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後ろの席にいる女子が気になる高校生男子、授業中に窓の外に流れる火球を見る。友人が放課後火球が墜ちた場所を見に行こうと誘いに来たとき、後ろの女子も参加することになったことから始まるお話です。
世界の危機と恋愛の推移が並列に語られてます。主役の男、まじで高校生男子の頭のなかそのままなのでほんとに鬱陶しい。俺男子校だったんですが、共学だったらきっとおんなじ感じだっただろうと震えます。もうちょっと世の中ちゃんと見ろよー。
それにしても怪異に対する登場人物の気持ちの描写がとても見事だな!
福音館ボクラノエスエフシリーズということで児童書ゾーンに置いてありました。これはサブカルでも若手小説でも、もっと目立つとこに置かないとあかんと思います。面白すぎるもん。
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想いが溢れてる。クドイほど。
いろいろ言ってるけど、多分あなたは最初から囚われてるよ、迷妄に。
そしてそれは悪いことじゃない。
前半はまるで純文学のよう。
主人公の思考垂れ流しです。ほんと、クドイほどに。
それがこの年齢の、所謂思春期ってものを表しているのかもしれない。
そして後半はいきなりSFです。いや、前半からその要素はあったのだけど、多分主人公が頑張ってそっちに向かないよう向かないようにしてたのでしょう。だからこその思考垂れ流しだったのかもしれない。
ある1点からその堰が崩れて、否応なしに非日常、SFの世界になだれ込んでいきます。
序盤の思考垂れ流しを耐えきれるかどうかがこの物語を楽しめるかどうかの境目になるかもしれません。
とにかく、無事を祈る。お二人の、友人の。
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面白い!SFよりも青春。日常が壊れ始めている。それでもぼくは、久保田との距離が気になって仕方がない。そういう話。
久保田さんがとってもキュート。
くせのある文体を飲み込んでからは疾走するように読み切った。とてもよかった。
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児童文学において、ひとつの特異な形式が有るように思う。
それは、二人称で描かれた物語であったり(「きみは〇〇した」的な)、普段読む小説とは異なる形式である。もしかしたら、幼い頃は、三人称の物語は複雑であり、一人称や二人称の方が読み手にとって受け入れやすいものなのかも知れない。
しかし、大人になって読むと「面白い書き方だなぁ」となる。
これは、非常に手の込んだきれいな作りの本である。
文字の数や挿絵のバランス、1ページ1ページが目にとって心地よいリズムを刻む作りになっている。どれだけ愛情を掛けられたのだろう。創り手のことを思うと、それはもう、うっとりしてしまう。
そしてこの作品は「ボクラノエスエフ」のレーベルの1冊なのだが、主人公の思考回路や口調が「えっ。これは子供向けなの!?」と笑いたくなるくらいに几帳面だ。おかしなことが起きても、気になることはそれなのか!と突っ込みたくなる。
理路整然と書かれた、主人公の迷妄を読み進む内に「もしかしてこれは詩ではないか」と思えてくる。迷妄ワールドへようこそ! っていうか、迷妄ってすごい単語だな。
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シンドロームって、症候群。
何症候群かはわからないけど、この本だと、くどくど考え過ぎる症候群か?
でも、作り込まれた装幀とあいまって、そのくどくど思考を読み進むうちに、楽しくなってくる。思春期の少年って、面倒くさい!
