)は全て東向。太陽が昇る東に未来と希望があるという東信仰が建物の方角を決定している(p308)
・安、曹、康、石の姓のルーツは、ペルシャ、トルコ、イラン、イラク等の中東である(p348)
・チャイナには、三皇五帝がいたという説がある。三皇は肌が白いが、五帝は肌が白くなかった(p410)
・チャイナには文化大革命を含めて合計5回の宗教弾圧があった、北魏(450)、北周(575)、唐(845)、後周(955)である(p414)
・漢字は王が権力者のツールとして独占していた、それが貴族社会に広まったのが600年以降、その時点で、しっかり根付いていた大和言葉に漢字をあてる作業があった(p429)
・漢字を導入した頃の支配層は、古代トルコ語を話していた可能性あり(p430)
・金印を埋めた理由を順当に考えれば、後漢が滅びたとき、前政権が武力で倒されたので、その金印は出る幕はない、魏と結ぶ前に捨てられた(p436)
・日本は、ほぼ九州、出雲、奈良の3つの地方豪族に収れんされた(p439)
・秦は神(シン)と発音するので、辰、晋、清、新、と発音する国が多い(p441)
・倭:北九州勢力(わ)→倭:近畿(やまと)→大倭:大阪・奈良(やまと)→日本(にっぽん)と呼び名が変わるたびに、王権の大変化が起きていた(p489)
・日本国の初名乗りは700年の少し前だが、そのころには壬申の乱(672)があった、天智王(百済系)が亡くなった後に、王の弟(後の天武天皇:新羅・秦国系)と、王の息子が戦った(p490,496)
・律令制度がヤクザより質が悪いのは、絶対に民を逃さないことで、完璧な戸籍を作った(p506)
・金、石、高、文、こう、李、張、趙の8家を含む17の姓がユダヤ人の姓である(p510)
・三種の神器があるのは、日本とユダヤのみ、モーゼの石板、マナのツボ、アロンの杖、八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣と似ている(p517)
・日本語には多くの「八」で始まる単語があるが、八=神と置き換えるとしっくりくる(p518)
・イスラエル12部族の中のガド族の息子に、エッポンが登場する。この発音は、ニッポンに近いらしい(p521)
・伊勢神宮では、新嘗祭(にいなめ)と、大嘗祭(だいじょう)が大事である。この2つをはっきりと分離区別したのも天武天皇である(p524)
・神道とユダヤ教の共通点は多くある。塩や水で身体を清める「禊みそぎ」の習慣は日本とユダヤのみで、綺麗好き。伊勢神宮暦とユダヤ暦は一致する。エルサレム神殿の門に穿っている菊の紋は16弁で、天皇家とつながる(p525)
2015年2月8日作成
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加治将一ならではの話の進め方。エンジョイしました。中東から東の果ての日本へ。宗教と共に文字も伝わってきた。あるある。
ひとつ疑問。ストリクトな一神教のユダヤ教が古代日本の多神教とどう折り合いをつけたのだろう、、、。
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小説としては面白かったと思います。史実がちりばめられていますので、裏付けのあるものとして読めるかと思います。ただ、漢字の謎解きはちょっと・・・という部分が。場所によっては古い字体をもちだして話をしているのに、別の場所では今の字体を中心に話をしていたり。白川静さんの字統とも違った解釈でした。
説文解字もたしかに、こじつけ的部分はあるかもしれませんが、それなら小説字体の文字の謎解きもこじつけといったも同然に・・・。このあたりからちょっと飛ばし読み気味になりまたが、全体としては面白く読めたかなと思います。
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ある言語学者は日本語には親類語はないと断じる。日本語と同じウラル・アルタイル語に属している朝鮮語は、日本語との共通単語があまりに少ない。ならばお隣の中国語はどうかというと文法すら違い親類語ではない。日本語と似た言葉としてはバイカル湖周辺の騎馬民族の言葉(古代トルコ語)と古の大和言葉が類似している。漢字を導入したころの日本の支配者が中国、朝鮮系移民ではなくトルコ語を話していた人たちだったと推測ができるらしい。信じるか信じないかはあなた次第。(P427~参照)ロマンを感じる。
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何故中国で襲われたのかよく分からないのは読解力がないからだろうけど、漢字のルーツは楽しく読めてなるほど〜と思う。やっぱり最初は一つの言語だったんだなぁと思うのはアジア圏内だけの言語しか知らないからなのか??
2016.10.16読了