紙の本
1億総活躍社会と女性の労働
2015/10/30 04:29
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くりくり - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦時中、広島市内の電車を走らせていたのは、今でいう小学校を卒業したばかりの女の子だった。戦争中男性が出兵する中で労働者の不足を補うために、併設する学校への入学を名目に、経済的に進学を断念せざるを得ない子どもをかき集めて電車を走らせていた。そして被爆。忘れられた事実を掘り起こしたルポ。
いま、安倍首相は1億総活躍社会の実現と言っているが、集団的自衛権の法整備と合わせ鏡に考えると、少し怖くなってくる。
紙の本
忘れないで
2019/07/23 19:49
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投稿者:飛行白秋男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一時的に女学生に電車の運転を任せ、戦後には用済み。
原爆で断ち切られた人生、戦争は嫌だ。絶対にやめよう。
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原爆が炸裂したあの日も、チンチン電車は広島の街を走っていた。運転士と車掌の多くは14~17歳の女学生たち。兵隊に取られた男たちの代わりを務めていたのだ。本書は、彼女らが通(かよ)った「幻の女学校」の存在を明らかにし、徹底した取材で、少女たちの青春と、8月6日のヒロシマを記録する。待望の文庫化!
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戦時中、次々に戦争に送られていく男性の代わりに広島の路面電車の車掌や運転手を努めていたのは女学生たちだった。
その事実は戦後長い間、地元の人にも知られないままだった。
彼女たちの生きた戦前戦後の厳しい時代の真実を描いた、貴重な記録。
戦後70年を迎える今年に、ぜひたくさんの方に読んでほしい。
2015.7.20
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女性の社会進出が限られていた時代、男が兵士として戦場へ赴いた戦時中に若き女性が学びながら路面電車の運転手を務めていた。歴史の陰に隠れていた事実に光を当てたドキュメンタリー番組を書籍化。カバーにもなっている凛とした様子の写真が印象的であり、向学心に溢れ、強い友情や責任感を持ちながらも淡い恋心を抱く女子学生たち、そして口述される被爆に関する描写が時代を超えて平和の重さを訴えかける
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あっというまに読んでしまった。
この作品は古いほうで、まだ堀川さんが30代前半のときのものだ。まだ世間では女の子扱いされる年頃に、過去から未来に続く偉大な仕事をされたことにおどろく。
きれいに歴史と記憶からこぼれていた少女たちの一生懸命に生きていた青春が、読みやすい、わかりやすい文章でキラキラと蘇る。仕事や学校の合間に写真館で写真を撮る。私たちの時代はプリクラで、今はスマホでインスタで、時代は違えど女の子ってなにも変わらないんだなあ…。
それをはっきりくっきりと変えてしまったのが、戦争、そして原爆。
なんてあまりにむごいのか。
その後の人生を生きぬいて、後悔と申し訳なさでたどり着いたおばあちゃんの告白に涙。
天国でみなさん大事な人を載せてたのしくチンチン電車を運転できているといいな。
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広島に原爆が投下された8月6日、朝のラッシュで混雑していたチンチン電車を運転していたのは14歳から17歳までの女学生だった。原爆炸裂時に運行していた車両はおよそ70両。そのどれもに彼女たちは運転手や車掌として乗務し、そして被爆した。
招集により男手が不足した1943年、市内の路面電車を運営する広島電鉄は代替要員として若い女の子たちに注目し、広島電鉄家政女学校を設立する。運転技術の習得と旅客の実習をしながらではあるが、様々な授業を受けられることにもなっており、「働いて給料をもらいながら学問を学べる」と応募した人は多かった。とくに地方出身で、経済的理由から進学をあきらめていた女の子たちにとっては、夢のような条件だった。
1期生の回想には戦局の不安はさほどみられず、初めて運転したときの高揚感や、日々の業務に感じる充実感などが多く、明るい想い出が多い。運転手も車掌も若い女性、となると黙っていられないのが男子学生たちで、彼女たちが付けている名札から名前を知ると、恋文をしたためて渡したり、用もないのに意中の相手が運転する路線にわざわざ乗ったりと、微笑ましい。
確かに43年の時点では空襲があるわけでもなく、近親から招集されていった人がいて漠然とした不安があったかもしれないが、それほど差し迫った命の危険があったわけではないので、学生たちの関心はもっぱら恋愛にあったのだろう。
女の子たちの休日の過ごし方は市内の繁華街での映画鑑賞、観劇、デパートでの食事など。お気に入りは安芸の宮島への遠出。広島電鉄で働く彼女たちは、管区内の運賃はタダだったので、厳島神社に参拝したらり、鹿と戯れてたり、と楽しんだ。その様子を写真で撮り、離れて暮らす親元に送り、安心させていた。
2期生には1期生の妹が入学してくることも多々あった。姉の話す学校の雰囲気に憧れてきたのだろう。姉が運転手、妹が車掌として同じ電車に乗ることもあり、乗客が少ないときは姉妹の会話を楽しんだらしい。
しかし戦局が悪化し、3期生が入るころにはもう学校での授業はなく、早朝から深夜まで交代制の勤務シフトが敷かれ、彼女たちはフル稼働させられた。いくら若いとはいえ体調を壊す者もでてくる。しかしお国のためにとの一心で、彼女たちは文句も言わずに、路面電車を走らせ続けた。
そして運命の日は突然訪れた。