B級映画のような設定。ある日、裏山に落ちた謎の火球。そして、地面が陥没。主人公のたちの高校も、地面の陥没で校舎は壊れる。巻き込まれた彼らは、地面の中にうごめき、人を襲ってくる触手から逃れようとする。
SFの世界。あんまりサイエンスとも思わないけど、そこがまたリアル感がある。
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そんなにたくさん読んでいるわけではないが、これまで読んだ児童書・SF含めて一番意味不明な小説。書かれている内容は素晴らしくよくわかし、文字配置の美しさや繰り返しを多用することによって生まれる独特のリズム感は楽しめるが、読み終えた時に「これだけの紙面を費やして結局何が言いたかったんだろう」と考えだすと頭の中はヤブの中。
現代美術のジャンルのひとつに「ハイパーリアリズム」というのがある。写真を見ながら、その写真と瓜ふたつの絵画を制作する。出来上がった作品は写真よりもサイズが大きいが、遠目から見ると、本物の写真と区別がつかない。今の時代、リアルさならカメラに任せておけばよいものを、どうしてわざわざ人の手で写真を再現するのか、正直言って意味不明である。
これと同じことが本作で起きているような気がする。
思春期真っ盛りの高校生男子がの内面がこれでもかとリアルに描き出され(とくに恋に落ちた時の心の動き)、日常に非日常が侵入してくる様子も、過剰な自意識のフィルターを通しながらも、淡々と的確に描かれていく。
近くの山に謎の物体が降ってきて衝突し、数日後には周辺で大規模な陥没がおき、とうとう学校を含む市街地が土中に沈んでしまった上、土中には得体のしれない触手状の生物が潜み、人を襲ってくる。にもかかわらず、誰も「宇宙から正体不明の生物がやってきて地球を侵略云々」とは言い出せない。そこがかえってリアルっぽい。非常事態に対する人々の反応も、政府や役所の対応もまったく現実世界そのままの災害対応で、とりわけ校舎が土中に陥没してからの校内の描写が真に迫りすぎて異様に恐い。
主人公たちは、埋もれた校舎から無事に脱出し、自衛隊の救助ヘリで地上に連れ戻してもらう。しかし、触手の化物は完全に退治しきらないまま、陥没の原因も特定できないうちに、主人公一家は遠くの町へ避難することになり、そこで物語は終わる。事件は始まったばかりで、なにも終わらないうちに物語は閉じてしまう。主人公が想いを寄せている女の子とも進展があるようなないような中途半端な関係のままだ。
予想もしていなかった突然の災害、得体のしれない化物。いつ終わるとも知れない非日常。
もしも3.11という出来事の本質を抜き出し、あらためてSF小説のひな形に流し込んだなら、このような物語が生成される可能性はある。
と、無理に解釈しようとすると、こんなありきたりの答えしか出てこないのだ。
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起承転結が無いと物語は読むのが厳しい。
何を表したかったかは作中の世界史教師の言にまとめられているのかな。
描写手法は面白いところもあった。
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佐藤哲也さんの「シンドローム」、本日読了。
福音館書店(!)のSF。
大好きな漫画家、イラストレーターの
西村ツチカさんの挿絵が、すごく素敵。
筒井康隆さんとか眉村卓さんのジュブナイルSFを踏襲している、
と思わせて、実はかなりひねくれた
観念的青春小説。
自分と周辺5メートル以内の人間関係との間に起こる事象と、
それに対する自分感情、観念とが、
街や世界を揺るがす漠然とした危機と、
何の根拠もなくつながってしまっている。
そんな世界観は「セカイ系」っぽい。
偏執的な文体(同じ意味を成す文章を、微妙に変えて
何度もリピートさせる等)は、
「残念系ラノベ」にも通じるなーと感じた。
僕は大好き。
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眠りを誘う先生の声を聞きながら授業を受けていた午後、突然、謎の火球が落ちてきた。それは、学校からすぐ近くに大きな穴を残して消えてしまった。町が陥没し始める。破滅の気配。でもぼくには近づく中間試験と、同じクラスの久保田葉子のことが気になってしょうがない。
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空は青く澄みきっていた。
教壇では歴史の教師が午後の眠りを誘う声で話していた。
クラスの何人かは眠っていた。
教室が小刻みに揺れて、窓の枠が音を立てた。
重たい音の波が上から下へと突き抜けていった。
ぼくは窓のほうに身を乗り出して空を見上げた。火球を見た。
突然飛来した謎の火球は、八幡山に落下し、深く巨大な穴を残して消える。
ほどなくして、ぼくの住む町のあちこちで、大規模な陥没が起こる。
少しずつ、町は地面に飲み込まれていく。
破滅の気配がする。
それでもぼくは、中間試験のことが気になっている。
日常と非日常が次第に溶けあっていく。
それでもぼくは、久保田との距離が気になって仕方がない。
彼女を見つめ、ゆるやかに距離を縮めながら、最後の一線は越えることなく、この状況を制御し、迷妄を乗りこなそうとしている。
静かに迫る危機を前に、高校生のぼくが送る日々を圧倒的なリアリティで描く、未だかつてない青春小説。
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ある日謎の火球が飛来して。沈む地盤、赤黒い触手…。
「現実」は非現実的な侵略者に侵されていく。
それでも、同級生の女の子のことばかり考えてしまう主人公。
主人公は完全に、主人公の言う「迷妄の奴隷」であるなあ。
ゆっくりと傾いていった日常が完全に非現実的な状況になっても、考えることはたいして変わらない、というところが変にリアリティを感じさせた。
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今、中盤まで読んだところ。
「ぼくはたまに、考えすぎることがある」(p.116) という文章が出てきて「いや、たまにじゃないだろ!」と、即座に突っ込んだ(笑)。わたしはおばさんなので、評判どおり自意識のかたまりの前半をずーっと笑いながら読んでるけど、当事者年齢だったらうっとうしいかもねw でもそこがいい!
