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今年の水俣フォーラム主催の「水俣病記念講演会」は、近年人前に姿を見せることのなかった岡本達明氏が講演に立つということで話題を集めていた。杖をつきながらも矍鑠と演台に現れた岡本氏は、笑顔を見せつつも眼光厳しく会場に緊張を漂わせていた。
が、その話の内容に戸惑いを感じた聴衆も少なくなかったようだ。40分の持ち時間の多くを戦前までの水俣地域の風土、習俗、風俗について語り、「夜這い」について語っても、「水俣病」について語ることはほとんどなかったからだ。
この岡本氏の講演が確信犯だったのかどうか、またその試みが成功したのかどうかは私にはわからないが、水俣病事件研究史における非常に重要な視点(それも実現不可能と思える手法)を持ち込み、それを実行したという報告を行ったという意味では、岡本氏は「記念講演会」という場を自らの業績の「学会発表」の場として活用したと言えよう。
民衆史という手法
岡本氏の著作「水俣病の民衆史」は、自ら「まえがき」で示しているように、水俣病事件を「異文化を調査する際に文化人類学者が採る共同調査者の手法によることにした」ものだ。確かにこの著作は、水俣病事件を文化人類学の手法で研究した論文である。それも文化人類学が数家族や数家族が所属する小さな部族を調査対象とするのに対して、岡本氏は、「月浦」「出月「湯堂」という三つの村に暮らしたほぼ全員を調査対象として、明治から現在まで追っていこうというのである。
「戸数が100戸ある村には、100個の生活史がある。(中略)村の一軒一軒についてある程度のことを知らなくては、村を理解することなどとうてい出来ない」(同書まえがき)。
現在いわれるところの「民衆史」とは、アカデミズムによる歴史学への(特に左翼からの)カウンターと認識しているが、それよりもこれだけの規模の調査を一人で行ったという事実に言葉を失う。家族構成、親戚関係、職業、出身地、結婚離婚、転居、相続、家の間取りに至るまで調べ上げ、さらに聞き取り調査の裏を取るため、公的記録はもちろん、神社の記念碑の名前まで調べ上げて照合している。
「湯堂はぜーんぶやうち(親戚)じゃもん」と聞くとそれを実際に検証した箇所などは、あまりにも複雑でなかなか理解できなかった(本書第七章「漁師村の成り立ち」P301~P312)が、岡本氏自身が「読者の側からみれば、複雑でやたらに人の名前が出てくるので、読むのが面倒ということになるであろう(略)名前は一々気にせずに、結線図のおおよその流れをつかんでいただけばよい」と書いてあるのだから、何も言えなくなる。
先の講演で岡本氏は「民衆史はものすごくおもしろいんです」と語ったが、確かにこれはおもしろい。「ブッデンブローク家の人々」や「楡家の人びと」がひとつの家の歴史だけを描いてあれだけおもしろいのだから、数百に上る家々を描いた記録(実話だ)を読んでおもしろくないわけがない。舞台がまだ水俣病発生前ということもあり、描かれるエピソードは汗と涙と糞尿に満ちあふれている。祈祷師の家のルーツをたどった箇所では、身長1メートルもない「小さなおじさん」の妖精まで登場して思わず噴き出してしまった。こうしたエピソードが、「水俣病の科学」の著者らしい生真面目で平易な文章で詰め込まれている。岡本氏のご自宅で聞き取りを収録したテープの山を見せて頂いたが、あの山の中から抽出されたより抜きのエピソードを読めるのだから、これほど贅沢な研究論文も他にはない。
もちろん岡本氏はこうした水俣前史をおもしろく読んで貰うために書いたわけではなく、その成り立ちや極貧の環境、すでに起きていた差別構造、チッソの支配構造などを凄まじいほどの執念で丹念に実証しようとしている。たとえば、「不知火海のカタクチイワシの生態」について私は初めて知った(P407~409)。人間が水俣病を発症する前にネコが発症した。ネコは道端に干してあったイリコを食べていた。ならばイリコとなるカタクチイワシの生態はどうであったのか?という疑問から2人の証言を引用する。そして不知火海では沖に出ず沿岸に居着くカタクチイワシが全体の2割弱存在するとして「この二割弱の群は、それだけメチル水銀に汚染されやすかっただろう」と考察するのだ。
こうした分厚い取材から得た知見を自在に操る岡本氏の筆は常に冷静だが、時にその体温が直に伝わってくる瞬間がある。
「聞き終わったとき、筆者は生まれて初めて一つの村を丸かじりしたという実感を味わったものである。帰りの飛行機の上からほんのいっとき九州の海岸の村々が見える。あの村にもこの村にもそれぞれの歴史が詰まっているのだと思った」(「戦後の湯堂」P342)。
事実をひたすら列記していく中に唐突に現れたこの著者自身の述懐に、膨大な取材を継続しまとめ上げたエネルギーの源を垣間見たように思う。
またこの本の特筆すべきはその読みやすさにある。できる限り調査対象者の話を忠実に再現しようとしているため、水俣弁がきわめてネイティヴで、今の水俣の若者にさえ理解できないだろうという箇所が少なからずある。だが、たいていの場合、聞き書きの後に岡本氏による内容の要録が記されているので、安心して読み進むことが出来る仕組みになっている。こうした配慮にも、一見強面だが実は繊細な岡本氏らしさを感じられる。
これから、すでに刊行済みの二巻をはじめ、第六巻まで刊行が続くので、あまり出過ぎたことを書くと後々恥をかく原因になりそうだが、ひとつ気になったことがある。これは岡本氏に限ったことではなく、文化人類学的手法全般に共通することだが、調査対象の特殊性を強調する余りに事件を敷衍化できなくなる、または著者の思惑とは別に敷衍化出来ないように見えてしまうことが起こりやすいということだ(レヴィ=ストロースの「冷たい社会」論争の不毛を思い起こされたい)。
六巻を経てこの「水俣病の民衆史」というサーガはどのような着地点に落ち着くのか。今、水俣病事件をリアルタイムで見つめているはずの私たちは、ひょっとしたらその着地点を見過ごしているのかもしれないと思わせる「序章」である。