原爆によって心身を破壊された彼女たちが語る当時の様子は悲惨だ。とても要約して書けるようなものではない。なので、できれば本書を手に取って読んでほしい。
友達を助けたくても助けられなかった、家族を助けられなかったという自責の念は何年たっても消えない、思い出すと涙が止まらない、と生き残った女性たちは語る。
言葉に詰まる、としか自分には言えない。責任を感じなくてもいいんですよ、なんて軽い言葉はとてもかけられない。
路面電車はわずか一両、それもごく短い区間ではあるが原爆投下後から3日で走りはじめる。
復興のシンボルとして。
知らなかったが、この実話をもとにドラマやミュー��カルがあったらしい。わずか3日で路面電車を走らせ、それを運転したのは女学生だった、みたいなストーリーなのだろうか。悲劇に負けない人間のたくましさの象徴みたいな。(この本の著者はそんな誘導はしていないので、もしドラマやミュージカルがそうなっていたら、それはそれらを制作した人たちの考え方)
観たことないのに批判めいたことを書くのは間違っていると重々承知しているが、そもそも復興一番電車を運転したのは男性乗務員で、女学生は車掌として乗っている。復興へのシンボルだなんて前向きは気持ちは抱いているはずもない。
友達が苦しみ、死んでいった。市内にはまだ多くの遺体が散乱している。そんな状況で復興だの、前を向こうだのなんて考えが浮かぶ女学生がいたら、おかしい。きっとショックで茫然としていたはずだ。頼まれたから乗っただけだろう。
美談にしたがる誰かがいるのか、美談を欲しがる誰かがいるのか。
ほんとうの美談だったら語り継げばいいが、そうじゃないものを美談にするのは危険じゃないのか。最近、やたらと美談にするTV番組が多いので、素直に感動できない。(ドラマもミュージカルもそんな内容じゃなかったらごめんなさい)
悲しみに向き合うというのはとても難しい。
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ヒロシマについてのノンフィクションをいくつも書いている堀川恵子氏の広島テレビ勤務時代に制作したドキュメンタリー番組の取材をもとに、番組で紹介しきれなかった内容なども含めて新たに書き下ろした作品。
広島市内に行くと今も多数のチンチン電車が走っている。チンチン電車は大正時代に営業が開始された広島電鉄のもので市民の重要な交通手段となっていた。
堀川氏は取材中にこの広電を訪れた時にそこの社員から戦争中はこの電車を女学生が運転していたと知らされる。育成のための学校まであったという。
しかし、その学校や女学生たちを取材しようとしても中々手がかりがない。とうとう堀川氏はテレビ局の仕事終わりに広電の会社に立ち寄り、倉庫の中に保管されていた未整理の資料を一つ一つ確認する作業を始め、とうとう諦めかけた時に、学校の名簿を発見するのである。
学校の名前は「広島電鉄家政女学校」。広島電鉄の社員が兵隊として招集されて人手不足となっていた昭和18年に開校された。勉強しながら車掌や運転士の訓練も受け、勤務に出れば給与も出るということで、働き手を戦争に取られ、困窮していた家庭の女子が、勉強を続けたい、家庭の負担を軽くしたいなどの思いを抱いて入学してきた。
彼女たちは訓練もそこそこにチンチン電車に乗り込み、車掌として、そして運転士として働くようになる。
ヒロシマの記録を読んでいると8月6日8時15分の前と後で世界は大きく変わる。
チンチン電車を運転していた彼女たちも、運転中に被曝して運転席で骨になっていた者、倒壊した寮の下敷きになった者、そして火傷や怪我で血だらけになって避難した者、様々だ。
彼女たちが地獄のような有様の市内をどのように避難して生き延びたのかも描かれる。
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#878「チンチン電車と女学生」
著者の堀川さんは、広島電鉄社長のインタヴューを機に、車庫の電車を見学します。その際、最古の車両「650形」が最新車輛だつた昔、女の子が運転してゐたと聞き、その実体を調べる事に。戦時中に男手が戦争に取られ、電車の運転も女性が担つてゐたのです。養成するための学校もあつたといふ証言もありましたが、誰も知らない「まぼろしの学校」となつてゐて、実態は分かりませんでした。
平和記念資料館でも分からず、広電の倉庫に「怪しい段ボール」があつたと聞き、堀川さんは自ら資料を漁り根気よく調べた結果、遂に幻の女学校こと「家政女学校生徒名簿」を発見するのでした......
この題材はまづテレビのドキュメント作品として発表され、全国放送もされたさうです。わたくしは知らなんだで未見なのです。残念。
国策により戦時体制となり、14-17歳の思春期真只中の少女たちが、生活の為もあり働きながら学べる学校に飛びつくのは当然と申せませう。
存命中の関係者に出来る限りインタヴューを試み、多くの証言を得てゐます。ピカドンで人生が変り、信じてゐたものが音を立てて崩壊するさまを経験した彼女らの肉声は重みがあります。
不自由な中にもそれなりに青春を過ごした彼女らにとつては、電車の運転や車掌の仕事は、必ずしも悪い事ばかりではなかつた事が分かり、少し救はれる感じもします。
実際、戦後に電車が復興したときに復職を希望する人が多かつたのがそれを表してゐますね。しかしその時には、既に男たちが戻つてきて、最早彼女らの居場所は無かつたのです。
文字通り時代に翻弄された少女たちの記録を残したといふ点で、意義のある一冊と申せませう。著者が「電車を女の子が運転してゐた」といふ一言に反応しなかつたら、歴史に埋れたままだつたかも知れませんねえ。
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家政女学校という、戦時中に広島のチンチン電車の運転手を即席で育てる学校ができた。たった3年でその幕を閉じ、広電の人たちもその存在を知らない人がほとんどだったとのこと。
亡くなった方、助かったけど重症を負ったかた、助けたかったけどそれが叶わず戦後ずっとそのことを引きずっている方など様々な方に取材しながら、当時のことを映像が浮かぶように書き綴っている。
広島の方には是非読んで欲しい