「良くも悪くもはっきりとした性格で、妙に正直なところのある平岩」って……w 枕詞がおかしすぎるw
さて、後半は、どっちへころんでいくんでしょうか。
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どっちへころんでいくんでしょうか、どころじゃなく、すごい展開になっていった。
それでも休むことなく久保田との距離をはかりつづけるぼくの自意識。
そして学校の教師の(なかでも国語教師の)欺瞞と愚かさをするどく断罪するぼく。
でもそれはすべて頭のなかの出来事で、外には何一つ出てこない。
いや、久保田に「これが終わったら映画行こう」ってさそったか(笑)。
そんな、とってもちぐはぐで日常と非日常がないまぜになった描写が、3.11のとき感じた混沌そのもので、ものすごくリアルだった。家が崩れ落ちるかもしれないから避難指示が出てるのに、戸締まりしていてなかなか出てこない母親とか。
クセがあるから誰にでも勧められる小説じゃないけど、わたしはすごくおもしろかった。
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ぼくらの町のはずれに、火球が落ちてきた。隕石ではないらしく、その正体はわからない。真相究明に熱心な友人、しかしぼくが気になるのは同級生の女子のことだ。
常に冷めたスタンスでいるぼくは、事態の進行に応じてやはりその態度を保とうとする。文面はそんなぼくの一人称でとつとつと語られていく。自意識過剰な自分を制御しようとする努力、周りの人間へ批評。共感できたし、非常時だろうが人間こんなもんかも知れないというリアリティもある。
読者をおきざりにするようなラスト、児童書でこの終わり方はありなのか? と非常に疑問を感じたけれど、取ってつけたようなまとめより正解なのかもしれない。
おかげで読了後しばらく経ってもぼくのフレーズがこだまする。迷妄のとりこ 僕は蔑む ヒロイズムの延長 カドリールを踊る などなど。問題作だと思う。
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隕石が落ちて来たことをきっかけに、町では不可解な出来事が次々起き始めるも、
主人公の頭の中は、近くの席の女の子久保田さんと久保田さんへ好意を寄せている(と主人公が思っている)友人の平岩のことでいっぱい。
日常の崩壊を尻目に、恋という名の迷妄と捻じれまくった自意識の狭間で、錯乱し続ける主人公の恋と青春を描いた話。
とにかくめんどくさい主人公の圧倒的めんどくささがすごい。
主人公が気になってる久保田さんと話をしたときの内面描写がこんな感じ。
「肩が触れるほどの距離にいたが、ぼくは最後まで距離を見失わず、ゆるやかに距離を縮めながら、それでも最後の一線にとどまって、そこから先へは決して進もうとしなかった。ぼくは状況を制御していた。(~)いかにもぼくは迷妄の中に立っていたが、迷妄の奴隷となるのではな、まして迷妄そのものになるのではなく、迷妄から適当な距離を取りながら、迷妄の成果だけを受け取っていた。言うならば、ぼくは迷妄を乗りこなしたのだ。」
全然乗りこなせてない。
世界の危機が、主人公の精神世界にほとんど全く影響を与えないって点では
逆セカイ系と言えるかも(適当)
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ある日突然町の裏山に火球が落下する。高校生の「ぼく」はさして仲良くもない平岩に半ば強引に誘われて落下地点を見に行く事になるが、「ぼく」の席の後に座る松本零士の描くところの女性に似た美少女久保田葉子がいっしょに行くと言い出して・・・。
突然「降って」きた非日常に侵食される日常。じわじわとゆっくり、決して認めたくない現実として。
繰り返されるフレーズがぐるぐると渦巻きながら、少年の感情を視覚化する。思春期の制御しがたい感情と格闘しながら、主人公は考えたくもない非日常と対峙する。それはこれから起こることかもしれないし、すでに起こったことかもしれない。
心がざわつく青春SF。若い人ならどう感じるか、感想を聞いてみたい。
そして、アニメ化、いかがですか?