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世界は ひとつじゃない
ああ そのまま ばらばらのまま
世界は ひとつになれない
そのまま どこかにいこう
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2015年18冊目。
武装解除のプロである伊勢崎賢治氏が福島県立福島高等学校の生徒さんたちと行った講義録。
双方がディスカッションする口語になっていてとても読みやすい。
著者は自らの経験をかなりボリューミーに語ってくれている上に、ご自身の経験や生徒さんへの返答において非常に正直である点がとてもよく、
戦争の最前線のことを多く学べた。
「ビンラディンが新宿歌舞伎町で見つかっていたら?」などのユニークな想定などに色々考えさせられた。
私たちは明確な答えに窮するような場面において、可能な限り熟慮しながらも、確実に選択を行わなければならないと改めて思った。
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去年はあんまり読書してなかったので、今年はなるべく読んでいこうと思います。
で、今年の最初はこの本です。奇しくも去年の最初に読んだ「自殺」も朝日出版社の本でしたが単なる偶然です(笑)
さて内容についてですが著者は紛争地域に出向いて対立している武装勢力と交渉、説得をして武装解除をさせる仕事に就いていた人で、福島の高校生との対話を書籍化したものです。実際に現場に出向いていただけあって色々詳しく話をされて、かつわかりやすく展開されているので大変勉強になったのでした。
戦争なんて俺としてはあってほしくないので、平和に向かうべく策はないものかと思案したり(たまに)しますが、この本を読む限り未来に淡い希望はもてない気がします(汗)
今後は戦争よりも対テロリストの問題が重要になってくるであろうとも語ってます(実際悲しい事件が起きたばかりですが)、そして核のありかたにも言及してます。
貧困やエネルギー問題なんかも興味があるのだけれど、根底で戦争に繋がってることも改めてわかり、この先色々大変だと受け止めた次第であります。
でもね、やっぱりこういう本を読んでるのと読んで無いのでは意識の持ってき方が違うと思うので、読みやすいし是非とも色んな人の目に触れられればいいなと思います。
しっかしほんと難しいねぇ。
戦争なくすなら愛より神かなぁ。
さてさて。
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「脅威」は、時に人間に、それから逃れるための究極の手段として、戦争を選択させる。(p.3)
「同じ苦しみ」でもって、敵対するコミュニティーを束ねていくのです。そこでは、愛とか友愛といった呼びかけは、一切しません。共通の問題が解決したら、また元の通りに殺し合ってください、というくらいの気持ちでやらないとダメ。さもないと、こいつらの後ろに何がいるんだ?と疑われかねないからね。(p.59)
僕自身の経験から、明確に言えることがあります。「テロリスト」の人権は、考慮されないということです。別の言葉で言うと、人間を、その人権を考えずに殺すには、「テロリスト」と呼べばいいのです。(p.92)
いつか戦争プロパガンダをうまく毒消しする方法が見えてくるかもしれない。それにはまず日常生活に出現するプロパガンダに、敏感になることが必要だね。そして自分もプロパガンダの法則に陥りやすいという自戒を、常に意識すること。さもないと、それに出くわしたとき、単純な怒りや嫌悪だけが先に立ってしまうから。(p.128)
さっき、9条は、家にたとえると泥棒が入らないこと、つまり敵がいないことが前提の憲法だと言ってくれた人がいたけど、でもそれは、我々は誰も敵とみなさないんだよ、ということを、外の世界にくまなく知らせなければ意味がないよね。
ところが、日本人が思うほど知られていない。だって知らせる努力をしていないから。その努力って、まず9条の外国語訳から始めるべきでしょう。(p.145)
子供という概念が生まれたのは、学校という概念を人間がつくってからだといわれています。子供は「小さい大人」とみなされた時代もあって、子供の労働はいけないなんていう概念は最近のものです。国連の「子供の権利条約」ができたのも1990年で、そんなに昔じゃない。問題は、その概念が「そこにずっとあった」ように思われ、扱われていることです。
非人道的な行為を人権の立場から糾弾するのは、非常に大切です。しかし人権の保護は「人道的介入」のように戦争の口実にもなる。(p.320)
(9条を失うことによる具体的な損害について)ひとつのブランドとしての価値が失われるということかな。日本が好戦的でないというイメージは、戦後60年以上綿々と続けてきたODAなどの対外経済協力、日本が生み出す製品への信頼感、いろんなものが長い時間をかけて積み重なってできたものだと思います。(p.374)
