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ともかく面白い。特に川田順三との対談は最高だ。80年代の中世史を中心とした歴史学の見直しが盛り上がっていた時期、歴史学は熱かった!
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日本中世史を中心に列島の歴史像の変革に挑戦し、「日本」とは何かを問い続けた歴史家、網野善彦の対談集の第1巻。
他の分野の第一級の方々と対談している中で、お互いに触発される様子が楽しい。
最後の、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科の最終講義で網野が研究者の卵に切々と訴えかけるような語りで、彼に残された時間が少ないという切なさを感じた。
網野が生きた時代、唯物史観と出会ってしまう時代。懐かしい感じもいたしました(笑)。
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今年一月に発行された新刊ではあるが、収録されている対談は1977年から95年までのものです。もっとも網野善彦氏自身が2004年に亡くなれているので、この本はあくまで著作集を補完するという意味で発行されたみたい。
この本を手にとったのは、加藤周一との対談が載っていたからであるが、よく見たら「加藤周一対談集」(かもがわ出版)に載せているものと同一だった。しかし、網野善彦の側からあの対談を読むことで、新鮮なものがあったのも確かだった。
編者の山本浩司は、加藤との対談だけが歴史の専門家ではないので、網野善彦の考え方をわかりやすくしたという意義しか認めていない。失礼な話であり、歴史家としての使命を自覚していない専門バカの感想だと思った。
90年代の時点で、世界の動きを「遠心的運動と求心的運動」とに分けられるとまとめてみせた加藤の文明史的な視点は、20年後の現在どころか、あと数十年の世界をも見通していると思うし、だからこそ、網野善彦はそこに食らいついて、自説に引き寄せたのだと思う。
二つの対立軸があることが見えているからこそ、それを超える「座標軸」の話が出来るのだろう。その中の一つのヒントが「アジアの中の日本」ということなのだろう。
そういうもっとも壮大な形で対談が出来たのが、加藤周一との対談であり、それを歴史家の卵たちに語ったのが、「最終講義」(1998)なのだろう。
私は私の視点から、現在日本の最も「求心的な運動」である安倍政権を超える運動を作り出さないといけない。
2015年10月8日読了