紙の本
しょっぱい、タケノコごはん
2016/06/26 12:26
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この絵本の文を担当しているのは、「戦場のメリークリスマス」などを撮った映画監督の大島渚さん。残念ながら2013年に永眠されています。
その大島さんの絵本が2015年に出版されたのには理由があります。
この作品は大島さんの息子武さんが小学3年の時に出された宿題、お父さんかお母さんのこども時代の思い出を作文にして提出から生まれたものなのです。
小学3年生の息子が読んでも感動する作品、戦争の時代を少年期に過ごした大島さんが子ども世代に残したいという思いが伝わってくる作品。
きっと大島さんの中にはいつまでもこの頃のことが心に残っていたのだと思います。
物語の舞台は中国の戦争から米国を相手に戦火が拡大していった時期。
大島さんのクラスに「さかいくん」というわんぱく少年がいました。わんぱくというのは乱暴者ということではありません。気の弱い大島少年を助けてくれたりします。
さかい君のお父さんは軍人でしたが戦争で亡くなってしまいます。そのことがどんなにさかい君の心を傷つけたことでしょう。
大島さんが5年生の時には戦争に行った前の担任の先生も戦死します。
そして、やさしい先生も兵隊にとられていきます。その最後の日曜日、大島さんやさかい君は先生の家に行って別れを告げます。
その時に出されたのが「タケノコごはん」でした。
涙ながらにタケノコごはんを食べながら、さかい君は大きな声でこう言います。
「先生、戦争なんかいくなよっ」。
大島さんが私たちに残してくれた、熱いメッセージです。
伊藤秀男さんの絵が大島さんの思いを強く伝えてくれています。
紙の本
知っていてもらいたい
2016/05/24 14:28
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投稿者:kumy - この投稿者のレビュー一覧を見る
子どもたちに知っていてもらいたい内容の一冊です。戦争をテーマにしているものは、悲しすぎたり、怖すぎたり、うちの娘たちにはなかなか。こちらは、もちろん悲しさ怖さはありますが、父と子の愛情とともに力強い絵で大切な事を教えてくれます。
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大島渚!?とちょっと驚く。大島渚は終戦の時13歳の多感な時期。その年ごろで価値観の崩壊を目の当たりにしたショックは計り知れない。彼の映画をたくさん見たわけではないけど、基本的に大勢を信じない人だなとは思っていた。
朝まで生テレビで怒鳴ってた姿からは想像できないが、幼い頃はひ弱な少年だったらしい。力が強い者が正しかった時代に、頭は良くても体が弱ければリーダーにはなれず、その経験も彼に影響を与えただろう。
大島渚を知っている者には色々と感慨深いが、大島渚を全く知らない子どもでも、この本は心に響くと思う。
強く明るくさっぱりとして優しいさかいくんのような子どもはいつの時代も愛されるが、父の戦死で明るさと優しさを失う。さらに敬愛する教師まで出征すると知ったさかいくんのかなしみは胸を抉る。
教師の顔だけで文字のないページの語りかけるものは大きい。息子に向かって語られる言葉は押し付けがましくなく、やさしい。いい文章にぴったりの絵がついた、素晴らしい絵本。
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故人になられた大島渚監督のお子さんのための作文
時代背景がリアルに描かれている
絵もいいんだね
声高に戦争反対!ではなく子供目線で
腕白小僧のかなしみが伝わってくる
≪ 腹いっぱい タケノコごはん 泣きながら ≫
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戦争。強いことが良いこととされた時代。小学生だったパパの友達のさかいくんは強かったけれど弱い者いじめをすることはなかった。ただ、さかいくんのお父さんが戦争で亡くなってから、さかいくんは弱い者にも手を出すようになった。色の白くてやさしい先生まで戦争に行くことになって、泣かないさかいくんが涙を流した。声高に戦争反対を叫ぶわけではないけど、痛烈。
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絵の表情がよい。
(そして、パパはそれまでずっと、日本の国が戦争をすることが、ただしいとおしえられてきたんだけど、そのときはじめて、やっぱり戦争はしないほうがいいのかなあ、とおもったのでした。)の最後の言葉がよいと思う。
平和教材に使える。
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4.0 戦争を語る人がこれからいなくなる。こういった本という語り手がこれからの平和を担っていくんだな。そういう話。
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教員は教育上配慮で不逮捕の不文律、おそらく赤色の大島の担任教師が出征と決まり家に行って、出たタケノコ御飯を腹一杯食べた話。《平和》を語るのは満腹時には容易だろう。子供まで空腹にせざるを得ない《英米の圧迫》をイジメととらえ反発したのが太平洋戦争であった。国民は選挙で大政翼賛会を支持していた/体験者の言葉は重いが長子相続など戦前の常識、昭和6年「日中戦争」からの怒涛時代の感覚を平和主義に修正済が多く、同時記録物は少ない。満州国植民についてタブーとせず言及できる環境になってきたのは社会主義崩壊・米中対立の余波か
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図書館でふと手に取った。
大島渚さんが書いたものだと知らずに読んだ。
戦時中に小学生だった大島氏が見たリアルな戦争。
銃弾が飛ぶシーンも爆弾や飛行機も一度も描かれないけれど、友達のお父さんが兵隊になって行っていたが、その友人がある日早退をさせられてお葬式が執り行われる。屈強な担任の先生が出兵していったが戦死の知らせが届く。後任の優しい先生にまでも召集令状が届く。人前で涙を見せたことのなかった父を失った友人は、後任の先生に泣きながら「戦争なんかいくなよ」とひとこと言う。
日本が戦うのは正しいことだと思っていた少年であったけれど、やっぱり戦争はしない方がいいなと思う様になった等身大の少年の気持ち。