そもそも悪は、正義がないと成立しない。民主主義だったり、自由だったり、平和だったり。それを脅かすものが「悪」になる。「悪を倒す」って字面からしたらいいことに決まっているから、僕らは、これからも「悪」を倒しつづけるのかな……。でも、なるべき人の血が流れないような方法でやれれば、それに越したことはないよね。(p.415)
異文化共存というような生易しい掛け声ではない。我々自身が生き延びるために、異質なものと、融合しなくてもいいから、身近にいても、なんとかやってゆく。こういう胆力を、集団としての我々がもつ以外にないのだろう。我々が排他する側の視点を、理解しなくてもいいから知る。その必要性を、生存のための条件として��識するしかない。(p.418)
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東ティモールでの暫定政府の知事や、シエラレオネ、アフガニスタンでの武装解除の指揮など、外部からの当事者として国際紛争の場で活動してきた著者が、自分が関わってきた世界の対立と、それをどのように仕切ろうとしたのかを福島の高校生に語る。
そこには「平和」と「正義」が必ずしも両立しない現実がある。原則論を大事にしつつも、冷静に現実を見つめ、敵対する当事者たちを脅したり宥めたりしながら、悪い選択肢しかない状況の中で最善な結果に到達できるように行動していく。それでも多くの場合、より不安定な状況に陥る結果になってしまう。
知識と経験から出てくる言葉は簡潔にして明瞭で面白い。全面的な戦闘に発展しないために、話し合いがこじれて小競り合いが発生したとしても互いに妥協点が見出せるように、つまり突発的な小さな衝突は許容できるように緊張感は持ちつつも普段から交流して信頼を醸成する、という考え方が重要だという考え方に強く賛成です。
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テロリストの人権という見方は初めて考えたことだった。怒りや恐怖が前に出ると、人々は何も考えず恐ろしいことをしてしまう。
伊勢崎氏の本のいいところは、難しい問題を柔らかく噛み砕き説明している点だ。人間の本能を理解していれば、程度の違いはあれ、いつどこでも同じようなことが起きると分かる。
今後も対立や脅威をなくすことはできないのだろうが、その影響を小さく、歪曲しない形にしていくことは可能のように思う。
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まずタイトルからしてショッキングである。しかし、これは戦中時代の人の回顧録ではない。世界の紛争地を駆け回っている現東京外大教授伊勢崎さんが、福島高校の生徒を相手に、本音で語りかけ議論した記録である。同じ企画に、加藤陽子さんが高校生を相手に語った『それでも日本人は「戦争」を選んだ』がある。同じ出版社だ。企画したのも同じ人か。本書はその企画から講義まで長い時間をかけ、さらに講義後2年もの時間をかけて書き上げたものである。それだけに、実際の講義録でみられる余剰、無駄がすっきり削られていてとても読みやすい。それはともかく、冷戦の終結とともに世界は平和へ向かうかと思われたが、なんのことはない、それまでイデオロギーの影で眠っていた民族間の対立がどっと吹き出し、果てしない戦争、泥沼が続いている。伊勢崎さんは、若いときにインドのスラムに入り、そこの人々を組織し政府に立ち向かわせたのを皮切りに、帰国後は国際NGOの現地責任者としてアフリカで10年を過ごし、その後はアフガニスタン、東チモールといった紛争地帯に入り、対立組織の武装解除をしたり、その土地の知事になったりと人生の半分を海外で過ごしてきた人である。そんな伊勢崎さんにとっては、戦争と平和ははっきり分断できるようなものではない。平和が訪れたかと思えば、これまで潜んでいた矛盾が顔を出し、あらたな戦争が起こるということがくりかえされる。むしろ、少しぐらい紛争の火種があった方が平和が保たれるのではないかとも言っている。自分が育てた子どもたちが人殺しに走ったり、「平和」のために虐殺を等閑視せざるをえなかったりと、そこには平和ぼけした日本にいるわたしたちには想像もつかないような現実の世界が広がっている。そうした紛争地で、日本は比較的好感をもたれているそうだ。伊勢崎さんは9条を絶対視しないが、9条があるがゆえに、日本の自衛隊の行動が制約をうけ、無駄な殺人をしてこなかったことも確かだ。本書を読めば、世界の紛争を、善か悪かという二分法で仕切ることができなくなる。伊勢崎さんは現在東京外語大の先生で、院で学ぶ学生はほとんど紛争地から来た人たちだそうだ。日本の大学の中には、そんなことも話し合われているところがあるのである。
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絶対的な視点というものはなくて、人によって、立場によって同じものでも見え方が違ってしまうのだなと。その違いを良い悪いの二軸でとらえるのではなく、相手の見え方を許容する力がないと武力による解決しかなくなるのかなと。
大変ためになった。
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サヨク的な「平和信奉」の言動に食傷し、イライラしてしまうことはいまだよくあるが、紛争地帯で国連事務局の一員として事態の鎮静化を図ってきた著者の分析は重い。
