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戦後を代表する詩人と関係しながら生きた女性の、淡々としてそれでいて楽しげな晩年。
柔らかに綴られる日常ではあるが、その実結構変化に富んでいる。
余韻が残る。
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田村和子さんの記憶が薄れないうちに書いたという本。才能ある二人の詩人や著者とのありありとした日常が描かれています。和子さんは自由奔放な感じですか、愛情深く著者に心を許していたのだと思います。静かに心に残る本でした。
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誰かが誰かの人生に大きく入り込んでくることの息苦しさと、よろこび。つらく、苦しいことのほうが多いのかもしれないけれど、憎悪や嫉妬も渦巻くのかもしれないけれど、その人自身の魅力や孤独や哀しみに触れてしまうと愛おしくなってしまう。そんなことが、行間から伝わってくるものだから、読み終わったあともずっとずっと余韻が残る。響く。文章はとてもシンプルで易しくて静かだ。つらいとかかなしいとかさみしいとか、そういう言葉を使っていないからこそ、余計に、沁み入ってくる。著者が見た「和子さん」が稲村ケ崎の景色とともにいきいきとよみがえってくる。お会いしたことすらない私の中にすら、和子さんのあっけらかんとした笑い声が響いている。
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私は不勉強なので田村隆一さんも北村太郎さんも知らないし、ねじめ正一さんの「荒地の恋」も読んでいない。田村和子さんのことももちろん知らなかった。
知らなくても、この可愛らしくて、料理も掃除も完璧で、風変わりで、強く(じゃなかったら誰が誰かの7番目の妻になんてなれる?)、脆い和子さんと著者との友情にしてはかたくて奇妙な関係の物語は強く響いた。
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さらさらと沁み入る、水のような本だった。
詩人田村隆一とその妻和子、和子の恋人の詩人北村との不思議な関係。そして彼らの傍で数十年に渡り和子を支えた著者、橋口幸子。多情な和子は幸子の夫とも関係があったことが仄めかされる。それでもかけがえのない女友達としてそばに居続けたふたり。
数十年に渡る怒涛の日々がみな昇華されて、いまは全てが愛おしい記憶。人と人との間のことは、本当のところは本人たちにしかわからない。当の本人だって只中にあってはきっとわからない。そして今こんなに素敵な本となったのだ。
長く余韻を残す。
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生きていると、面白かったり滅茶苦茶だったり憎まれたり嫌がられたりもする。でも亡くなると、人は可愛く愛しくなる。
「珈琲とエクレアと詩人」を引っ張り出してきて、突き合わせてみる。「荒地の恋」もあれこれ思い出す。
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詩人に恋した田村和子の生涯。
田村隆一という詩人の何番目かの女性でありながら、
その自由奔放な生き様に耐え切れず北村太郎という彼の詩人仲間と駆け落ちをした。
それでも和子さんは田村の妻であったし、北村さんもすぐそばに住んでいて、「一週間に一度様子を見に行ってこい」と田村さんが和子さんに命じるような関係だった。
著者の橋口幸子さんは本編で「ユキちゃん」と呼ばれ、和子さんの晩年を大いに支える。だが、和子さんの奔放な人生に密接に付き合った結果、うつ病になってしまう。本書ではその理由についてとても丁寧に回避されているが、読者のいやらしい憶測を働かせると、彼女の旦那さんと、和子さんは何かしら関係したということだった。
何があったのかは明記されていないが、ユキちゃんはその後も和子さんと蜜月を重ねるのだし、もはや旦那さんの「だ」の字も出てこないのだから、不思議だ。
この本はそういう不思議なところがとても多い。
気になる文章は後々ちゃんと回収されるのだが(旦那さんのところ以外)、とにかくむちゃくちゃ読みやすいのであっという間にとんでもない事実をスゥッと通り抜けてしまう奇妙さがある。それはひとえに和子さんの生き方自体がそういったものなのだろう。
おもしろい、という表現が適切なのかはちょっとわからないが、興味深い、一冊だった。
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生きていくことは、美しいことばかりではない。どんなに美しい言葉を紡ぐ人であっても、それは変わらない。
醜く、情けなく、頼りない、人間の生。
日常のなかで、それらは時に人の心を蝕み、思い悩ませるものとなる。あるいは、のちに後悔となって立ち表れることもある。
人の生を語ろうとするとき、思い浮かぶのは、案外そういったもののほうが多いのではないだろうか。
愛憎入り雑じった、しかし純度の高い感性がそのまま文章に込められていて、それがとても人を惹き付ける。
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田村和子さんがどんな人だったのか分かる本。