自分が不愉快に思ってきた対象は、表層的で軽薄な、ステレオタイプな「平和信奉」の言動だったのだと、改めて感じた。
この世に絶対の正義なんてものは、どこにもないんだと、思う。
それでも、善きものを求めて、一歩前に進むしかないのだと。
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筆者は国連等の要請を受け、アフガニスタン他の国々で武力解除や停戦監視に携わってきた人物。
よほどの好条件に恵まれない限り、地域紛争の武力解除など正に絵に描いた餅にすぎないことがよくわかる。
アルカイダやタリバンを含めても、正悪の区別など相対的で、判断する人の立場に左右されるものに過ぎない。
虐殺は最低限防止しなければならないとしても、国連監視団の立場などどれほどあいまいなものか。
イラク、ベトナムの例を挙げるまでもなく、特に米国の武力介入が所定の目的を果たしている方が少ないのではないか。
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「相手は多感な年頃である。子供には、理想を思い描き、没頭する特権がある。そうであるからこそ、冷たい現実のなかで彼らに知らせなくていいものは、確かに存在する。2人の息子の親として、そう思う(本書 まえがき 著者)」から始まる、紛争解決人として紛争地で武装解除などを担ってきた著者(伊勢崎賢治氏)と、3.11の震災で被災した福島県立福島高等学校2年生による5日間にのぼる講義形式のセッションをまとめ・加筆したもの。
このセッションは著者の冒頭の心配をよそに、「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた。理系、新聞部、音楽をやっている子など、バラエティに富んだ生徒と僕のアドリブがグルーヴし、出すものは出しきった感で、この”セッション”は終わった。(本書 あとがき 著者)」と言う著者の感想で締めくくられています。
その感想が示す通り、本書では戦争・紛争・憲法・外交・原発・政治・・・さまざま現実において発生する対立とその仕切りについての本質に触れられている本書は、中高生というよりは、今の国家・政治に対しての責任を担っている20歳以上の我々国民一人ひとりこそが、知り・考えるべきことが詰まっているように感じました。
表紙や語り口調は柔らかですが、内容はハードであり、そのハードな現実をしっかりと咀嚼し、柔軟な至高と創造力で常に前に進みなさい、そう、語りかけられている。そんな気がした一冊でした。
【本書抜粋 著者】
「人権」は、シェラレオネにおいて、内戦という非日常をつくったのはすべて大人の責任と結論し、大人兵士と同等、もしくはそれ以上に残虐な行為をはたらいた子供兵士を、大人兵士のようにランクによる区別をせずにすべて赦し、というより、その犯罪を問題にすらせず、ふつうの子供たちより手厚く保護しました。さらに教育上の理由で彼らを一般児童から隔離することも、それは強制収容所になり、子供の自由を制限すると否定した。子供の人権は、完璧に守られたといえるでしょう。
一方で、僕たちは子供たちに、確実にひとつのメッセージを送ってしまいました。「ひとり、ふたりを殺すと殺人罪に問われて死刑にもなる。しかし、千人単位で殺せば国際紛争という扱いになり、許されるだけじゃなく恩恵までもらえる」と。
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現場で仕事をしてきた著者が書いているので、どういう順序で交渉していったとか詳しく書いてあり、そういう風に進んでいくのか…と知る。
少し読みづらい感じもしたが、読みきれました。
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最前線の現場で働いている伊勢崎先生の発言や意見はとても新鮮で、説得力をとても感じた。また普段マスコミなどで耳にする声と伊勢崎先生が現場で耳にしている声の間には多少の乖離があって、しかし現在の安保法制の問題においては、その乖離を知ることは結構大事なんじゃないかなと読んでいて思った。
伊勢崎先生が世界で見てきた様々な紛争の現場を知ると同時に、安保法制に対して現場からの声も知ることができたのは新鮮だった。私も伊勢崎先生とセッションしたい、、、
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テレビで拝見し気になってたヒト。戦争の始め方は想像できるが戦争を良い終わらせ方をするのは始めるエネルギーの何万倍も。その困難さは、正解がない。
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各地の紛争調停をしていた筆者が福島の高校生に対して行った授業をまとめ直した本。筆者の側からの視点であるが国際紛争とか自衛隊派遣とか自衛権とかの現実が非常にわかりやすく書かれている。もし、その手の話をするのであれば、事前に読んでおくべき一冊。