これまでぼんやりとした想像でしかなかった和子さんが、実在した人として輪郭がくっきりした。
印象に残ったのは、ねじめ正一さんの『荒地の恋』を読んだ和子さんが「あの本のなかの私は嫌だな。わたしがすれっからしの女に書かれている。」と、作者橋口さんにプンプンするというエピソード。
私にはこのエッセイの和子さんも『荒地の恋』の和子さんもさほど変わりはないし、どちらかというと『荒地の恋』の和子さんの方が真面で可憐で、『いちべついらい』の方はかなり身勝手に思えるけれど.....。
作者の橋口幸子さんは田村和子さんと一緒に住んだり面倒をみていて、こういう人とよく一緒に居られるなぁと思った。それくらい和子さんは面倒な人。面倒な人だけど苦しいほどの哀しみをも感じる人。
和子さんのその風変わりな人柄は、父親が彫刻家高田博厚であることが影響していると思う。人格よりも才能があることが大事で、父親が一番の天才で二番目が夫の田村隆一さんだった。天才が身近にいるというのは精神的に何か影響を及ぼすと思う。
それに早くに優秀な母も亡くし、小学生の時には賢い妹も亡くしている。自分も16才~22才まで結核療養所にいた。死が身近にあること、死がもたらす深い喪失。
和子さんの身勝手さや我儘さはそういう背景の上にあるので厄介な気がする。
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和子さん、そして筆者に会いたくなりました。
登場人物全てがどこか何か欠けているところがあり、人のことどころではないのにみんながみんなを思ってる。
本当繋がっている人たちのお話、という感じ。
何度も読み返したくなる作品です。
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誰ひとり、知らないのだけど(いばって言えない)、
どことなく身近な狂気の世界。
愚かで、獰猛で、制御不能な恋心。
いくつになってもそれに忠実に突き動かされている登場人物たちの日常。
実存の、しかも文化人や彼らを取り巻く人々ってのが納得だし、
ノンフィクションというか、このエッセイのおもしろさ。
思想家の吉本隆明が「人間は孤独でかわいそうなもんですよ」と言っていた、その本能ばっかりで動くとこうなるのかな。
詩人・田村隆一と妻和子。和子の恋人(恋人ってなんだよ)の詩人・北村との不思議な関係。彼らのそばで長きに渡り、和子を支えた著者、橋口幸子。
この本は、橋口幸子の筆力により、惚れっぽい和子が実にさわやかに描かれている。普通なら、カオスダークネスですぞ。
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やっぱり、こういう昔話みたいなのが読みたい。
夏葉社の本は、本当に昔話みたいで、まぁ昔話なのだが(いや、そこまで昔ではないか)、本の世界の中に入り込んでいくのが楽しい。
カラッとしていて、自分に厳しく気骨のある(あー読んでる最中に思い浮かんでいた形容を忘れてしまった)、そしてたまに人間らしい和子さん、いい意味で昔の人って印象かな。
和子さんのあの感じ、なんとも可愛らしい。
2019.1.30.
なんだか不思議な小話。
そっと聴きたいお話。
ぜんぜん知らない方たちの人生を覗き見た感じ。
嫌なところも、いいところも。
2020.11.19.
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彫刻家の父を持つ詩人の妻、その不倫相手も詩人。そして、校正の仕事をする隣人の私と夫。
当時の空気感と一緒に和子さんのあけっぴろげでちょっとへんなひと、という感じが訥々と語られる。
和子さんが夜中に急にオルガン弾いて大声で歌い出したりするけど、「…だから、どこからも苦情がくることはなかった。わたしたちは二階にいたわけだから、突然でいつもびっくりした」ってだけ書いてあって、あ、ほんとにびっくりしただけで受け入れてるんだな、と思って可笑しくなる。
やがてかれらの関係は壊れてぐずぐずになり、和子さんも私も精神を病むようになる、不倫相手も猫も亡くなる、それでもそこにあるはずの愛憎や寂しさ、息苦しさはさらりとかわして、上澄みをすいすいと泳いでいくように思い出が綴られていくのが不思議と心地よい。別に潜ってもいいけど、隠してるのではなく今はただそうしないだけ、という感じが和子さんのお話なのだなと(会ったこともないけど)思う。読み終わると和子さんの輪郭が確かに心に残っていて、知り合いを亡くしたような気持ち。
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最近、『必要な依存』という言葉を知った。
本書は戦後詩を代表する詩人、田村隆一の妻であり、同時に詩の雑誌『荒地』の同人であった北村太郎の恋人でもあり、人を巻き込む名人でもある田村和子さんの晩年のスケッチ風エッセイ。
著者である橋口幸子さんは当初生活の為に田村家の二階に住み始める。すぐに和子さんに「巻き込」まれ「友人」「親愛」「絶交」と進む。でもそれが依存なのか依存されてるのか判然としないまま疲弊し、破綻していく。
恋愛の構造にも似ていて苦しい、解決しない。
でも生きるためにはやっぱり『必要な依存』だったのかも、、と思わされる一冊でした。